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晴れて、念願の国立大学に入った俺は、高校時代の同級生らが待つ有楽町のイタリアンレストランに向かう。
木製の重厚なドアを開けると、ちょうど、手洗いに行く同級生の一人に出くわし、彼から
「おぅ、加納、遅かったな。みんな、もう奥の部屋に集まってるぞ。ここ真っ直ぐ行って左に折れたとこ」
と説明を受ける。
「わかった。サンキュー」
奥のアーチ状の仕切りで区切られた部屋に入ると、テーブル上には既に数々の料理が並べられ、十数名の同級生らは料理に舌鼓を打ちつつも、隣人とのおしゃべりに夢中になっていた。
その中の一人、井口がこちらを向き
「加納、久しぶり!ここあいてるぞ、来いよ」
と言い、隣の席を指し示した。
「有難う。卒業後2ヶ月か、皆、変わってないと思いきや、それなりに、大人っぽくなってるね」
「うん。女子が特にな。そう、そう、田端がさぁ。最初、来るって言ってたのにドタキャンしやがって…お前、何か聞いてない?」
「いや、全く」
そう答えた後、はす向かいに座る船津えりの姿が視界に入り、そのいつもながらの美貌に、ドキリとする。
思えば高校時代、ぶっちぎりの一位に輝く彼女を男子生徒達は告白するでもなく、ただ遠くから眺めるだけの日々に明け暮れていたんだよな。
小皿に載せたアクアパッツァとニョッキを食べるのに没頭するように見せながら、俺は、表向きは親友とされている田端幸成の事を思い出していた。
田端幸成と俺は、高校の入学式で席が隣り合わせであった事から、話すようになり、クラスが違っても登下校を一緒にし、無二の親友となった。
友人となって迎えた初めての夏休み。俺は、あいつの軽井沢にある別荘に二週間滞在し、ハイクラスの人達の生活をとくと体験した。
田端の父親は商社マンでとにかく羽振りが良かった。その軽井沢の別荘は、母方の祖父の所有で、田端の家は一族郎党、皆、一角の人物で占められていると言っても過言ではなかった。
父方の祖父は国会議員、母方の曾祖父は大手ゼネコンの創始者で、その子弟も、東大や京大という難関大学出の者が多くを占めた。
しかし、どういうわけか、田端幸成に限っては、成績が振るわず、幸成の母、玲子は「子供には好きな道を」と悠然に構えている夫を横目で見、自身は、一人息子が親戚から白い目で見られぬ成績を修めてくれるよう手を尽くした。
三人の息子を一流大学に入れた、辣腕ママの本なども読み、その中に書かれていた「子供の友人は優秀であるに越した事はない」というアドバイスに沿い、あらゆるコネを使い、幸成の友人をレベルの高い者で揃えた。
その作戦が効を奏し、高校入学時、最下位に近かった幸成の成績は、一年後には「中の上」位にアップした。
三年ともなると、家に来るのは親友の加納雅樹位になってしまったが、早稲田、慶応は無理にしても、そこそこ名の知れた大学には引っ掛かってくれるはずと信じ、玲子は諦めずに己れの道を突き進んだ。
受験が終わり、かつての幸成の成績では到底無理だった大学に幸成を合格させた玲子は、親戚から来る日も来る日も届く祝いに嬉しい悲鳴をあげていた。
そんな中、玲子は、国立大の獣医学部に合格を果たした加納雅樹に連絡を取る事を思いつく。
「もしもし、雅樹くん?
田端です。まずは難関大学合格おめでとう。北国に行かれると家の幸成とも離ればなれになるでしょう?だから、一度ね、銀座、久兵衛あたりであなたの送別会でも開けたらな、と思って連絡してみたの」
「有り難うございます。
実は此のところ、予定がびっしり詰まってまして。
幸成とは、連絡取らせてもらってはいるんですが…」
「そう?」
「田端家の皆さんには、この3年間本当に良くしていただいて。軽井沢の別荘での快適な夏休みに始まり、台湾旅行にまで連れて行って頂き、本当に感謝しています。日本人として、一度は見ておかないと、と言う事で歌舞伎、相撲にも、いい席を用意して頂きました」
「あなたはね、そういう風に、きちんとお礼を言って下さる。
そうなると、私達もやりがいがあると言うか…」
「僕も落ち着きましたら、おばさん、おじさんに会って、直接お礼を申し上げなければ…と思っているんです。でも、今の時点では確約が出来なくて」
「いいのよ、そんな…」
「ホントに最初から最後まで、言葉では言い尽くせない程の歓待を受けました。御恩は一生忘れません」
「あなたも、お体に気をつけて。帰ってきたら幸成とも会ってやって下さいね」
「はい。わかりました」
ー これで良し…と ー
ー 後は、あいつだけだな ー
俺は、後日、幸成に会いたいと連絡し、親父連中が八割を占める喫茶室ルノアールに幸成を呼び出した。
いつものように、5分前に到着した俺は、約5分遅れで店に入ってくる幸成を見る。あんなにダンディな父親を持ちながら、どうして?と誰もが思う醜男ぶり。
それでも卑屈にならないメンタルは大したものだが…
「よっ、待たせちゃった?」
「いいよ。お前に待たされるのはもう慣れた。
でも、やっぱり、5分前に着いてしまう俺って、ほんとに律儀だよな」
「なーに、言ってんだか!で、今日は何?家に来てくれりゃぁ、飯がてらさ、遅くなったら泊まっていってもらえばいい訳だし」
疑うことを知らない幸成に、真実を述べるのは「酷」とも思えたが、このまま自分に噓をつき続けるのもどうか?と思われた。
「うん。実はさ、俺たちの付き合い、この高校時代で一旦終わりにしようかなって思って」
「なんで?そりゃ、お前は北海道に行ってしまうけどさ。今の時代、会おうと思えば、いくらだって手段がある。そんな寂しい事言ってくれるなよ」
鈍い、鈍すぎる。こいつが鈍感だって事は、今に始まった事ではないが、ここまでおめでたいとは…
「じゃぁ、言うよ。
俺がお前と親友のような顔をしてつるんでたのは、決して友情が成立してた訳ではない。俺は、破格の金持ちの暮らしを直に肌で感じてみたかった、ただそれだけだ。
それと、親がお前の所の親みたいに全てを叶えてくれる親じゃなかった俺は、時に、こんな生活やってられるかって、なる事もあった。
でも、お前を間近に見ていつも自分を鼓舞してたんだ。こんなダサい奴に負けてどうする?って。それをモチベーションにして、皆と遊んだ後も、1人家で勉強してさ。結果、難関大学にも合格できたってわけだ」
「そうか…
俺は、お前の踏み台みたいなもんだったのか。知らなかったよ。
夏には軽井沢の別荘で、テニスをしたり、雨天の時には屋内で卓球。夜は他県から遊びに来ている従兄弟達も交えて、ゲームしたり、お笑いのDVDを見て大笑いしたり。一つ一つがかけがえのない思い出として、俺の記憶の中にしっかりと残ってる。
それが、すべてはかりごとだったとは…」
幸成は顔を下に向け、一粒の涙を自身の手の甲に落とした。
「悪く思わないでくれよな。じゃ、俺、行くわ」
伝票を持って、颯爽とその場から去る加納を、幸成は自嘲の笑いを浮かべ
見送る。
何のことは無い。
ー これであいつとサヨナラ出来る ー
だが、何なのだ。この虚しさは。
入学式で初めて言葉を交わした際には、かっこいいのにそれを鼻に掛けず、感じのいい男、と言う印象を持った。
だが、勉強が出来るだけでなく、スポーツもそれなりにこなせる加納に段々苛立ちを覚えてきた俺。
俺があいつに勝てるのは家庭環境のみ。
それも、客観的に見れば、情けなさすぎるし。
俺は、あいつと一緒にいる事で、どんどん卑屈になっていくというのに、なぜか両親はあいつの事、すごく買ってて。
だから三年間「忍」の一字で耐え忍んで来たんだ。
ホントは視界から消えてほしくてたまらなかった。
そして、今は即刻記憶から消したい。
加納、もう二度と会う事もない。所詮、住む世界が違う者どうし、共存は無理だったんだよ。
幸成は、手を挙げるとすぐにやって来たウェイトレスに
「シーフードピラフ。あとプリンアラモードをお願いします」
と告げ、これから始まる脱、加納の世界を思い、1人、喜びに打ち震えた。
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