日曜日の報せ

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 遅い午後の駅前がお祭りらしくて、風船を配っていた。ヘリウムで膨らませた、ちゃんと浮くやつ。 「今駅来ると風船もらえるよ」  写真を撮って琉に送った。まだ寝てるかもしれない。今朝あたしが家を出るとき、ひどい顔で「すげー二日酔い」と言ってた。体を泥みたいに起こして、ほとんど這うように冷蔵庫まで行って、二リットルペットボトルのお茶を直接飲んでまた寝た。昨日の夜に飲みに行って明け方に帰ってきていたのだ。    駅前のロータリーにバルーンのアーチができていた。  いつもはタクシーが停まっているはずのスペースが楽しげな広場になっていて、さっきから風船を持った子供が走り回るから、人の中をピンクや黄色の風船が見え隠れしていた。どこぞのコーヒーショップが出店して、手書きの黒板の看板を立ててコーヒーとクッキーを売っている。周りにはコーヒーを片手に、歩いたり子供が遊ぶのを見守ったりする人たちがたくさんいる。  風船はロータリーに沿ったところにある携帯ショップで店員が配っていた。子供がむらがっていたけど、揃いのTシャツを着た店員もやたらたくさんいたので、通りかかりの大人のあたしも風船をもらえてしまった。  なんと日曜日なんだろう。純度百パーセント日曜日って感じの景色だ。  二年くらい住んでいるけど、日曜昼間の最寄り駅はほとんど見たことがなかった。バイトの日なら朝に出て帰るのは夜だし、休みで出かけるとしても駅前なんてろくに見ずに駅に向かってしまう。そもそもあたしも琉も出不精で、休みの日に昼から出かけようなんてめったにない。  もらった黄色い風船が頭の上で揺れる。ちょっとゴム臭い。つっつっと紐を引っ張ると、あたしの手の動きに合わせて能天気にぽいんぽいんと揺れる。  瑠衣ちゃんに見せたら喜ぶと思った。今日会ってきた友達の子だ。十ヶ月の赤ちゃん。手も足もぷくぷくで、何を見せても目を見開いてじーっと見つめて、興味を持ったらずんずん突進して、手に掴んだものは全部口の中でチェックしてた。  今日のあたしは十ヶ月の赤ちゃんの生活リズムに合わせるため朝から出かけた。赤ちゃんの一日は短く、お昼寝の時間に合わせて午後にはバイバイした。それでめずらしい時間に駅まで帰ってみると、風船をもらった。  浮かぶ風船を引き連れてロータリー沿いの道を歩く。ただの街路樹と植え込みもイベントを彩る装飾に見えてくる。小さい男の子がはしゃいでいて、横からお母さんらしき人が「勝手に走んないで!」と叫んでいる。  歩き始めたらこれから大変よお、と友達は瑠衣ちゃんを抱き上げて言っていた。今だって泣き止まないと手に負えないけどね、それでもまだ可愛いもんよ。  どうせ琉は寝てるだろうな。あたしは一人で楽しい。また写真を撮ろうと思ってスマホを出したら 「俺も風船ほしい」  と返信が来ていた。返信の代わりに写真をもう一枚送った。街路樹と黄色い風船が一緒に写って可愛い。 「東口のほう?」 「うん」  返すとすぐ既読がついた。一応アルコールは抜けたみたいだ。すぐ来るならいいけどこのままずっと待っているのはちょっと暇だなあと思う。時間つぶしに本屋さんやマックに入るのって、浮かぶ風船を持っていると怒られるだろうか。 「すぐ行くー」  琉の返信はそう言っている。これからすぐ準備するってことなのか、すぐにもう家を出られるってことなのかによってだいぶ違う。琉の場合どっちもあり得る。  でも日曜日のお祭り駅前は賑やかで平和で、何もしないでぷらぷらしているのも良さそうだった。  着ていた上着のジャケットが暑くて脱いで、ブラウス一枚になった。ブラウスの襟元のボタンをさっき瑠衣ちゃんにもぎ取られそうになった。  もう上着とかいらない季節かあと思う。そういえば日が長くなった。生暖かい空気が鼻を撫でる。  あたしたちはどちらも待つのが苦じゃない方らしい。出不精といいつつ駅までちょっと行くのは平気だ。  あたしが家にいて琉が出かけていれば、結構な頻度で駅まで迎えに行く。着く時間がズレて待つのは気にならない。琉もそうやって迎えに来てくれる。一度電車が人身事故で遅くなったときも、ずっとLINEでやりとりしながら結局着くまで待っていてくれた。愛されている! と思ったけど、お店に並ぶのとかも琉は全然平気そうだからたぶんなんでも待てるタイプなんだと思う。  いつのまにかロータリーに沿った道を半周歩いていた。駅と、風船を配る携帯ショップが反対側に見えた。おうちのWi-Fiとセットで機種代金が格安になるキャンペーンは誰にも注目されず、風船ばかりがもらわれていく。ここから見ると風船の束は大きな花束みたいに見えた。楽しげにゆらゆらして、何か心躍るものの目印みたいだった。  さらに半周して駅まで戻ったところで、駅前のセブンイレブンと公衆電話の間に立つ琉を見つけた。あたしを探していた様子もなく、お祭りの和やかな賑わいをぷらっと眺めていた。少し癖のある黒い髪がぼさぼさして風に揺れている。たぶん起きてシャワーを浴びて、そのまま出てきたんだろう。ぎりぎり一応パジャマではないTシャツ一枚だった。琉は寒がりだけど今日はその服装で正解。 「昼間の駅前ってこんななんだね」  あたしを見つけた琉は、さっきのあたしと同じことを思ったらしくそう言った。  アルコールがようやく抜けたばかりの、あまり元気いっぱいとは言えない声。まだ目が眠たそう。視線があたしの手元の紐を辿り、黄色い風船を見つめる。 「あっちで配ってるよ」  携帯ショップを指さすと琉は顔を向けた。大きな花束みたいな風船の束は、途中で補充されたのかまだまだ大きな束だった。ほしい、と言って琉がふらりと歩いていった。  さっきより少しだけ日が傾いていた。ピンクや黄色やオレンジの風船の束に、西日になり始めた日差しの影ができていた。風船がゆらゆらすると影もゆらゆらと陰影を変えた。  琉は小さい子どもに混ざり、頭ひとつどころか三つくらい飛び出ているのを気にせず風船の列に加わる。背中にロゴのあるTシャツにジーパンに、黒いバンズのスニーカーを履いて、髪はぼさぼさで、背だけがひょろっと伸びてしまった少年みたいだった。 「えー同棲してもう一年経つんだ。一緒にいすぎるとトキメキとかないでしょ」  すっかり母の顔になっている友達は、あたしと琉の話を聞いて言った。どうかなあ、と考える。同棲って言ったって、もともとあたしの住んでた家に彼がよく泊まるようになって、そのまま落ち着いちゃって、みたいなだけだし。 「待って。それ、ちゃんと付き合おうみたいな話したの?」 「どうだっけ。そんな改まって口にするのも恥ずかしいし」 「ふーん」  友達はすっきりしない顔のまま、まあうまくいってるならそれでいいけど、と頷いた。たしかに彼と正式に書類に判を押した彼女から見れば、あたしたちはだいぶマイペースに見えるのかもしれない。 「友達の子供に会ってきたよ〜なんて話、ちょうどいい話題じゃん」  瑠衣ちゃんをあやしながら、彼女は話を続ける。 「ちょうどいいって?」 「自然に将来の話に持っていけるかもよ。じゃあそろそろ俺たちも、ってなったりして」 「ええー」  全っ然想像つかない。あたしも琉も。 「あっ。でも、逆にプレッシャーかけてると思われたら嫌がられるかもだし、そこは慎重にいきなね」  友達はうまい処世術のような、難しい取引先の引き継ぎでもするようなやたらスレた口調で言った。  素敵な報せでも運んでくるように琉が風船を運んできた。 「水色なんてあったんだ。きれい」  琉がもらったのを見てあたしが言った。 「さーちゃんこの色好きでしょ」  琉がご機嫌なときの呼び方であたしに言った。普段は、「さや」とか「さやか」と呼ぶ。  黄色と交換しよ、と琉はあたしの風船を手に取り、自分のを持たせてくる。浮かぶ黄色を見上げて、それからあたしの水色を見上げて、ヘリウムガスでゴム風船が浮かんでいることがすごく気分いいとでもいうような顔をした。ご機嫌というか、精神年齢低くなってるときの呼び方かもと思う。 「買い物して帰らなきゃ」  琉が言った。たいぶ日が傾き出していた。 「これ持ったまま行く?」 「売り場ではぐれても目印になるよ」  黄色い風船を揺らして笑う。目印になるかはわからないけど、よくお菓子売り場の棚の前でしゃがみ込んでいる琉が風船を持っているのは似合いそうだった。  牛乳がもう無いよ。あとお茶も。お豆腐買ってこ。と言い合って歩き出した。西日が、風船ふたつとあたしたちの影を通りに映していた。琉は筋肉なんてないくせに、シルエットにすると意外と体格はごつごつして見える。でも、 「琉、風船似合うね」  シルエットを眺めながら言った。 「似合うってなに」  琉が聞き返す。満足そうに風船を揺らしている。 「いい日曜になった」  二日酔いだったわりに、と琉が言う。 「毎週こんな感じがいいな」  あたしが呟く。 「二人とも土日休みのシフトは滅多にないな」 「二人とも休みの日を日曜ってことにしようよ」 「じゃーカレンダーに赤丸つける」 「風船の代わりにお花買うのはどう?」  他愛のない口約束。  お祭りの賑わいは、少し離れると周りの建物に反響して聞こえた。琉は右手で、あたしは左手で風船を持って、手を繋いで歩くのがシルエットになって見えた。いい日曜日を形にしたらこんなシルエットなんじゃないかと思った。
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