修道女

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修道女

「そうなんですよ! とても不思議ですよね~♪」 「うんうん、ウチもめっちゃ不思議やと思うわ~」 「……………」  ――誰だ!?  貨物車両から客室に戻ってくると、そこには見知らぬ女と楽しげに談笑するエリーの姿があった。 「あっ、トラヴィスさん! 無事だったんですね。あまりにも遅いので爆発しちゃったかと心配していたんですよ」 「爆発……? ってなんなん?」 「男性はおトイレを我慢すると股間が大爆発して死んじゃうらしいんですよ。うふふ、男の人って本当に不思議な生きものですよね」 「ぎゃはははは――なにそれ、自分めっちゃおもろいやん!」  衣服の上から腿や手をぱちぱちと叩きながら、見知らぬ栗毛の女が大笑いしている。トラヴィスは扉の前に立ち尽くしたまま戸惑いの色を浮かべていた。  しかし、彼の表情はすぐに険しいものへと変わっていく。  女の胸元で揺れる金の十字架と修道服、これらに嫌悪感を抱かない司書(ブックマン)はいない。少なくとも新人のエリーを除いては……。  なによりトラヴィスを苛立たせたのはエリーの軽率な行動である。こともあろうに彼女はユセルが作成した資料を部外者である修道女に見せていたのだ。それも心躍るミステリー小説を友人と共用するかのごとく。 「どういうつもりだ?」 「どうしたんですか? そんなに怖い顔して?」  トラヴィスからただならぬ雰囲気を感じ取ったエリーの表情からは、ざっと笑みが消えていく。途端に室内は痛いほどの静寂に包み込まれた。 「お兄さんちょっと怖いわ」  剣呑な雰囲気を敏感に感じ取った修道女は、場を和ませようと明るく振る舞っている。  その態度が逆に胡散臭かった。 「旅は道連れいうやろ? もうちょっと楽しくしようやぁ~。聞くところによればエリーちゃんは列車に乗ったんもはじめてやっていうやんかぁー」 「黙れッ!」  修道女の言葉を断ち切るように一喝したトラヴィスは、そのまま射殺すように女を睨みつけた。途端に凄まじい緊張がこの場を支配する。  修道女は参ったなぁ〜と有り顔を浮かべながら後頭部を掻いた。 「ラービナル教会の者だな」 「……いや、ウチはラービナル教会のシスターやないよ。お兄さんなんか勘違いしてるんとちゃう?」 「逆さに張り付けられた男。そんなおかしな十字架を身につける輩を、俺はラービナル教会以外に知らない」  自身の胸元に視線を落とした修道女は、「あちゃ~」と苦笑いを浮かべながら十字架を握りしめた。それからそっとトラヴィスの様子を窺うように片眉を持ち上げる。 「貴様の目的を答えろ。俺たちの足止めが目的か? それとも調査の撹乱か?」  トラヴィスが腰の短刀に手を伸ばすのを確認した修道女は、「――ちょっ!?」慌てて席を立ち上がった。 「たんま! たんまやってぇばっ! ウチは別に司書(おたくら)とやり合うつもりはないから! 気に障ったんなら謝るわ。この通り堪忍やで」  戦闘の意思がないことをアピールするように、修道女は両手を天井に上げている。トラヴィスは数秒女を睨みつけた後、警戒するように視線を全身に走らせた。 「ふぅ……。わかってくれたみたいで良かったわ」  少年が腰の短刀から手を離したのを確認すると、修道女は安堵のため息を吐き出す。  女が額の汗を拭いながら再び着席しようとしたその時、 「――おい!」  噛みつく声が耳朶を打つ。  厳しい声の主に目を向けた女は、自分を睨みつけながら扉を指差す少年の姿に気がついた。 「それはいくらなんでも傲慢とちゃう? ここは一般車両やろ? ウチがどこの客室で寛ごうがウチの勝手やんか」  最もな意見を口にする女に、 「……そうか。わかった」  トラヴィスは納め顔の女から顔をそらすと、そそくさと客室をあとにした。タイミングよく部屋の前を通りかかった車掌を呼び止めたトラヴィスは、有無も言わさぬ勢いで司書(ブックマン)時計を突きつけた。 「大図書館(パウデミア)司書(ブックマン)だ! これより司書(ブックマン)権限を発令する。今よりこの車両への立ち入りを制限する。現時刻を以てすべての乗客は別車両へ移動してもらう」 「りょっ、了解しました!」  一瞬目を見張りその場に固まる車掌だったが、次の瞬間には血相を変えて別車両へと駆け出した。やがて物々しいサイレンが響き渡ると、移動制限を伝えるアナウンスが聞こえてくる。 「……ほんま司書(ブックマン)いうんは独裁国の王様、暴君と変わらんな」  慍色の女が「邪魔! 退きぃやァッ!」トラヴィスにわざと肩をぶつけながら轟足で部屋をあとにする。 「あっ、そうそう」  思い出したように修道女がトラヴィスへと振り返る。 「どの道あんたがコセル村に来たところでどうにもならへんよ。あれは間違いなく悪魔による仕業やからね。悪魔退治はウチらの十八番、来るだけ骨折り損のくたびれもうけちゅうことやわ。じゃっ、無駄足ご苦労さんっ」  捲し立てるようにそれだけいい終えると、得たり顔の修道女は足早に別車両へと移動する。 「……」  トラヴィスは何事もなかったかのように扉を閉めると、エリーの正面に腰を下ろす。 「あ、あの……」  怯えきった小動物のようなうろうろ眼の彼女は、この状況が飲み込めないでいた。  トラヴィスは荒ぶる心を落ち着かせようと天を仰ぎ、一度瞑想にふけることにする。  このような権威を振りかざす行為はできるだけ取りたくはなかったトラヴィスだが、相手がラービナル教会となれば話は別だ。  トラヴィスたちがラービナル教会の祓魔師(エクソシスト)を足止めしようと考えているように、ラービナル教会もまた、大図書館(パウデミア)司書(ブックマン)の到着を遅らせようと企てていた。  致し方ない処置だったとはいえ、正当な賃金を支払い乗車した乗客たちには申し訳ないことをしたと落ち込むトラヴィス。  ――俺がもっと注意を払ってさえいれば……。  半年前のトラヴィスならばこれほど心を痛めることもなかっただろう。たった一度の失態が彼を弱く、人間らしくしてしまった。 「あ、あのぉ……」  か細い声音が湿った空気を震わせる。 「一分待て」  瞑想した状態のまま前方に掌を突き出したトラヴィスは、心を落ち着かせるように息を吸い、そっと吐き出した。その作業を何度か繰り返す。  エリー・リバソンは確かに大図書館(パウデミア)司書(ブックマン)だが、彼女は司書(ブックマン)になってまだ日が浅いことを思い出す。  本来ならば所属する部署の先輩にラービナル教会のことや祓魔師(エクソシスト)のことを教わるはずなのだが、エリーは教えられていなかった。記録部が育成指導を怠ったわけではない。  単に現場に出る時期があまりにも早すぎたのだ。そのため彼女は司書(ブックマン)にとって最低限の常識すら持ち合わせていない。  それを知っていながらフォローできなかったバディ――トラヴィスの失態である。 「トラヴィスさん……?」  少年は自嘲気味に笑った。  相変わらず自分は役立たずの凡人以下、まぬけだと再認識させられてしまう。  ――情けない。  腿に拳を振り下ろしては奥歯を噛みしめるトラヴィスだったが、落ち込んでばかりもいられない。  今は一刻も早く状況を確認し、彼女に司書(ブックマン)としての在り方を説かなくてはならない。 「すまん。取り乱した」 「いえ、その……私はなにかイケないことをしてしまったんでしょうか?」  身を丸めるような体勢からの上目遣い、エリーの脳内には〝はてなマーク〟が浮かび上がっていた。 「協力者(サポーター)が書き記した情報ってのはな、基本的に記録者(ライター)しか目を通さないものなんだ。外部の人間はもちろんのこと、俺たち調査者(トゥルース)が目を通すこともあまりない」 「私が彼女に資料を見せたのがまずかった、そういうことですか?」 「調査中の資料を部外者が見てしまったらどうなると思う?」 「どうって……」  こめかみに人差し指を当てた彼女が、唸りながら思考を巡らせている。 「つまりそういうことだ」 「えっ!? 私まだ何も言ってないですけど……」 「考えただろ? 本来考えなくてもいいことを必死に考える。司書(ブックマン)が調べている事件だと部外者が知ってしまうだけで、第三者は調査中の事件に思いを巡らせてしまう。その先で、人はよからぬ噂をはじめてしまうものだ」 「司書(ブックマン)自ら噂を喧伝してしまう恐れがある、そういうことですね!」  司書(ブックマン)が最も気を付けなければならないことは、安易に不安を煽ってしまわないことである。   司書(ブックマン)はこれまでに多くの謎や事件を解決してきた。その存在は世界中の人々が知るほどまでになった。それだけ強固な信頼を勝ち得てきたのだ。しかし、そこが落とし穴でもある。 「誤って司書(ブックマン)の資料を目にした者は、調査中の事件であってもそれを信じ、他人に話してしまう。真実の有無にかかわらずな」 「司書(ブックマン)が持っていた資料にそう書かれていたのだから、ってことですね」 「一度でも情報が一人歩きしてしまえば、それが司書(ブックマン)の言葉だと広まってしまえば、真実を塗り替えることは容易ではない。先代の司書(ブックマン)たちが築き上げてきた信頼も失いかねない。それらを回避するため、資料は基本的に記録者(ライター)しか見ない」 「トラヴィスさんも、調査者(トゥルース)も見ないんですか?」 「極力見ないようにしている。資料は飽くまで協力者(サポーター)が現地で集めた情報を記載したものだ。協力者(サポーター)とは司書(ブックマン)ではない。元々は一般市民だ。彼らは優秀だが、時に自身の考えを資料に書き込む者もいる。それを目にしてしまえば、否が応でも先入観は生まれる」  一度でも先入観を持ってしまえば、真実を見極められなくなってしまうことも十二分に考えられる。司書(ブックマン)はあくまで公平な目で真実を見極めなければならない。偏った思想は真実に靄をかけ、判断力の低下へと繋がってしまう。  それは時に悪魔の囁きにもなり得るのだ。 「だから記録者(ライター)が資料に目を通し、重要な部分だけを調査者(トゥルース)に伝えるんですね」  その通りだと頷くトラヴィス。 「今回の事件は特に慎重に行動すべき案件だ」 「というと?」 「さっきの女はラービナル教会の修道女。大図書館(パウデミア)でいうところの協力者(サポーター)に当たる人物だ」 「つまり、彼女たちもこの事件を調べているってことですか?」  少し違うとトラヴィスは首を横に振る。 「真実を求める大図書館(パウデミア)と違い、ラービナル教会の一番の目的は信者を増やすことにある。彼らにとって真実など二の次。大事なのはラービナル教会を少しでもよく思わせる噂を喧伝すること。そうやって彼らはこれまでにも、多くの信者を獲得してきたんだ」 「ラービナル教会は事件を利用しているってことですか?」 「一概にそうだと断定することはできない。過去にはラービナル教会の祓魔師(エクソシスト)司書(ブックマン)が協力したという例もある」 「今回は違うってことですか?」 「正直わからないというのが正しい。彼らの中には信念を持って祓魔師(エクソシスト)の仕事を行っている者も少なからずいる。だが、一方で教会の利益を追求するあまり、真実をねじ曲げようとする連中がいることも事実だ」 「真実をねじ曲げるって……!? 仮にバンパイアがいなかったとしても、自分たちででっち上げるってことですか!? そんなの誰が信じるんですか!」  興奮した様子で立ち上がったエリーは、身振り手振り交えながら口上。 「ラービナル教会がバンパイアを退治したと嘘の報告をしたところで、そんなの妄言だって片付けられますよね? 世の中そんなにバカじゃありませんから!」  そこまで言い切ったあと、「あっ!」エリーは何かに気が付いてしまったように手で口元を覆った。 「まさか……彼らは証人を作り上げるんですか?」  トラヴィスは肯定だと小さく頷いた。 「彼らは時に無関係の者を悪魔に取り憑かれたと言い張り、生け贄にすることがある」 「そんな……」  全身から力が抜け落ちてしまったかのように、エリーは座席に沈んでしまう。顔色は青白く、衣服を掴んだ手は小刻みに震えていた。 「協力者(サポーター)の情報によると、アルストリダム国の女王がラービナル教会の祓魔師(エクソシスト)をコセル村に派遣したことが確認されている」 「それって」 「さっきの女はまず間違いなく祓魔師(エクソシスト)の差し金だろうな。協力者(サポーター)が集めた情報を横取りするための、あるいは司書(ブックマン)に誤った情報を与えるための工作員、まあそんなところだろう」 「………」  星を散りばめたような瞳があっという間に赤く染まっていく。自らの軽率な行動に気が付いたエリーはひどく落ち込んでいた。  協力者(サポーター)が集める情報の中には命懸けのものもある。  実際に国の内情や戦火を走り回り、命を落とす者も珍しくない。大図書館(パウデミア)に届けられた資料は協力者(彼ら)の信念と誇りなのだ。  面白半分に話の種として扱うなど言語道断。決して許される行為ではない。 「私、イザベラさんのところに行ってきます!」  イザベラというのは先程の修道女のことだろう。 「行ってどうする気だ?」  真剣な表情で立ち上がった少女に、トラヴィスは声をかけた。 「私が話したこと、資料に書いてあったことを忘れてもらうようにお願いしてきます!」 「阿呆! そんなもん意味ないに決まってるだろ。それに、情報はとっくに伝書鳩によって飛び去ったあとだろう」 「ならっ、なら私はどうすればいいんですかっ!」 「真実を見極めろ。司書(ブックマン)にできることはそれくらいだ。それくらいだが、それこそが最も大切なことでもある」  しかし、実のところ今回のバンパイア事件に関する資料に記されているものは、どれも村に到着すれば簡単に分かることしか書かれていなかった。ラービナル教会に知られたところで、大図書館(パウデミア)側からすれば痛くもかゆくもなかったのだ。  けれどトラヴィスは、あえて彼女を怖がらせるような言葉を並べ立てた。それは裏を返せば彼女への優しさであり、彼女に対する期待の表れでもあった。  何事もはじめが肝心とはエトワールの教えである。  人は強烈な記憶ほどトラウマになって忘れないのだ。 「で、あの女は資料を見ただけなんだな? お前は何も吹き込まれていないんだな?」 「……はい」  完全に意気消沈してしまったエリーだったが、翌日には復活していた。  むしろやる気に満ちていた。  ラービナル教会よりも先に真実を見極めるのだと、資料に穴が空くほど何度も目を通していた。  こいつはひょっとしたら化けるかもしれないと、トラヴィスは密かに期待を寄せていた。
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