墓地

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墓地

 村の北西に位置する墓地に近づくにつれ、ジャックスの足取りは次第に遅々としたものへと変化する。気がつくと彼はトラヴィスの背後に移動していた。さらにどこからか取り出した大量の護符を体中に貼り付けていた。 「なんまいだー、なんまいだー」  念珠を擦り合わせる祓魔師(エクソシスト)に代わり、いつの間にかユセルが先導していた。 「お前は生前のオズマ・オーズに会っていたんだよな?」 「オズマ……誰だいそれは?」 「一昨日亡くなった男だ。昨夜宿屋で話していただろ?」 「ああ、吸血鬼に絞め殺された男か」  ――こいつ本当に調べる気あるんだろうな……? 「正確には絞め殺されそうになった、だけどな」 「同じことさ。実際にそのあと殺されちゃったんだから」  トラヴィスが引っかかっているのはそこだった。果たして本当にオズマは殺害されたのだろうか。仮に殺されたとするならば、毒殺でもない限り証拠は残るはず。  しかし、オズマの妻の証言ではそのような痕跡は見つからなかったという。 「お前はこれまでに悪魔が関わった事件に携わったことはあるのか?」 「事件……? 君、何か勘違いしているようだね」 「勘違い……?」 「僕が祓魔師(エクソシスト)になったのは先週だ! 司祭様は人手不足だって言ってたよ」 「……………………………………………あっそ」  誇らしげに口にするジャックスだが、それではただの数合わせではないかと、トラヴィスは少しでも期待しかけたことを自嘲した。  ――通りで頓珍漢なわけだ。  いくら人手不足とはいえ、こんなのを派遣されたアルストリダムもついてない。ラービナル教会にとってコセル村での吸血鬼騒動は、案外どうでもいいことなのかもしれない。 「でも、僕は過去に悪魔に襲われたことがあるよ! だから悪魔の恐ろしさを誰よりも理解してるつもりだ」 「襲われた? 悪魔に……?」 「ああ、そうさ。その時に家族も、まだ幼かった妹も、みんな悪魔に殺されたんだ!」  悔しそうに奥歯を噛みしめたジャックス。  トラヴィスは彼が誰よりも悪魔を恐れている理由が少しだけわかったような気がした。 「それで祓魔師(エクソシスト)の門を叩いたのか?」 「僕を助けてくれた人が祓魔師(エクソシスト)だったんだ。僕はその人に憧れてね」  どこかで聞いたような話だなと、トラヴィスはジャックスに親近感を覚えていた。 「悪魔ってのは殺した痕跡を残さずに人を殺めることが可能なのか?」  悪魔に対する知識が乏しいトラヴィスは、ここは素直に専門家に尋ねることにした。 「悪魔って一括りに言っても様々だからね。不可能ではないんじゃないかな? 悪魔だし」  ――つまり、まだ悪魔の可能性も零ではないということか。 「随分人が集まっているようですね」  ジャックスが村中に喧伝してしまったせいで、墓地には大勢の村人たちの姿があった。 「案ずることあらへんよ。今ジャックスが村を清めとるから。その証拠に見てみぃ! 死者がこれ以上這い出てくる気配はないやろ?」  村人たちは藁にもすがる思いから、跪いて修道女に祈りを捧げている。 「あっ、ジャックス!」 「ようやく村を清め終えたところだよ」  イザベラが少年の存在に気が付くと、トラヴィスの背後からひょっこりと顔を出すジャックス。また悪びれることなく調子のいいことを言っている。 「さすがジャックスやわ! だから問題ないってウチが言うたやろ!」  嬉々とした表情のイザベラを見上げた村人たちは異口同音、「良かった、良かった」と肩を叩き合っている。中には恐怖から解放されて泣き出す者までいた。 「ひぃっ!?」  一方村を清めたと豪語するジャックスは地面から飛び出した腐った腕に恐怖している。  その顔は今にも泣き出してしまいそうなほどだった。 「なんやいけ好かん司書(ブックマン)があとから来て手柄横取りしよう言うんやないやろな!」  トラヴィスを一瞥したイザベラはまだ列車での件を根に持っているらしく、喧嘩腰の態度だった。 「私たちは事情を聞いて様子を見に来ただけですよ」 「エリーちゃんは全然ええんよ、むしろ気が済むまでとことん見ていってぇやって感じやわ。ウチが言うとるいけ好かん司書(ブックマン)はそこの赤髪一人だけやからな!」  ふんと鼻を鳴らすイザベラを一瞥したトラヴィスは、気にする素振りも見せずに墓地に視線を向けた。山の麓に面したこの辺りは森が近く、少し先には鬱蒼と緑が覆い茂っている。地面には所々遺体の一部、腕や頭部などが見えていた。 「なるほど。確かに死者が地面から這い出ようとしていますね」 「這い出るね……とあたいは思ってみたりする」  不自然に地面から飛び出た遺体の一部を確認するエリーの傍らで、斜眼を向けるユセル。 「なんやそこの小さいの、なんか文句でもあるんか?」  疑わしそうな眼を向けるユセルに、イザベラは大きな胸を突き出した。 「……別になにもないさ牛女と、あたいはむっとしてみたりする」 「だ、誰が牛女やねん! 女性にとって胸はシンボルなんや! まっ、小さいお子ちゃまにはまだわからんのやろな」  ほ~れ、ほれ! と下乳を持ち上げる修道女に、ユセルは苛立ちの色を濃くした。いいな~いいな~と羨望の眼差しを向けるエリーとは真逆の反応である。 「……駄肉ブタ」 「な、なんやと!? 誰が駄肉ブタやねん! もっぺん言うてみぃっ!」 「胸は脂肪の塊。駄肉じゃないならなんだっていうのさと、あたいは思ってみたりする」 「胸がなかったら子供ができても乳をあげられへんて知らんのか! 無知なクソガキがっ」 「大きさなんて関係ないね。その時がくれば大きさに関係なく母乳は出るようになるのさ。それともあんたは年がら年中乳搾りができるほどに母乳が出るとでもいうのかいと、あたいは無知な女に言い返してみたりする」 「きぃッ~~~~! なんやねんこのクソ生意気なガキはっ!」  地面を踏みつけて憤怒する女を、ユセルは哀れなものを見るように犬目ではね退けた。 「どうだい? これで君も吸血鬼の存在を信じただろ?」  死者が地面から這い出ようとしている。そう思い込んで見たなら、確かにそう見えなくもない。閉鎖的な村で相次ぐ不審死と死の間際に残されたメッセージ。  〝パウロ・パウダーに首を絞められた〟  それが複雑に絡まった糸のように複合的に絡み合えば、恐怖心に駆られた者たちの目にはそのように映ってしまっても不思議ではなかった。  ――人の思い込みとは時に、真実から目を遠ざけてしまうものだ。  ゆえに司書(ブックマン)はさまざまな角度から複眼的に物事を見極めなければならない。 「亡くなったパウロ・パウダーは棺に納められ、丁寧に埋葬されていたと聞く。しかし遺体(彼ら)は棺に入っていない。それはなぜだ?」 「君も意外と莫迦だな。そんなの吸血鬼になった彼らが棺から抜け出して、そのまま地面に這い出たからに決まっているだろ」 「それは不可能だろ」 「は?」 「考えてもみろ。土の中で棺の蓋は開けられないだろ。それともお前は開けられるのか? もしも開けられるというのなら、マジシャンにでも転職することを薦める」 「それは……その………」 「すべてのご遺体が棺に入っているわけではございませんよ」  考え込んでしまったジャックスに代わり、口を開いたのは村長だ。 「どういうことだ?」 「棺も決して安くはありませんから、費用がなければ用意することはできません」 「ようするに、彼らは棺に納められることなく直に埋葬されたということか?」  仰る通りと頷く村長の話を黙って聞いていたジャックスが「ほら見ろ」と囃し立ててくる。  彼のことを無視するトラヴィスは、それならそれで新たな疑問が生まれると考えていた。 「バンパイア疑惑のある男――パウロ・パウダーは棺に納められていたと聞いたが?」 「ええ、彼は一人娘のネマが棺を用意しましたから、皆で丁寧に埋葬いたしました」 「ん……パウロの棺は娘のネマが用意したのか?」 「父親想いの娘でしたからね。彼女の恋人や友人たちも棺代をカンパしたそうです」 「友人……? それはジュリア・デップとパセリ・オーズ、それにマエリー・マドンか?」 「よくご存知で」  ――妙だな……。  パウロに暴力を振るわれていた娘が父親の棺代を支払う。それもその父親をぶっ殺してやると豪語していた恋人までもがその一部を支払っている。さらに彼女が父親に暴力を振るわれていたということを知っていた幼馴染み三名までもが代金の一部を負担……か。  さて、そんな不可解なことがあり得るのかと思案するトラヴィスの脳内では、散らばっていたパズルのピースが嵌るように、あるひとつの仮説が組み立てられようとしていた。  ――しかし、謎も残る。……が、今はこちらが先だな。  地面から這い出た死体の謎を片付けることが最優先と考えたトラヴィスは、改めて村人たちへと向き合った。 「あんたらがパウロ・パウダーの遺体を掘り起こした際、パウロの遺体は腐敗していなかったと聞いたが?」 「その通りです。驚いて腰を抜かした者までおりましたから」 「では、あんたらは何をそんなに恐れているんだ?」  トラヴィスの発言に村人たちは眉をひそめる。こいつは何を言っているんだと。 「あんた阿呆やろ! そんなもん見てわからんか? 吸血鬼と化した死者が地面から這い出て来とんねん。それも聞くところによれば今回だけやない。恐怖するんは当然やろ!」 「イザベラのいう通りだ。これは異常だ。祓魔師(エクソシスト)の僕が言うんだから間違いない」  村人たちの代わりに異を唱えた二人を、トラヴィスは真っ向から否定する。 「吸血鬼と化したパウロの肉体は腐っていなかった。にも関わらず、パウロ同様吸血鬼と化した彼らの肉はなぜ腐っているんだ? 吸血鬼の肉体は腐るのか?」 「それは……」  この中で最も悪魔に詳しい祓魔師(エクソシスト)に尋ねてみると、彼は焼き印のようなしわを眉間に刻みつけたまま黙りこくってしまう。  つまりそういうことだろうとトラヴィスは言った。吸血鬼の肉体は腐らない。であるならば、土の中から這い出でようとしている彼らは吸血鬼ではない。なぜなら彼らの肉は等しく腐っているのだ。これこそが、彼らが吸血鬼ではない証拠だと。 「でも待ちぃや! ならこの死体はどうやって地面から這い出て来てんな」 「イザベラのいう通りだ。それにあれを見ろ!」  ジャックスが高らかに指差したその先には、輝く太陽が素知らぬ顔で燃えていた。 「彼らは吸血鬼と化した後、一度は地面から這い出ようと試みた。が、思った以上に地上に出ることに手間取ってしまった。そうこうしてる間に陽が昇り、彼らは陽光を浴びて腐ってしまったんだ!」 「なるほど。面白い推理だ」  バンパイア伝説によると彼らは等しく太陽の光に弱い。それを踏まえた上でのジャックスの推理はとてもユニークなものだった。しかし、バンパイア伝説では陽の光を浴びたバンパイアは灰になると書かれていた。が、見たところ地面から這い出た遺体は灰になっているわけではない。腐ることと灰になることに大した違いはないのだが、大切なのはバンパイアが陽の光を浴びて朽ち果てているという事実。 「ではジャックスの説が正しいとすれば、陽光に当たっていない肉体は腐っていないということになる」 「え……ああ、まぁ……そうなるね」  「では掘り返して確かめてみるとしよう。陽を浴びている箇所だけが腐っているのか、あるいは陽を浴びてない箇所も腐っているのか」  ジャックスはイザベラに助け船を求めるように視線を投げた。彼女は忌々しそうにトラヴィスを睨みつけると親指の爪を噛み、修道女として最もらしいことを口にする。 「そんな罰当たりなこと許されるわけないやろ!」  墓を暴く行為は死者への冒涜とされる、場合によっては重罪もあり得る。  されど、このような場合は致し方ない行為とされ、どこの国でも認められていた。  実際にコセル村の人々は一度パウロの墓を掘り返している。 「一度は掘り返したんだ。今さら気にもしないだろ?」  そうだろと村人たちに顔を向けると、皆気まずそうに顔をそらした。 「それになにより、遺体をこのまま放置ってわけにもいかないだろ? そんなことをすれば死臭は漂い、最悪疫病が蔓延する。なによりこのまま放置することこそ、死者への冒涜に繋がると俺は考えるのだが?」  それもそうだと納得する村人たちと、不満そうにしかめっ面を作り続けるイザベラ。ジャックスはこれを掘り返すのかよ、「うぇー」となんとも言い難い面構え。 「私、近くのお宅に道具を借りてきます」 「あたいも行くよと、あたいは駆け出してみたりする」
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