モリアールの悲劇

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モリアールの悲劇

「お待たせしました!」  資料を準備するから待っていてほしいというエリーの申し出を受け入れ、トラヴィスは三十分ほど大図書館(パウデミア)の門前で彼女を待つことにした。 「な、なんだよそのだっさい背嚢は!?」  しばらくすると兎型の背嚢を背負った彼女が現れた。その恰好はとても記録者(ライター)とは思えない姿だった。  どちらかというと協力者(サポーター)――そう呼ばれる者たちに近い恰好である。 「ださい……? トラヴィスさんてセンス皆無なんじゃないですか? これうさちゃんですよ? めっちゃ可愛いじゃないですか! 私のお気に入り、アニマルリュックシリーズ第一弾です!」 「第一弾だと!? そんなダサい背嚢がまだ何種類もあるのかよ!」 「だからダサくないんですって。まだ十八なのにトラヴィスさん感覚老人化してますよ? そんなことでは時間の問題で精神的老人ホーム入居確定ですね」 「は? すまんが、俺にもわかる言葉で言ってくれるか?」 「つ・ま・り・女の子の持ち物はとにかく褒めろ! ですよ、童貞さん」 「どっ……」  ブチッと何かが切れる音が頭蓋の奥に響いた。 「私の行きつけのお店でいいですよね?」  彼の気持ちなどミジンコ程も察することのない少女は、何を怒っているんです? 便秘ですかと天真爛漫な笑顔を見せる。  トラヴィスは非行少年よろしくと言わんばかりの「あぁん?」威嚇気味に喉を鳴らした。  ――が、エリー・リバソンはそんな彼のことなどどこ吹く風。 「カフェですよ」 「……」  むっとした表情で焼印のようなしわを眉間に刻みつけるトラヴィスだったが、すぐに言うだけ無駄だと悟ってしまう。 「なら早く案内しろ」 「うふふ。まるで不思議の国のアリスですね」 「言ってろ」  嬉々とした表情で歩きはじめた彼女の横をトラヴィスも歩いた。  エリーの行きつけだというカフェに向かう道中、トラヴィスはやたらと彼女の視線を感じていた。  ちら……ちらちら。 「さっきからなんなんだよ! はっきり言って鬱陶しいぞ!」 「トラヴィスさんはどうして司書(ブックマン)になられたんですか!」  何事にも好奇心旺盛なエリー・リバソンは、少なからずトラヴィス・トラバンに興味を抱いていたのだ。  少年は少しめんどくさいやつだなと辟易した――のだが、すぐに考えを改める。  仮に今回の仕事が反故になったとしても、今後彼女とはバディを組むことになるかもしれないと考えたのだ。  悔しいが、自分と組んでくれる記録者(ライター)などへんてこな彼女くらいしか思いつかなかった。  したがって、トラヴィスは自分の過去を少しだけ語ることにした。  ――別に隠すほどのことでもない。 「お前、モリアールの悲劇を知っているか?」 「モリアール――」  沈思黙考。  記憶の本棚をあさり始めた彼女は、やがて一冊の書物に行き当たる。 「たしか敗戦したヘルナンド王国が不況に陥った際、莫大な増税が領主たちに課せられた事件ですよね?」 「ああ」  トラヴィスはその通りだと首肯した。  それが一体彼が司書(ブックマン)になる事とどのような関係があるのだろうかと、彼女は銀河を照らし出す太陽のように爛々と瞳を輝かせる。 「当日のヘルナンドは貧困がひどくてな、税の支払いが滞った貴族が次々と爵位を剥奪されていったんだ」  中でもモリアール卿が領主を任されていた村や街などでは、連日のように野盗に襲われるという被害が多発した。  国や土地が痩せ細れば否が応でも犯罪率は上昇する。モリアール領地も例外ではなかった。 「でも、真実は違ったんですよね?」 「ああ、その通りだ」  モリアール内の領土ではたしかに野盗による被害が相次ぎ、大勢の命があとを絶たれてしまった――のだが、それらを仕組んだのはモリアール卿本人。  つまるところ、彼の自演自作だった。 「当時のヘルナンド王国の税収システムには大きな問題があった」 「どんなシステムだったんですか?」 「ヘルナンドでは領地の広さだけでなく、そこで暮らす人々の数に応じて税がかけられていたんだ」 「……無茶苦茶ですね」  人口こそが豊かな証拠とされたヘルナンドでは、領地に人が集まれば集まるほど農業や商業が活気づいた。それだけ多くの税を賄えたのだ。  戦争が始まり、やがて終結するまでは……。  敗戦国となったヘルナンドではこれまでのような活気は失われ、平民は明日の食事すらもままならない状況にまで追い詰められていた。  その年のヘルナンドでの餓死者の数は百万とも二百万とも云われたほどだ。  それはモリアール領で暮らす人々も同様であった。隣国との戦争に負けたヘルナンドでは、これまでのような商業が成り立たなくなっていった。 「どうしてです? それまではとても栄えていたんですよね?」 「敗戦国ではよくあることでな。……輸出・輸入に関する税が見直されたのだ」  ヘルナンドから隣国に輸出・輸入する際、これまでの三倍という法外な額の税が条約として結ばれた。逆に隣国からヘルナンドへ輸出・輸入する際の税は免除という条約も結ばれることになる。 「それじゃあヘルナンドの人々は奴隷じゃないですか!」 「それが戦争に負けるということであり、植民地になるということだ」  一方的な条約により、ヘルナンドは国内での商業が成り立たなくなっていった。それは疫病のように蔓延し、やがて農業にも取り返しがつかない程の打撃を与えることになっていく。  商業が破綻すれば、必然的に多くの人々が職を失う。やがて人々は飢えを凌ぐために犯罪に手を染めはじめる。まさに負のスパイラルである。 「そこで金策に困り果てたヘルナンド王家はまさかの愚策を取ってしまったんだ」 「増税……ですか」 「ただでさえ支払い不可能になってしまった税に、追い打ちをかけるような増税だ。支払える領主などいるわけがない」  モリアール卿は少しでも税を軽減するための策として、野盗を雇い、各地に放った。 「どうしてそんなことをするんですか!?」 「システムの穴をついた……減税だ」 「!?」  広大な土地×人口によって支払う税が変動するならば、人口が減ってしまえば収める税は減額される。 「だから……虐殺をっ」  トラヴィスの両親もそのとき還らぬ人となった。 「しかし、その事実はしばらく誰にも知られることがなかったんだ」 「隠蔽、ですか?」 「モリアールはとても慎重なやつだったからな」  トラヴィス自身、両親や友人は野盗に殺されたと思い込んでいた。  だが、モリアールの嘘を見破り、真実を突き止めた男がいた。  世界一の司書(ブックマン)と呼び声高い――エトワール・ワイゼン・ワイルド。  彼は独自の調査で真実へとたどり着き、それらの事実を世界に公表した。  真実を知った人々は怒り狂い、各地で内戦が勃発。モリアールもその時に死亡したとされている。 「あの時の俺にとって、エトワールはまさにヒーローだった。だから俺は八歳で世界最高の司書(ブックマン)の門を叩いたんだ」 「えっ!? じゃあトラヴィスさんは四大司書の一人――空白の司書(ヴァールハイト・ブックマン)エトワール・ワイゼン・ワイルドの弟子なんですか!?」 「破門されたがな」 「ええええっ!? どういうことですか!? 興味津々です! 見極めたいです!!」 「近いっ!」  トラヴィスの正面に周り込み、爪先立ちで顔を覗き込んでくる少女の顔を、うんざりした様子のトラヴィスが手ではねのける。 「つーかカフェはまだかよ」 「もう見えてますけど……って話をそらしましたね!」 「うっさい。俺のことより例の話が先だ」  ぷくーっとシュークリームのように膨れた彼女が、諦めきれない表情のまま前方のカフェを指さした。  少年はまっすぐカフェに向かいながら陽の光に目を細める。  あの日も今日のようによく晴れていたなと……。
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