吸血鬼事件

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吸血鬼事件

「雰囲気よくないですか? ここ、私のお気に入りなんですよね」  レトロ調で落ち着いた雰囲気のカフェにやって来た二人は現在、店の奥、窓際の席に向かい合う形で腰を落ち着かせている。  店内はカフェというよりはバーのような作りで、カウンター席の奥の棚には酒類のボトルが所狭しと並んでいる。  そこから見える真実は、この店が夜には装いを新たに、酒場に変化するということくらいだろうと、さっと店内を見渡したトラヴィスは考えていた。  慣れた様子で飲み物を注文するエリーに何を飲むかと尋ねられ、トラヴィスは好物の牛乳を頼むことにした。  数分後――湯気まくミルクティーと新鮮な牛乳が運ばれてくる。  エリーは大人の余裕を演出するように、一度にっこり微笑んでから運ばれてきた飲み物に口をつけた。それから誇らしげに店内に視線を向けた。 「いいお店でしょ?」  まるで舞台女優にでもなったかのように頬杖をつく彼女の仕草が鼻についたトラヴィスは、ふんっと鼻を鳴らしては乱暴に杯を掴み取り、一気に喉の奥に流し込んだ。  ドンッ!  飲み終えた杯をテーブルに叩きつけたトラヴィスは、深い目つきでひと思いにふける。  事件の詳細を彼女から聞いてしまえば、不透明な歴史(コールドヒストリー)と知りながらも自分は挑んでしまうのではないかと不安に駆られていた。  トラヴィスにはエトワールに叩き込まれた司書(ブックマン)魂――未知への探究心という呪いがかけられている。  であるならば、はじめから彼女の話など聞かなければ済む問題なのだが、死者が生き返る。にわかに信じがたい事件を耳にしてしまえば、彼の中に眠る好奇心と探究心がうずかないわけがない。  それになにより、話を聞かずに眼前の少女を説得することなど不可能。  話を聞いた上で……ならばあるいは納得してくれるかもしれないと考えていた。  ――記録者(ライター)であるエリー・リバソンが手を引くとなれば、流石のライリーもわかってくれるだろう。まさに完璧な計画だ。 「それで、死人が生き返ったとはどういう冗談だ?」 「冗談でも嘘でもありませんよ。事実です!」  足元に下ろした兎型の背嚢から、エリーは丁寧にファイリングされた資料を取り出す。 「………」  赤子を抱きかかえるように資料を胸に抱え込みにやけ面を作る少女に、嫌な予感が苦いげっぷのように口に広がる。  ――やはり間違いない。こいつは謎熱狂者(イマジン・イーター)だ!  司書(ブックマン)を志す者の中には、稀にエリー・リバソンのように謎に対する探求心を抑えきれなくなる者がいる。  大図書館(パウデミア)では彼らを謎熱狂者(イマジン・イーター)と呼称した。 「事件が起きたのは今から三ヶ月ほど前のことです――場所はアルストリダム国の西に位置する人口五百人ほどの小さな村、コセルで起きました。最初の犠牲者は三十代の男性で――」 「ん……? ちょっと待て!」  資料を読み上げる彼女の顔の前に掌を突き出したトラヴィスは、不可解な面持ちで眉を曲げた。 「どうかしました?」 「死人が生き返ったという事件と、三十代の男が犠牲になった事件が一体どう関係する? 俺たち司書(ブックマン)は後世に伝えるための重大な歴史は記録するが、歴史的に重要ではない人物をいちいち記録したりはしない。そんなことをしていたら司書(ブックマン)がいくらいても追いつかないからな」 「ですね。しかし事件の全貌を知るためには、これはとても重要なことなんですよ」  微笑を浮かべる少女が続けても……? 小首をかしげた。 「ああ」  話の腰を折って悪かったなと声をかけ、トラヴィスはテーブルの下で足を組み替えた。 「亡くなった男性は死の間際、ある人物に首を絞められたと証言しています。しかもですっ! 男性が何者かに殺害されてから八日間の間に、犠牲になった村人の数は九人! そのすべての犠牲者が、やはり死の間際、一番最初に亡くなった被害者と同じ証言をしたそうです」 「何者かに首を絞められたってか?」 「はい!」 「そりゃただの殺人事件だろ」 「そう思いますよね~♪」  ルンルンルンと声のトーンを三段階ほど引き上げた少女が、嬉しそうに肩を揺らしている。   「ミステリーはここから始まるんですよ!」 「ミステリー……ね」  人が死んでいるというのにこの女は随分嬉しそうだなと、呆れを通り越して笑えてくる。 「亡くなった九人が死の間際、首を絞められたと証言した人物は実はっ! 第一の犠牲者が亡くなる十週間前に亡くなっていたんです!!」  ばんっ!  と、勢いよくテーブルに両手をついたエリーが、興奮した様子で身を乗り出した。  そこに大人びた少女の姿はなく、どちらかといえば変態と呼ばれる人種に近い。  トラヴィスも困惑の表情を浮かべている。  ――一体今の話のどこに興奮するポイントがあったというのだ……さっぱりわからん。 「し、死人に殺された、か……」 「ですです!」  トラヴィスはテーブルに飛び散ったミルクティーを布で拭き取りながら、懐疑的な目を少女に向けた。 「あっ! その目はこの事件をただの殺人事件だと思っていますね!」 「死んだと思われていた人物は実は生きていて、村の連中に復讐してるってオチだな。よくある殺人トリックだ」  しょうもないと吐き捨てたトラヴィスに、 「残念! 全っっ然違いますから!」  してやったりと大喜びの少女にいらっとしながらも、トラヴィスは必死で怒りをこらえていた。ポケットからハンカチを取り出し、顔中に飛び散った彼女の唾液を拭き取っていく。  ――興奮しすぎで唾飛んでんだよっ! この野郎!! 「犠牲となった者たちが首を絞められたと証言した人物――パウロ・パウダーはたしかに馬車から落っこちた際、頭部を強打して亡くなってるんですよね~!」  ――だから人の死を喜ぶな、この謎熱狂者(イマジン・イーター)めっ。 「証拠は? そいつが死んだっていう確かな証拠はあるんだろうな? 俺なら墓を暴いて確認するが?」 「当然です。村の人たちも実際に墓を掘り返したらしいですよ」 「……つまり、死体はあったと?」 「ですね。しかもただの死体ではありません」  ――ただの死体ではない?  顎先に手を当て沈思黙考するトラヴィスだったが、あかん、さっぱりわからんと匙を投げた。眼前の少女に尋ねるのは気が引けたが、少年も好奇心には勝てない。 「で……その、どういうことだ?」  甘味をねだる子供のような少年に、少女はにやりと口端を持ち上げる。 「気になります?」 「……」  むっと額に青筋を立てた少年を見やり、冗談ですよと少女は苦笑する。 「棺を開けて死者を確認した村人たちは見てしまったんです。十週前に死んだはずの男が、まるでさっきまで生きていたかのように眠る姿を……」  資料ファイルには男の遺体は腐敗していなかったと記されていた。  腐らない死体、それは確かに妙だなとトラヴィスも思う。 「しかもですね! 十週前に死んだはずの男の髪や髭、それに爪が伸びていたらしいんです」 「そんな莫迦なっ!?」  思わず椅子から尻を浮かしてしまう。  トラヴィスが驚いたことに気をよくしたエリーは、嬉しそうなにやけ面を作った。 「うっ」  にたにた顔のエリーと目が合ったトラヴィスは、恥ずかしそうに咳払いをしてから席に座り直した。 「驚くべきはそれだけではありません」 「まだなんかあるのかよ?」 「男の遺体は美しいまま棺の中で眠っていたんですけどね、口や鼻など、顔中に血液がべっとりついていたんですよ。まるで誰かの血を飲んでいたような、真新しい血液が」 「十週前に死んだ男に、真新しい血液……か」 「ですです。不思議です」  ――それが事実なら、確かに奇怪だな。  死んだはずの男が黄泉の国から蘇り、村人を次々に襲った後、再び自ら棺の中に戻っていく、実に気色が悪い。 「……?」  うふふと可憐に笑うエリーは、まだなにか隠しているのかトラヴィスの反応を窺っていた。 「その様子だと、まだ他にもあるんだろ?」 「はい!」  待ってましたと快活な返事が店内に響き渡る。 「トラヴィスさんはバンパイア伝説をご存じですか?」 「人の血を吸うって怪物の話だろ? たしか死者に魂が戻って夜な夜な人を襲うってやつだったよな? まさか……死んだパウロ・パウダーがバンパイアだっていうわけじゃないだろうな?」 「残念ながら、今のところそれしか考えられません。なぜなら――」 「なぜなら?」 「パウロの遺体に戦慄した村人たちは、彼の心臓に銀の釘を打ち込んだんです。すると、死んだはずのパウロが断末魔の悲鳴を上げたんです。ぎゃぁああああああっ――てな感じで」  エリーは左手で自らの首を絞め、右手を天井に伸ばしている。どうやら杭を打たれたパウロを再現しているようだ。 「……」  トラヴィスはそんな彼女に冷ややかな半眼を向けていた。 「随分楽しそうだな」  指摘されたエリーは緩慢と身をくねらせながら頬に手を当てている。まるで甘い甘味を食した時のような反応に、トラヴィスはカオスだなと頭を抱えた。 「仮にパウロがバンパイアだったってんなら、銀の釘を打ち込んだ時点でこの事件は終わっているんじゃないのか?」 「ところがこの話にはさらに続きがあるんです」 「続き……?」 「バンパイアに噛まれた者はバンパイアになってしまうという言い伝え、聞いたことありますよね? だから村人たちはパウロと犠牲になった者たちの遺体を灰になるまで焼いたそうなんです。しかし、被害は収まらなかったんです」  ――バンパイア疑惑のある者たちを灰にしても意味なしか……。 「やはりバンパイアの仕業ではなかったということだな」 「いいえ」  それが違うのだとエリーは言った。 「たしかにバンパイア疑惑のある遺体は灰になるまで焼かれたんですけど、実はパウロは家畜なども噛んでいたらしいんですよ」 「家畜……? 家畜がバンパイアになって人を襲っている……そう言いたいのか?」  そんな阿呆なと思うトラヴィスだったが、証拠がない以上断言はできない。  それらを否定するためには、否定するための証拠が必要だ。証拠を提示できないのであれば、否定する権利すら与えられない。 「いえ、家畜が人を襲っているのではなく、問題はその家畜の肉を食べた人が死んだということです。その数、三ヶ月で十七人」 「多いな」 「彼らもまた、死の間際に同様のことを言っていたらしいです」 「パウロ・パウダーに首を絞められた……か」 「はい! 私興味津々です! 是非この事件を見極めたいんです!」  ――またあの瞳だ。  トラヴィスは一番星のような彼女の瞳から目をそらした。  逃げ続けてきた少年には少女の純粋さが眩しかった。  トラヴィスが落ち着くように声をかけると、エリーは少し取り乱してしまいましたと照れくさそうに笑った。それから再びティーカップに口をつける。  赤毛の少年は思考の海に身を沈めながら、少女から聞いた話を整理していた。  世界の歴史を振り返れば、超自然的理由による事件は確かに存在する。それらは例がいなく不透明な歴史(コールドヒストリー)として片付けられて来た。  ――いや、ベート事件があったか……。  トラヴィスは死者数百人を出したベート事件を思い出していた。  誰も解き明かせなかった不透明な歴史(コールドヒストリー)であったが、史上最高峰と謳われるエトワール・ワイゼン・ワイルドが解決した事件である。  結論からいうと、犯人は狼男だった。  トラヴィスも実際にその目で見た訳ではないが、エトワールが虚偽の報告をするわけがない。  なにより、ベート事件は法王により真実と認定されていた。  ――超自然的理由、バンパイアか……。
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