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 図書館から帰宅すると、食欲をそそる匂いがリビングから漂ってくる。 「かなくん、おかえりぃ~」  出迎えてくれたのはエプロン姿の幼馴染だ。テーブルの上には豪華な手料理がずらりと並べられている。 「あれ……今日って誰かの誕生日だったっけ?」 「ミチルちゃんの歓迎会をしようと思って。ノブくんも誘ったんだけど用事があるんだってぇ。高校に入ってから付き合い悪いよねぇ~」 「ちゃんと裏道さんの歓迎会だって伝えたのか?」 「うん、言ったよ。なんでぇ……?」 「いや、まぁ……うん。気にしないでくれ。で、その本人は?」  ――危うく親友の好きな人をばらしてしまうところだった。 「部屋に居るよ。考えごとがあるんだってぇ〜。いつまでもかなくんのお世話になるわけにもいかないからじゃないかなぁ?」  そっかと相槌を打ち、それから一階に下りてきたミチルと三人だけで歓迎会を開いた。  会がお開きになったのは二○時頃。ミチルと交互に風呂に入った奏多が居間にやって来ると、パンツスーツ姿のミチルが立っていた。 「……なんで風呂上がりにスーツなんて着てるんだよ?」 「こっちは天道くんのよ」  質問には答えてくれず、ミチルは男性もののスーツをそっと奏多に差し出した。 「父のスーツを天道くん用に仕立て直したから、サイズは合うはずよ」  スーツを持つ彼女の手には、夥しい数の絆創膏が貼られていた。 「ずっと部屋でこれを……?」 「少しでもカモフラージュになればと考えたんだけど。あまり意味はないかもしれないから、期待はしないでおくことね。靴は縁側に置いてあるから、準備ができたら来てちょうだい」  彼女は彼女なりに昨日の一件を気にしていた。少しでも彼が危険を避けられるようにと、カモフラージュ用のスーツを仕立てていたのだ。  不器用な彼女の優しさが伝わったのか、奏多の顔には小さな笑みがこぼれていた。 「よし、着替えるか」  二十一時にはスーツに着替えた二人が縁側でアビルのカーテンを見上げていた。  沈黙が流れる。風に草木が揺れる音、虫の鳴き声がはっきりと耳に入ってくる。 「お父さんの死の真相を知るために、会いに行くのか?」 「……誰に聞いたのかしら? ま、堤下くんと言ったところかしら?」 「なんで知ってるの?」  奏多は怪訝に彼女の横顔を見つめる。ミステリアスを絵に描いたような少女は、微動だにすることなくカーテンを見上げていた。 「【可能性】では自分の未来しか視れないはずだよね? 放課後、僕がどこにいて、誰と会っていたかなんて裏道さんにはわからないはずだよ」 「……ええ、そうね。でも、いまは気にしなくてもいいわ。すぐに嫌でも分かることだから」  「どういう意味……?」 「なにかあったら二人に……いえ、なんでもないわ」  何かを言いかけたミチルだったが、言葉を飲み込んでしまう。 「行きましょうか?」  多少迷いはあったものの、奏多はミチルの手をとった。  精神病棟を彷彿とさせる真っ白な空間に二人は佇んでいる。少年の手を離して歩き出す少女に、少年は入る扉は決まっているのかと尋ねた。 「昨日と同じ556号室よ」 「どうして昨日と同じ扉に?」  後頭部で一纏めにした髪を揺らす少女に問いかけた。 「これといった理由はないわ。ただ、はじめて行く場所だと混乱してしまうでしょ?」  ――目的はあくまでシステム管理者を見つけ出すことにある。毎回違う世界に行く必用はないということか? 「でも……556号室まで行けるのか?」 「それなら心配ないわ。昨日天道くんが猪突猛進してくれたお陰で迷わずに済みそうよ」 「……そっか」  目的の扉を見つけ出すこと自体困難な空間で直進し続けること三十分。【556】と表記された扉が二人の前に現れる。 「行くわよ、天道くん」 「ああ」  少女の問いかけに力強く返事をした少年は、決然と暗闇に足を踏み入れた。 「ん……どこだここ?」  確かに昨日と同じ【556】の扉から入ったはずなのだが、昨日とは違う場所に出てしまった。四方を壁で遮られた狭い空間に少年と少女はいた。 「狭いわね。それに少し臭うわね」 「あ……」  少年の目下には使い古された便器があった。 「――ってなんで公衆トイレなのよ!」  昨日と違うじゃないと文句をいう少女に、僕だって知らないよと少年は頭をかいた。 「とにかくすぐに出るわよ」  公衆トイレから飛び出した二人は、現在地を確認するように周囲に視線を投げた。 「公園……?」  そこはデタラメな街の中に設けられた簡素な公園だった。錆びついた滑り台とブランコが設置された公園には、小さな子供が一人いるだけ。 「なんで公園なんだ?」 「天道くん、そんなこと私が知るわけないじゃない。本来ならシェルパである天道くんが私に説明してくれなきゃいけないことなのよ」 「僕だって好きで案内人なんかになった訳じゃないんだよ。今だって全然わかんないしさ」 「いまは天道くんの愚痴や不満に付き合っている暇はないの。すぐにここから移動してシステム管理者を見つけ出すわよ」 「――あっ、ちょっと!?」  勢いよく頭を振ったミチルの髪が奏多の顔にクリーンヒット。なにすんだよと顔をそむけた奏多は、一人ブランコに揺られる幼女と目が合った。年は五歳くらいだろうか? 幼女は奏多ににんまり微笑んだ。  そのとき、ふと思い出した。この世界の住人は働くだけというミチルの言葉を……。  ミチルは公園の外に向かって歩き出していたけど、奏多は反対方向、幼女に向かって歩き出していた。 「ちょっと何をしているのよ天道くん。まさかその年になってブランコに乗りたいなんて言わないわよね?」  喚き散らすミチルが奏多の肩を掴み取っても、奏多は幼女から目を離すことができない。 「裏道さん、あの子……なんか変じゃないか?」 「変なのは天道くんの方よ。もたもたしていたらまたセキュリティに見つかってしまうわよ」 「わかってるけどさ、あの子ブランコで遊んでるんだよ」 「天道くん、帰ったら園児たちに混じって好きなだけブランコに乗りなさい。許す、この際だから私が許すわ。だから今はピーターパン症候群を抑えてもらえないかしら」 「いや、僕じゃなくてあの子がブランコで遊んでいるんだよ」 「天道くん、幼女がブランコで遊ぶことは至って自然な……ことよね?」 「そうだね。僕たちの世界では確かに普通だ」  アビルの外では当たり前の光景でも、アビルの中では奇妙な光景だった。 「どうして……あの子ブランコに乗っているのよ?」  ミチルは夢遊病患者のような足取りで一歩、また一歩と幼女に向かって前進する。その顔はしかめっ面とも泣きっ面ともつかない顔だった。  そして幼女もまた、跳ねるようにブランコから飛び降りると、一直線に奏多へと歩み寄ってくる。立ち止まった幼女はオーバーオールの前ポケットから一枚の紙切れを取り出すと、それを奏多へと差し出した。 「僕に……?」 「うん、ちゃんと配達したよ」  仕事を終えた幼女が無邪気に笑うと、奏多とミチルが怪訝に顔を見合わせた。 「それ、一体何が書かれているのよ?」  おそるおそる二つ折りのメモを開いて中を確認してみると、【監視塔で待っている】一言だけ書かれていた。 「なんだこれ……? というか待ってるって誰が?」 「それに監視塔ってなによ……?」  謎のメッセージに困惑する二人に、「あれ」幼女がはるか彼方を指さした。 「へぇ~、あれが監視塔ってわけね」  無謀な挑戦者のような顔つきで、ミチルは摩天楼を見据えている。 「まさか……行くつもりなの? こんなの絶対に罠だよ!」 「ええ、そうね。でもせっかく招待してくれたのよ? 断るのは失礼じゃない」  そう言ったミチルの相貌は言葉とは裏腹で、まるで獲物を捕食した獣のようだった。
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