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「……裏道さん」 「あら、天道くんじゃない。一体こんなところまで何をしに来たのかしら? 土足で人の家に上がり込む行為は不法侵入というのよ? 幼稚園児でも知っていることよ」  震える男をぼんやりと目下に眺めながら、彼女は淡々とした口調でそう言った。 「裏道さんにだけは言われたくないな」 「あら、心外ね。私は靴は脱いでいたわよ」 「たしかに、それを言われると言い返す言葉がない。でも一つだけ確かなことがあるとすれば、裏道さんには誰も殺せないということだよ」 「天道くん、言ったわよね? 私は仏様ではないの。冷酷無慈悲な女なのよ」 「本当に冷酷無慈悲な人は、自分のことを冷酷無慈悲なんて言わないと思うよ。それに、彼から僕を助けてくれたじゃないか」  奏多は顔面血だらけの男に視線を移し、再び彼女を見た。その間も彼女は微動だにしない。 「それは天道くんが死ねば還れなかったからよ。私が天道くんを置き去りにすることはあっても、助けることなんて絶対にありえないわ。思い上がりもいいところね」 「あれは確かに酷かったね。あのあと僕は本当に死にかけたんだよ」 「……そう。天道くんは見かけによらず意外とタフなのね」  うわの空の彼女には、何を言っても少年の言葉など右から左にこぼれ落ちてしまうのだろう。それでも、少年は少女を連れて帰ると決めている。それだけは何があっても変わらない。 「帰ろう……裏道さん」 「……ここが私の家よ」 「ここは過去に裏道さんが住んでいた家だよ。いまの裏道さんの家は、僕と同じ、築六○年の木造建てだ。裏道さんの部屋は僕の向かいにあって、一階の居間には料理のできない裏道さんが作ったひどい料理の数々が並んでいるんだよ」 「天道くん、それはとても心外だわ」 「でも事実だろ? ……どうしても裏道さんが駄々をこねて帰りたくないって言うんなら、仕方ない。裏道さんが冷酷無慈悲な人ではないことを、僕が証明してあげるよ」 「天道くん、なにをしても無駄よ」 「それはどうかな?」  一歩、また一歩とミチルに歩み寄る奏多は、そのまますっと彼女の横を通り過ぎた。奏多の視界を炎が覆い尽くす。メラメラと豪快な音を奏でる炎の前で、奏多はクルッと踵を返した。 「……天道くんは一体全体なにをする気なのかしら?」 「僕と一緒に帰ると言わないのなら、僕は裏道さんが放ったこの炎に身を投げるよ。人を殺すことはもちろん、人が死ぬところも見たくないから、こんな方法を選んだんだろ? 本当にズル賢い裏道さんらしいやり方だよ。だから、先によく見ておくといい。生きたまま焼かれる人間の末路がどれほど悲惨か」  ようやく叔父から少年に視線を移動させたミチルは、「天道くんにはそんなことできないわよ。……脅しても無駄よ」言いながらも彼女は彼から目を離すことはなかった。 「なるほど。そういう【可能性】を視たということかな? だけど裏道さん、それは飽くまで可能性だ。未だ見ぬ可能性を僕が裏道さんに見せてあげるよ」  奏多はミチルから視線を外すことなく後ろへ、わずかに後退する。 「ぐぅぅっ……!?」  灼熱の炎が背中をなであげる。気が遠くなるほどの熱さと痛みに襲われた奏多の顔が歪んでいく。 「奏多!?」 「ダメだよかなくん!?」  二人が馬鹿な事をする少年を呼び止める。親友を止めるべく駆け出そうと重心を前に傾けた昇に、 「来るなっ! それ以上動いたら、僕は火だるまになる!」 「なに馬鹿なこと言ってんだよ! なんでお前が死ぬ必要があんだよ!」  動きを止めた昇は泣きそうな顔で叫んでいた。 「お願いだからやめて、かなくん! ミチルちゃん! かなくんを止めてっ!」  千春は金縛りに遭ったように動けなくなってしまったミチルに詰め寄った。 「……できるわけ、ない。こんなの……私、知らないもの」  彼女は自分が死ぬ【可能性】ばかりを視てきたが、その中に奏多の死ぬ【可能性】はなかった。だから彼女は罪の意識に苛まれることなく、天道奏多を復讐劇のキャストに加えることができた。  であるならば、それを逆手に取ればいいと奏多は考えた。自分が死ぬことで、未だ見ぬ未来に裏道ミチルを導こうとしているのだ。  ――裏道さん、君はどこまでハムレットを演じきれる。 「ミチルぢゃん! がなぐんはほんぎだよ! ミチルぢゃんががえるっでいわないど……がなくんがじんじゃうよぉ!」  泣き叫び崩れ落ちる千春と、ようやく人間らしい表情が戻った少女。  少年はニヒルな笑みを浮かべている。  ――さぁ勝負だ、裏道ミチル! 「どうしたんだい……? ぐっ、顔色が真っ青だよ、裏道さん」 「天道くんがそこまでする意味はないはずよ! どうして放っておいてくれないのよ!」 「放っておけるわけないだろ! 友達が罪を犯そうとしてるのに、自殺しようとしてるのに止めない友達がどこにいるんだよっ!」 「天道くんと友達になった覚えなんてないわよ!」 「友達ってのは気づいたらなっているものだよ。別に裏道さんの許可をとる必要はないんだ。僕が裏道さんを友達だと認識した、その瞬間、僕の中で裏道ミチルは大切な友達なんだ」 「天道くんは……勝手過ぎるわよ」 「それも、裏道さんにだけは言われたくぅっ……うっ、ない、な」  ――くそっ、まずい……。痛みで意識が吹き飛びそうだ。 「奏多!?」 「がなぐんっ!?」  ――あれ……?  奏多の体から力が抜け落ちていく。三脚に立てていたカメラが倒れるように、ぐるりと視点が少女から天井に変わりつつある。  傾いた体はそのまま後方へ流れ、天道奏多は灼熱の業火に飲み込まれていく。 「天道くんっ――!?」 「――――!」  炎の海に飲み込まれる寸前で、奏多の体が前方に引き寄せられる。走り込んできた裏道ミチルが奏多の腕を掴み取っていたのだ。そのまま抱きしめるように引き寄せられた。 「なに考えているのよ!」  焦げ臭い室内で、なつかしくも優しい薫りが少年の鼻先をくすぐった。甘いラズベリーの薫りだ。 「僕を置き去りにしたこと、謝ってもらおうと思ってさ」 「……天道くんはバカよ!」 「それも、裏道さんにだけは言われたくないな」  少年の胸に顔を埋めた少女が、喉を震わせている。 「どうして……天道くんは私の未来を尽く変えていくのよ」 「それは違うよ。裏道さんが視ていたのはただの【可能性】であって、未来なんかじゃない。だから、裏道さんはその能力に【可能性】と名付けたんだろ? この悲劇を終わらせる可能性を見出だすために、新たな可能性を探してたんじゃないのか? 未だ見ぬハッピーエンドを」 「ハッピーエンドなんて……どこにもないわよ」 「ハムレット、天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ」 「――っ!? それは……私の、ハムレットの台詞よ。意味も……全然、違うわよ」 「これは悲しいだけの復讐劇じゃないからね。これでいいんだよ」  少年は華奢な体躯を力いっぱい抱きしめた。  少女の表情は見えなかったけど、きっと穏やかな顔で微笑んでいただろう。 「このままだとハッピーエンドどころか全滅エンドだぜ、奏多! すぐに飛ぶぞ!」 「まっ、待てぇくれっ! わ、私も助けてくれ!」  火の手の少ないリビングの中央に気絶している男を移動させた昇に、泣きっ面の裏道京太郎が這い寄ってくる。 「本当ならここに置いて行きてぇところだが、連れて行くんだろ? 奏多」 「ああ、裏道さんに人殺しはさせたくない」 「だよな!」
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