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「で、これはなに?」 「あら、天道くんは卵焼きを知らないのかしら? ちなみにこっちは肉じゃがよ」 「これが……肉じゃが?」  食卓の上には目視で確認不可能と思われる謎の黒い固形物(卵焼き)に、魔女の釜でカエルでも煮たのですかと尋ねたくなるほど、よくわからない黒い物体が器に注がれていた。  しかも、米は炊かれておらず、カチカチの生米が茶碗に並々とよそがれている。 「さぁ、遠慮はいらないわ。すべて天道くんのために作ったものなんだから、しっかり食べてちょうだい」  誇らしげにテーブルの前に立つ彼女が、ジャジャーンと両手を広げる。  もう一度手料理らしきものに視線を落とした奏多は、本気で言っているのだろうかと表情を曇らせてしまう。が、一瞥した彼女の表情は真剣そのものだった。  ――こんなの食べたら一晩中腹痛に襲われること間違いなしだ。  一人暮らしでそれは致命的だと、蒼白い顔の奏多が喉を鳴らす。 「天道くんはいつまでそんなところに突っ立っているつもりなのかしら? 遠慮せずに座ったら?」 「ああ、うん」  僕の家なのだがといいかけた奏多だったが、言うのはやめた。きっといっても無駄だろうと諦めていた。  円卓に向かい合って座る奏多とミチル。二人の間には焦げ臭い匂いと、なんだか嗅ぎなれない異臭を放つ食べ物(?)がずらりと並べられている。  ――本当にこれ……僕に食べさせる気なのかな?  両手で丁寧にお茶碗を持ち上げたままじっと生米に視線を落とすミチルを、奏多は不思議そうに見つめていた。 「それはなにをしているの?」  気になって尋ねる奏多に、ミチルは少し困ったように首をかしげる。 「天道くんの家のお米は一般家庭のものと違って、凄くカチカチなのね。はじめて見る種類のお米だから気になってしまったわ」 「…………」  とても真剣な表情の彼女に、これはつっこむべき案件だろうかと考え込んでしまう。  ――でも違ったら……フォローできないな。 「う〜……ん」  ついには困り顔で頭を搔いてしまう。 「裏道さんはこれまでに料理とかってしたことあるのかな? いや、聞かなくても分かるけど、多分ないよね?」 「あるわ」 「えぇっ、あるの!?」 「天道くんは盲目なのかしら? それとも天道くんの目の前にはいま、この食卓に別のなにかが映り込んでいるのかしら? だとすれば非常に興味深いわね」  ――ああ……なるほど。そういうことか。  つまり、食卓に並ぶ謎の物体(これら)が、彼女がはじめて作った料理ということだ。 「お米ってね、洗ってから炊かないと出来ないものなんだよ? これ、炊いてないよね?」  苦笑いを浮かべながらお米の炊き方についてレクチャーすると、「ふふっ」彼女がそれを鼻で笑い飛ばす。 「天道くん、私をバカにするのは結構なことだけど、嘘をつくのは人として感心しないわね」 「え……うそ?」 「口に入れるものを洗うだなんて、非常識にもほどがあるわよ。ちょっと待っていなさい」  ミチルは茶碗をテーブルに置くと立ち上がり、そのままキッチンに向かった。ものの数秒足らずで戻ってくる。 「ここ、ここに書いてある注意事項が天道くんは読めないのかしら?」  台所から食器用洗剤を持参して戻ってきたミチルは、誇らしげに裏面に書かれてある注意書きを指さして、「ほら、ここ、ここよ」と同級生の間違いを指摘する。 「ホ、ホントウダ……」  誰も洗剤で米を洗えなんて一言もいっていないのだがと思いながらも、説明するのも億劫になってしまった奏多は心に目隠しをしてしまった。 「天道くんはこんな当たり前の常識も知らないで、独り暮らしなんてやっていけるのかしら?」  目の前の同級生だけには言われたくないと思いながらも、奏多の首がガクッと折れる。 「ま、いいわ。それより自慢の手料理よ。冷めないうちに召し上がれ」  と言われても、なかなか手が出ない。  料理とは味は当然ながら、視覚や嗅覚でも楽しむもの。ドス黒い見た目に異臭を放つ品々を前に、食欲不振に陥るのは当然である。 「どうしたの? せっかく天道くんのために心を込めて作ったのよ?」 「そう、だね。……せ、せっかくだから頂こうかな」  女の子から、同級生から貴方のために作ったのと言われて断れる奴はいない。ましてや普段くすりとも笑わない彼女が微笑んでいたなら尚更だ。 「おかわりもあるから沢山食べるといいわ」 「おかっ……マジか。……ありがとう」  覚悟を決めた奏多は黒い物体――通称肉じゃがを一口頬張る。口に含んだ瞬間、鼻腔の奥に広がる腐った桃のような甘ったるい薫りに、想像していたものとのあまりの差に、「ゔぇっ!?」嗚咽を吐き出してしまう。  机に箸を叩きつけた奏多は、もの凄い勢いでトイレに駆け込んでいく。 「ちょっと天道くん!? 一体どうしたのよ!」  凄まじい勢いでドアを叩く彼女が声を張り上げている。 「な、なんでもないよ! き、気にしないでっ」  君の手料理が糞不味すぎて吐き気を催しました、なんて女の子に言えるわけがない。彼はそこまでデリカシーのない男ではない。  数分後――腕を組んだミチルがドアの前で待ち構えていた。目が合うと、奏多はたまらず視線をそらしてしまう。彼女の抉るような眼差しが恐ろしかったのだ。 「天道くん、こういうことはあまり言いたくはないのだけれど、少し失礼じゃないかしら?」  不機嫌を絵に描いたような佇まいのミチルに、奏多は深々と謝罪した。 「まぁ、いいわ。口に合わないものを作った私にも責任の一部はあるもの」  口ではそう言っているが、食卓に戻った彼女は明らかに不機嫌だった。許さないと顔に書いてあるじゃないかと、奏多は密かに思っていた。 「言っておくけれど、天道くんの夕飯はないわよ」 「……はい」  夕飯抜きを言い渡されたことよりも、女の子を傷つけてしまったかもしれないと考えるだけで、彼の心には棘が刺さったようだった。 「この肉じゃがなんて思っていたより上手く出来たのよ」  当初はどのようなものを想定して作られたのか、是非とも参考までに教えてほしいものだと思ってしまう。 「あっ!?」  ミチルは肉じゃがらしきものが入った器からなにかを箸でつまみ上げ、躊躇うことなく口に放り込んだ。 「だめぇっ!」  思わず手が伸びた奏多だったが、間に合わなかった。 「……う゛ぅっ」  彼女からうめき声のようなものが漏れはじめる。うつむいて悶え苦しむ彼女の綺麗な顔が、その雪のように真っ白な肌が、みるみる紫色に染まりつつある。  バシッ! と机に箸を叩きつけた彼女が勢いよく立ち上がる。その相貌はピクピクと痙攣していた。  あちゃーっという表情を浮かべる奏多と目が合った彼女は、なんでもないわよと言ったようににこっと微笑んだ後、ゆっくりとスカートの裾を持ち上げ、無言でちょっと失礼と会釈をしてお花を摘みに出かける。  なんて気丈な人、プライドが高い人なのだろうと奏多は呆れ果てていた。  ――米の炊き方も知らないし、一体どんな風に育てられたんだろう?  どうでもいいことが気になってくる。 「行くわよ!」 「行く……? 行くってどこに?」  化粧室から戻ってきたミチルは先ほどの肉じゃがについて一切触れることなく、突然なんの前触れもなく出掛けると言い出した。 「天道くんは勝手に料理が食卓に並ぶと考えているのかしら? だとしたら大間違いよ」  つまり要約すると、これは彼女なりの夕食を食べに行きましょうというお誘いらしい。 「僕、夕食抜きだったんじゃないの?」  嫌味とかではなく、彼なりに単純な疑問を投げ掛けただけだったのだが……。 「では天道くんに聞きたいのだけれど、私が天道くんに死ねと言ったら天道くんは死ぬのかしら? 今晩の夕食は抜きと私が告げたことで天道くんが頑なに食事を摂らないというのなら、明日も明後日もその次も、天道くんはけっしてなにも口にしてはいけない、そう私が天道くんに指示を出せば、天道くんはなにも食べずに餓死するのかしら? 非常に興味深いわね」  奏多は薄々気づいていた。  裏道ミチルが非常に面倒臭い女の子だということに加え、彼女の口癖が『かしら?』だということに。本当にどうでもいいことが気になってしまう。 「いいえ」  言い返すことはしない。そうすることが一番面倒臭くない方法だと奏多は悟っていた。
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