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据え膳はいかが
「疲れた……」
飲み会が終わり、明日も仕事なので二次会をパスして帰宅。引っ越したばかりの部屋に帰るのにまだ慣れない感覚が逆にわくわくする。
「ただ――」
誰かが待っているわけじゃないけれど、酒の力もあり機嫌よく「ただいま」と言おうとして言葉が止まった。ベッドに知らない男が寝ている。幻覚か幽霊かと思い、手をつついてみると確かに存在している。どういうことかと混乱するけれど、こういうときはとりあえず警察だろう、とスマホを出すと同時に男性が目を覚ました。目が合ってびくりとしてしまう。
「えっ、誰!?」
それはこっちの科白だけれど、男性のほうが驚いているようでこちらは反応ができなくなってしまう。こういうときは大きな反応をしたほうが勝ちの気がする。
「なに!? ほんと誰!?」
「そっちこそ誰? ていうかどうやって入ったの?」
鍵はかけて出かけた。かけ忘れていないか確認したから、鍵が開いていたということは絶対にない。
「誰って、ここの住人……」
室内を見回し、首を傾げる男性。
「あれ、ここって……」
「俺の部屋」
「あっ!!」
突然大声を出され、驚きに肩が跳ねる。
なにごとかと男性をまじまじと見て今気づく。すごい美形だ。つやつやの黒髪と同じ色の切れ長の瞳。すっととおった鼻梁に、厚みのない唇。ベッドに座った状態だけれど背が高いのがわかる。脚が長くてスタイルもいい。芸能人でも通用しそうなイケメン。そんなイケメンがどうして俺の部屋にいる?
「……俺、引っ越したんだった」
頬を僅かに赤く染め、ははは、と笑う男性に呆れて言葉が出てこない。
「でも鍵使えたけど」
「そんなこと……あるかも」
部屋の契約時に鍵の交換は任意で、結構高かったのでしなかった。男だし、こんな平凡な男を誰も襲ったりしないだろうと全然深く考えていなかった。まさか前の住人が鍵を持っていて入ってしまうなんてことがあるなんて思わない。男性にそのままを説明する。
「あっぶないなあ。俺の持ってた鍵で開けられたよ?」
「……今から交換手配する」
でも引っ越し貧乏でそんなに急にお金はない。どうしようか。今日だって同僚がおごってくれると言うので晩ご飯を済ませる目的で飲み会に参加したくらいだ。
「ま、とりあえず帰るわ」
「うん」
「きみ、おもしろいから気に入っちゃった。名前教えて?」
おもしろい……どのへんが?
「教えない」
「なるほど、斎藤征大くんね」
テーブルに置きっぱなしの郵便物を見た男性にフルネームがばれる。きちんと整理整頓をしないとこういうことになる。
「どこまでもうかつで可愛い」
「……」
全然嬉しくないし、絶対褒めてない。
「俺は上嶌海里。好きなように呼んで」
「もう二度と会わないと思うけど」
「そうだね。でもまた会える気がするから。じゃあね」
謎の男性は去って行った。
すぐに不動産屋に電話をしようとして営業時間外でかけられないことに気づきため息をつく。明日の休み時間にかけることにしてシャワーを浴びる。シャワー中、そういえばドアチェーンをかけるのを忘れたと思い出す。
「……」
鏡に映る自分を見つめる。うん、相変わらず平凡顔。
まあ大丈夫だろうと思いながらシャワーを終え、浴室を出るとリビングダイニングのテーブルに缶ビールや缶チューハイ、唐揚げ、するめそうめん、ビーフジャーキーなど、酒とつまみセットが並んでいる。どういうことだ、と立ち尽くす俺の名を呼ぶ声がする。
「ほんと、あぶなっかしいなあ」
なぜか上嶌海里がいる。
「なんでいるの? 帰ったんじゃないの?」
「だって帰っても一人だし、寂しいじゃん」
上嶌海里が缶ビールと缶チューハイを差し出してきて、自分も缶ビールを手に取っているのをぽかんと見守る。見守っている場合じゃないけれど。
プルタブを上げた上嶌海里がこちらに缶を見せる。
「はい、かんぱーい」
わけがわからない。
「いやいやいや、帰ってよ」
「うっかりな征大くんを守らないといけないからね」
「守らなくていい」
なんで先程名前を知ったばかりの男に守られなければいけないんだ。というか守る必要もない。
「一人同士盛り上がろうよ」
「俺は一人なんて言ってない」
なんだか悔しいので虚勢を張ってみる。上嶌海里はぐるりと部屋を見回してから俺を見て微笑む。
「誰かと住んでるようには見えないけど?」
「……」
「恋人がいるのかな? いるの?」
「…………」
二度聞くな。いないよ、そのとおりだよ。言われたとおりなのでなにも返せず、ぐっと言葉を詰まらせると上嶌海里はビールの缶を揺らす。
「……今日だけだからな」
「うん」
上嶌海里から渡されたビールをテーブルに置き、チューハイのプルタブを上げる。缶を軽くぶつけて二人で一口飲む。
「そういえば征大、帰り遅かったね。さっきコンビニで時間見てびっくりした」
「飲み会だったから」
缶を見ると、季節限定と書かれているいちご味のチューハイが甘酸っぱくておいしい。また買ってみよう。
「俺も。それで酔ってここに来ちゃった」
ははは、と笑うけれど、笑いごとなんだろうか。
「今はどこに住んでんの?」
「ここから五つ行った駅のマンション」
どうやってそこと間違えるんだか……呆れてしまう。でも実際にそれをやったやつが目の前にいるから笑えない。
「よくそこと間違えたな」
「俺も謎」
笑いながら俺をじっと見てくるので身構える。なんだ。
「でも征大と出会えたから間違えてよかった」
「は?」
部屋を間違えたことが「よかった」にどう繋がるのかわからず首を傾げる俺に、上嶌海里がビーフジャーキーを一切れ差し出す。受け取ろうとしたら、ジャーキーで唇をつんつんとつつかれたのでそのまま咥えた。
「ちなみに据え膳は即いただきます」
わけがわからない、という顔をしていたんだろう。上嶌海里は、わからないならいいよ、と笑って新しい缶のプルタブを上げた。
くだらないことを話しながら酒を飲んでいると、会ったばかりとは思えないくらい楽しくて時間が経つのを忘れてしまう。海里がそろそろ帰ると言うので、泊まっていけば? と声をかけてしまった。一人は慣れているはずなのに、海里との時間が楽しかったから帰ってしまうのが寂しい。
「泊まりたいところだけど、俺、征大のこと気に入っちゃったから食うよ?」
「え?」
「それでもいいなら泊まる」
笑顔の海里、言葉の意味がわからない俺。見つめ合って、結局俺は首を傾げた。
「どういうこと?」
「それ聞くんだ?」
綺麗な手がすうっと伸びてきて、俺の頬に添えられる。その手の温もりにどきりとした。他人の体温に慣れていないからかもしれない。海里の綺麗な顔が近づいてきて、頬に柔らかな感覚を残して離れた。
「こういうこと。俺、無害じゃないから」
「……」
なにをされたのかを理解した俺に、海里が背を向ける。
「じゃあね」
ひらひらと手を振って帰っていく背中を呆然と見つめた。まだ小さな感覚の残る頬を手で押さえると妙に熱い。酔っているのかもしれない。
「……無害じゃない……」
それは……そういうこと? 考え始めたらどんどん頬が熱くなっていったので、思考を停止する。不思議な出会いだった、と片づけもそこそこにベッドに入った。
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