据え膳はいかが

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 海里が住む三階建てのマンションは駅から歩いてすぐのところにあった。部屋に入ると同時に両肩を掴まれ、きつく抱きしめられる。まるで海里も俺に会いたかったような力強さ。 「征大……どうして……」 「……好きだって言いたくて」  海里の背中に手を回す。 「海里こそ、どうしていなくなったんだよ」 「それは……」 「それは?」  唇を引き結ぶ姿をじっと見つめる。整った顔がつらそうに歪んでいき、海里は目を伏せた。 「……大切にしたかったのに」 「……?」 「俺は征大が大切だからそばにいられない」  言っている意味がわからなくて、その頬に触れてみるとぴくりと震えて手を重ねてくれた。触れる手に頬ずりした海里はぎゅっときつく目を閉じる。 「どうして?」 「また抱いてしまうから。大切な征大を、その場の流れと欲望のままに抱いたことを後悔してる」  声を震わせて言葉を紡ぎ、頬に触れた俺の手を両手で包んで指先に唇を寄せる。その小さな感覚にどきりと心臓が跳ねる。 「征大が好きで、全部欲しくて……征大の気持ちを考える余裕がなくなる」  苦しそうな告白に俺も胸が痛くなる。でも。 「あの日のこと、俺は嬉しかった。海里がいなくなってつらかった」 「征大……」 「もういなくならないで。そばにいて」  海里が口を噤むのを、祈るような気持ちで見つめる。沈黙の後、強い視線で見つめ返された。なにかを決意したような瞳。 「そばにいてもいい?」 「いて欲しいんだよ……海里がそばにいないと苦しい」  端正な顔が近づいてきて、瞼を下ろす。触れた唇から海里のせつなさや葛藤が流れ込んでくるようだった。 「俺を大切にしたいなら、そばにいて」 「うん……」 「好き……海里が好き……」  もう一回唇を重ね、きつく抱きしめる。優しい香りに涙が滲んで視界がぼやけた。  きゅるるる……とこの空気を引き裂く音。 「……」  この音の主は俺だ。頬が熱くなり、海里の胸に顔をうずめて隠す。 「……聞こえた?」 「聞こえた」 「聞かなかったことにして……」  晩ご飯がまだだからお腹が空いてしまった。でもこのタイミングはないだろう。恥ずかしくて顔が上げられないでいると、背中をとんとんと叩かれた。 「そういえばこんな場所でごめんね。中入って」 「……うん」  顔を見られるのが恥ずかしくて少し俯いたまま靴を脱ぐ。頭にぽん、と手が置かれ、視線を上げたら優しい微笑みが向けられていた。 「可愛いよ」 「っ……!」  絶対可愛くないのに……!  部屋は俺のところより少し広くて、海里がここで生活していると思うと不思議な感じがする。 「なにか作るね。座って待ってて」 「……」  椅子があるしソファもあるからそこに座っていればいいんだろうけれど、なんだか落ち着かなそうなので手伝うことにする。 「なにしたらいい?」 「じゃあレタス洗ってくれる?」 「わかった」  レタスを洗っていると、隣で海里が玉ねぎを切りながらぼろぼろ涙を零す。 「大丈夫?」 「うん……玉ねぎが目にしみるだけだから」  どう見てもそれだけではなさそうだけれど、あえて触れずに「そう」とだけ答える。こういうお馬鹿な海里が、好き。 「据え膳は即いただくんでしょ。最初は手を出すつもりだったんじゃないの?」  ちょっと意地悪を言ってみる。でも海里は初めそう言っていたし、それなのに実際手を出したらいなくなった理由がわからない。 「こんなに好きになるなんて思わなかったんだ」 「そ、そうなんだ……」  自分で聞いておいて恥ずかしい。 「最初はそんなことを言える余裕もあったのに、どんどんその余裕がなくなっていった」 「うん……」  ちらりと様子を見ると目が合って軽く睨まれた。 「可愛すぎる征大が悪い。全部征大のせい」  拗ねたようにそう言って、切った玉ねぎをバットに広げている。さっきも言っていたけれど、可愛いなんて俺には似合わない。 「俺が可愛いなんて変だよ」  つい笑ってしまうけれど、海里は真剣な表情のままだ。 「可愛いよ。ずっと見ていたい」 「見てるだけ?」 「え?」 「……据え膳ってどう?」 「……」  勇気を出して言ったのに海里が固まってしまった。それからゆっくり首を傾げ、天井を見てからまた俺を見る。 「意味わかって言ってる?」  どきどきするけれど、しっかり頷く。 「……いいよ?」  海里が真っ赤に頬を染め、目を泳がせたらお腹の音が聞こえた。音の主は海里。 「お、お腹空いたね。そうだ、征大の好きな肉野菜炒め作るから! だから……だから……えっと……」 「うん。ありがとう」  頬が熱くて心臓が壊れそうなくらい暴れているけれど、据え膳をどうぞ、と少し背伸びして頬にキスをする。 「せ、征大……」  ぐう。  今度は俺のお腹が鳴って、二人で額をくっつけてくすくす笑う。 「ご飯食べたら、ありがたくいただきます」  真っ赤なまま海里が微笑んで、俺は、なるべくゆっくり食べよう、と緊張と期待に心を弾ませた。
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