夜明けの使者

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伽羅が進んだ先は、路地裏のようになっていた。 ところどころに室外機と窓。あとは謎の廃材のようなものと、ゴミ箱。それだけ。 生き物の気配を微塵も感じさせない不気味な空間だ。 足元はなぜか湿っていて、真っ黒な泥のような何かがまるで水たまりのように建物の影を映す。 そんな場所だ。 「ここで何かあったのか」 建物のせいで窮屈になった空を、伽羅が見上げればそこに一迅の風が吹く。 その風は、ぞっとするような冷たい空気を纏っている。 そういえば、さっきの謎の男はどこに行っただろう。伽羅は辺りを見回した。 けれど、男の姿はどこにも見当たらない。 手に持ったスマホを見ると、繋げたままでいた通話がいつの間にか切られていた。 伽羅はもう一度、桃仁にかけ直すことにする。 「もしもし、桃仁さん?」 伽羅が話しかけても、砂嵐のようなノイズ音しか聞こえない。 伽羅は画面を確認した。 通話中であると画面には表示されている。 「電波が悪いのか?」 伽羅はスマホを上の方にかざしてみたり、振ってみたりした。 けれどそんなことでどうにかなるはずもない。 ひっそりとした何かは、伽羅がスマホで何かしようとしているのを背後でじっと見ている。 その顔は、先程の謎の男と似ているようで確実に違う。 見た目が化け物が本性を現したような風体へと変貌していた。それはもはや人と呼べるものではない。 ……。 「緊急で今から向かってほしい場所があります」 その頃桃仁は、運転手に向かって指示を出していた。 手には書類を持っている。それは伽羅に渡した書類の原紙であるものだ。 「ここに書いてある場所です。今から住所を読み上げるので」 桃仁は焦りながらも、そこに書いてある依頼者の住所を正確に読み上げた。 「急にどうなさったのですか、桃仁様?」 運転手が不思議そうに尋ねる。 「深い事情があるんです。どうか聞かないでください」 車の中にも関わらず、かたかたと靴をせわしなく動かす音が聞こえる。 桃仁の心にはもはや余裕なんてない。 「そうですか。かしこまりました」 桃仁の尋常ではない焦り具合を見て、運転手はとりあえずは何も聞かないことにした。 そうして車は行き先を変え、街の中を走ってゆく。 桃仁は流れてゆく窓の外の景色を黙ったまま見ている。 書類に書かれた住所は、ここからそれほど遠くはない。 加えて運転手が道をよく知っている人物であることを鑑みれば、たどり着くのに時間はそうかかるはずもない。 「私はお金にしか興味はないですけれど、命をたやすく見捨てるほど人でなしにはなれませんね」 桃仁のそのつぶやきを、運転手は聞いていた。 二人の脳裏に浮かぶのはある共通の人物だった。しかし、それを口に出すことはない。 その人物は、二人にとっては妖よりもずっと恐ろしい存在だったから。 「私は桃仁様のそういうところが好きだから、運転手を務めているのですよ」 車内に響く、静かな走行音。 その言葉に桃仁が返事をすることはついに無かった。
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