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1,立花山
橋爪光太(はしずめこうた)は20年ぶりに登った故郷の立花山の頂上付近にある廃墟の前に、感慨深げに佇んでいた。
木造の粗末な小屋は、風雨にさらされ見る影もなく崩れていたが、それでも小屋の残骸はそこに確かに小屋があった証拠であり、木材の堆積の中に半ば埋もれたレンガのかまどの跡を発見した時は、光太は興奮で小躍りしたくなった。
「あの雪女がいた山小屋は、やっぱり存在したんだ!」
興奮してほてった光太の熱を、急速に勢いを増していく雪が奪っていった。
昼過ぎに実家を出た時は雲間から薄日が差していたのに、さすがにこの山は麓の町とは別世界のように雪が降った。
山の名は、立花山。
立花とは雪のことだ。
光太が生まれ育った麓の町は気候温暖で、雪はちらつく程度で積もることは滅多になかった。
しかし標高1000メートルに達しない低山であるにもかかわらず、この山は下界とは切り離された気象を持っていた。
山の中腹から頂上までは年の半分以上が雪に覆われていて、逝きの降らない麓の町の人々の目には、荘厳で美しく見えた。
いつ頃名付けられたのか詳らか(つまびらか)ではないが、立花山という名称がぴったりだった。
山の上に雪が降るのは地形の関係で季節風が吹き込むからという説がもっともらしかったが、その説に納得しない者は、異次元からの気流が吹き寄せるのだという突飛な説を唱えた。
そして、異世界からの風という説が決して奇異ではないというように、立花山には雪女が棲むという噂がまことしやかに囁かれていた。
嘆賞するほど美しく雪化粧を施した立花山の姿から、雪女の伝承が生まれるのはむしろ自然の成り行きでもあった。
山の頂上付近には、雪女を祀った祠があるという。
それは美しい雪女への信仰という意味ではなく、雪女の激しい気性を鎮めるための祠だった。
人々は、雪女が雪を降らせる風や雲を呼び寄せるのだと信じた。
冬になると、山の中腹から頂上にかけて大人も遭難するほどの猛吹雪になった。
そのため、冬に立花山に入るのは禁止とされ、もしその禁忌を破って山に登って遭難しても救助はしないという、厳しい通達も出された。
まして子供が冬に立花山に行くなどもってのほかで、学校や家庭では幼いころから子供に厳重に言い含めていた。
そんな立花山なので、昔から行方不明者が相次いだ。
記録に残っているのは過去50年ほどで20名、そのうち14歳以下の子供が10名だった。
奇妙なことに、その10名のほとんどが失踪当時11歳だった。
禁を犯して山に行った者の救助はしないという建前だったが、行方不明者が出れば放置するわけにはいかず捜索が行われた。
しかし、いずれも発見されることなく神隠しにあった如く消え失せていた。
特に子供の場合は親の必死の懇願もあって、警察や町の消防団など多くの人を動員して捜索したが、見つからなかった。
大人はともかく、なぜ11歳の子供が冬の山に入って行方不明になったのか、それは大きな謎として立ちはだかった。
その謎に興味を持った人たちの中から、1つの仮設、伝説が形作られていった。
雪が降りしきる中立花山を一人で登って来た11歳の子供の前に雪女が姿を現し、子供をさらっていくのだと。
失踪した子供の性別は10人中男5,女5で、そこから子供の性別は問わないものと推測された。
人々は雪女こそが六花山に棲む神であり、その機嫌を損ねないことが肝要だと考え、雪のない夏に雪女の祠に参って供物を備えることを欠かさなかった。
そんな中、禁を破って冬の六花山に入り雪女に会ったという、勇敢というべきが無謀な子供もいた。
雪女の姿を見て生きて帰ることはほぼ不可能と見做されていたので、それをやってのけた子供は級友たちの間ではヒーロー扱いされた。(親や教師には内緒にしたが)
その子供は、20年前の橋爪光太のことだった。
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