雪の名前

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 目的地のビルに到着してエレベーターで屋上に登るまでの長い間、俺たちは無言だった。機械音だけが微かに聞こえる灰色の箱の中で、このままどこかへ配送されていくような気分になる。そんな下らない妄想を打ち消すように、最上階に着いたことを告げるアナウンスが鳴り響いた。  12月の夕暮れは肌寒く、冷たい風が頬を刺すようだった。下界にはイルミネーションが燦然と輝き、師走らしく、光の間を人々が忙しそうに行き交っている。 「ところで、仕事って何をするんですか?」  用意していたらしいマフラーを巻き始める季節屋に、俺は今更のように尋ねた。季節屋は一瞬目を丸くし、そして質問の意味をようやく理解したのか、ぽんと手を打った。 「おや、お話していませんでしたっけ?」 「はい、全く」 「そうでしたか。簡単にご説明しますと、これから私たちで初雪を降らせるのですよ」  広告が入ったティッシュを配るような気軽さで、季節屋は言った。予想外の内容に唖然とする俺に、季節屋は噛んで含めるように言葉を足した。 「私たち『季節屋』は、次の季節を生み出し季節の変化を促すお仕事をしているのです。例えば春一番を吹かせたり、今回のように初雪を降らせたり」 「はぁ」  荒唐無稽な話についていけない俺は、なんとも間の抜けた相槌を打っていた。そんな俺に構わず、季節屋は淡々と続ける。 「そしてそのためには、その気象にまつわる思い出が必要なのです。だから銀司さん、あなたの雪にまつわるお話を聞かせていただけませんか」 「雪ですか?」  正直、俄かには信じがたい話だった。それに俺の故郷は雪があまり降らない地域だったので、俺にとっての雪は祖父の家で見たものが全てだ。激しく舞う吹雪も、グラニュー糖のような粉雪も、優しい夜の雪明りも。たくさんの雪の名前を、俺はいつ学んだのだろう。  そういえばたった一度だけ、祖父と話をしたことがあった。もしかしたら、それも夢かもしれない。十数年前に亡くなった祖父に確かめることはもうできないけれど、どちらにせよ、俺が祖父と交流した最初で最後の記憶だ。
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