雪の名前

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「……って、雪じゃなくて祖父の話になってしまいましたね。すみません」 「いえ、ありがとうございます。素敵なお話ですね。その思い出、少しお借りします」  季節屋はそう言って微笑み、顔の前で祈るように両手を組んだ。それをゆっくりと開きながら息を吹きかけると、吐いた息が煙のように白く光る。と思ったらその白は小さな粒子へと姿を変え、瞬く間に雪の欠片となって眼下の町に散っていった。 「……嘘だろ」  思わず呟いた俺に、季節屋は得意気に空を指さした。その先を見上げると、夜空の至るところから小さな雪片が絶え間なく生まれ始めていた。  夢か現か、俺の拙い思い出話を糸口に初雪が降ったのである。 「お爺様は本当に、素敵なお名前を付けられましたね」  俺と同じように空を仰ぎながら、季節屋は語り始めた。 「雪国に生まれ育ったお爺様だからこそ、冷たさや儚さだけではない雪の姿を知っておられたのだと思います。たとえ春に消えてなくなるとしても、雪解け水は新たな命を育む源となりますから。そんな雪の力強く美しい生命力を、銀司さんのお名前にも込められたのではないでしょうか」  不思議なことだが、その言葉を聞いた途端、俺の脳裏にはあの日の祖父の表情がはっきりと蘇ったのだ。深く刻まれた眉間の皺をやや緩め、目尻をほんの少し下げた、祖父のささやかな微笑が。  もしかしたら祖父は、ただ不器用なだけだったのではないだろうか。  吹雪。粉雪。牡丹雪。淡雪。風花。水雪。俺に様々な雪の名前を教えてくれたのは、あの日の祖父だった。  季節屋の横顔から、再び空に視線を戻す。目の前を揺らめく純白の結晶は息を呑むほど美しかったけれど、何かいま一つ物足りなかった。あの日見た雪はもっと雪片が大きくて、綿のように柔らかそうだったような気がする。  祖父が生きた雪国の雪を、もう一度見てみたくなった。祖父が生涯共に暮らし、俺の名前に与えた雪の姿を。 「俺、今年の冬は祖父の墓参りに行こうかと思います」  呟くような俺の独り言も、濃紺の夜空に溶けていった。
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