雪の名前

1/4

7人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
 急募。一日限りの短期アルバイト。資格不問。給料は当日払い。そんな怪しげな文句につられてうかうかやって来たのは、どうやら俺だけのようだった。待ち合わせ場所の公園は閑散としていて、雇い主の「季節屋」と思しき人物のほかは誰もいない。  様子を窺う俺の存在に気がついたのか、季節屋が真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる。こうなったらもう腹を括ろう。 「駅前の求人を見て来ました、工藤銀司(くどうぎんじ)です。よろしくお願いします」  勢いよく頭を下げると、間もなく相手も深々と腰を折る気配がした。 「どうも、季節屋です。来てくださって助かりました。本日はよろしくお願いします」  丁寧な言葉におずおずと顔を上げると、ちょうど上半身を起こしたらしい季節屋と目が合った。ひょろりと背が高く、洒落た丸眼鏡の奥の目は穏やかな光を湛えている。想像していたよりずっと優しげな外見に、俺はそっと胸を撫で下ろした。 「銀司さんと仰いましたね。趣がある素敵なお名前です。差し支えなければ、どなたが名付けられたのか伺ってもよろしいでしょうか」  早速仕事の話に入るかと思いきや、季節屋はそんなことを尋ねた。思いがけない質問に戸惑いつつ、俺は古い記憶を探りながら答える。 「確か、祖父だったと思います。雪国育ちの祖父は、孫が生まれたら雪にまつわる名前を付けようと前々から決めていたみたいで。雪の比喩で、『銀世界』とかあるじゃないですか。俺がちょうど冬生まれだったこともあって、名前に『銀』の字を入れたのだと両親から聞きました」  もっとも、俺は自分の名前があまり好きではない。古めかしいし、冬に生まれたから雪の名前なんて安直すぎる。それに雪なんて春には消えてなくなるものだから、雪を意味する名前からは儚くて弱々しい印象を抱いてしまうだろう。  それから、名付けたのが両親ではなくて祖父というのも腑に落ちない。雪国に暮らしていた祖父とは盆と正月くらいしか顔を合わせなかったけれど、いつも険しい顔で仏間に座っていたような気がする。  思い出の苦みが顔に出ていたらしく、季節屋は気遣うように眉を下げた。 「雪は、お嫌いですか」  やや唐突な問いに、言葉に詰まってしまった。冬は寒いから苦手だし、自分の名前も雪も本当はあまり好きではないはずなのに、改めて尋ねられると、なぜか即座に頷くことができなかった。 「……そうでもない、と思います」  沈黙の末に零した俺の答えはひどく曖昧だったけれど、季節屋は満足そうに頷いた。 「素晴らしい。それではこれから仕事場に移動するので、ついてきてください。なに、歩いて5分もかかりません」  季節屋はそう言って、速足に歩き始めた。俺は慌ててその後を追う。冬至が近いせいか、夕方なのに辺りはもう薄暗かった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加