プロローグ

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プロローグ

 2058年2月15日午前8時、東京都千代田区永田町の首相官邸の前に藤村美怜は立っていた。 長い髪を内側にカールさせ、所々にウェーブをかけた最近流行の髪型。化粧は二年程前から「10秒メイク」と呼ばれる方法で、アイラインやチーク、口紅を塗る位置を予め登録しておけば、本当に10秒でメイクが完成する大人気器具を使っている。 整形手術に関しても、昔は産まれた後に高い施術料と痛い思いをして行っていたが、今ではお腹の中にいる間に理想の瞳や顎の形を手に入れる事が出来る。母親の恵子も「目尻と顎のラインを少し変えて」と産婦人科医にリクエストした。 21歳の彼女にとって、自分が首相官邸なんて場所と関わる事になるとは想像もしていなかった。何しろ昨日まで彼女は渋谷の道玄坂のカフェ店員だったからだ。彼女が働いていた「ラ・ポーズ」はフランス語で「憩いの場」を意味する、2035年創業の老舗カフェだった。  お客が注文するとAIロボットが千円の珈琲を全自動で提供する店が大半の中で、その店は店員が珈琲をドリップして提供してくれるサービスを売りにしていた。そんなレトロ感覚が特に年配層に人気で、1杯当たり倍の2千円するが、創業以来ずっと通っている常連客も多くいる。そんなカフェで働く日々は充実していたのだが、ある日彼女のバンド型携帯電話(エアフ)にこんなメッセージが届いた。 「藤村美怜様。2月15日付けで貴女を首相補佐官に任命します/日本政府」 空中に投影されたホログラフィー画像には、確かに日本政府と記されていた。その後もメールが5通届いたのだが、美怜はスパムメールに違いないと数日間放置していた。すると恵子から電話が掛かって来て、「ちょっと、アンタ何やってんの!」と叱られた。 恵子曰く、副首相が実家に尋ねて来て「娘さんにメールの返信をするように話して欲しい」と頼まれたらしい。「何だか緊急の話みたいよ」と言われた美怜は、慌てて2月15日に休みを取りたいと店長に伝えたのだった。 「お早う御座います!」 着慣れないスーツに身を包んだ美怜は首相官邸に入ると同時に、精一杯の明るい声と笑顔で挨拶した。途端にけたたましい警報サイレンが鳴り響き、警備員が2名スッ飛んで来た。  「動くな!!」 「えっ、ちょっと」 両脇をガシッと掴まれて連行された美怜。狭い部屋に連れて行かれると椅子に座らされた。警備員の一人がどこかに通報している。もう一人は警棒を持って身構えている。警棒の先から青白い電気がバチバチと見えて、「ひええ」と震え上がった美怜。暫くするとドアが開いて初老の男性が入って来た。 「いや~、驚かせて申し訳無い。この官邸は大声を出すとすぐに警報が鳴る様になってましてね」 そう言いながら「ご苦労さん、ここはもう良いから」と警備員達の肩をポンと叩く。警備員達はサッと敬礼するとそのまま部屋を出て行った。 「あの人達謝ってくれないんですか!?」とムッとする美怜。 「彼等は警備ロボットなので、プログラム通りにしか動けないんですよ」 そう言いながら男性は美怜の右手を両手で握ると 「私はダシャと申します。日本政府のアドバイザーをしています」 と人懐っこい笑顔になった。 ダシャ会長はインドの巨大財閥「LUCKY ORANGE」を率いる敏腕経営者で、日本政府の政策アドバイザーをしている人物だ。美怜を首相補佐官に選んだのも彼だが、ダシャは真剣な顔でその理由を美怜に説明し始めた。 「日本の首相が人工知能なのはご存知ですよね?」 「はい、詳しくは知らないですけど、確かクロノスでしたっけ」 「その通りです。人間の首相が第108代で凍結となり、その後は人工知能のノアとクロノスが首相となりました。そして先月からパピルスが新たに首相に就任したのですが......」 「あら、そうなんですね」 「藤村さんには首相補佐官として、パピルスと一緒に2025年にタイムトラベルをして頂きたいのです」 「はあ.......ええっ!!」 思わず椅子から転げ落ちそうになる美怜。「大丈夫ですか」と心配するダシャ会長の手を借りて座り直した。 「タイムトラベルってホントに出来るんですか?」 「はい。一般にはまだ非公開ですが、実は既に完成しています」 「マジですか。でもどうしてアタシと首相なんですか?」 「それは、実は日本に大きな危機が迫っていまして。その危機を解決する為に過去に行く必要があるのですが、首相が絶対に自分が行くと言い張ってまして」 「はあ。それでどうしてアタシなんですか?」 「えーと、それには色々と事情があってですね。貴女が適任だと言う調査結果が出たのですよ」 「それは教えてもらえないんですか?」 「ええ、逆に知らない方が宜しいかと。とにかく、首相と一緒に2025年に行って来て貰えたら、20年間非課税で毎年2000万円のボーナスを支給します」 毎年2000万円!その言葉に思わず両目が円マークになる美怜。今のカフェ店員の年収が400万円だから、その5倍のボーナスが毎年貰えるのだ。20年間で4億円!!これはもう、宝くじに当たったのと同じ金額だ。 「2025年に行って何をすれば良いんですか?」 「はい、芹沢翔也と言う大学生を連れて来て貰えればミッション完了です」 「え、それだけ?」 「はい。計算上はこの時代で3時間が経過するだけで済みます」 「わお♪」 思わず小躍りしそうになった。 「それって日本の危機を救うミッションなんですよね?」 「はい。芹沢君ならその危機を解決出来ますから」 「んー、解りました。アタシ、タイムトラベルに行きます!」 「おおっ、有り難う御座います」 ホッとした表情になるダシャ。 美怜はまだ知らなかった。自分が過去の日本で「うつろ舟の蛮女」と呼ばれ、伝説として語り継がれる事を。
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