1/12
前へ
/23ページ
次へ

606bda5e-4245-442c-b2d7-f1cb4936d058  僕が最初に『アレ』と遭遇したのは、そう、中学三年の時。真冬の寒空に凍てつく池の淵から、こちらを恨めしそうに……そして、それは、僕のことを、愚鈍で憑きやすそうな人間だとでも言いたそうにして、こちらを見ているおぼろげな影、だった――  ――あれから二年、僕はもう高校二年生だ。結局、あの場所、あの時から、何度も『アレ』に遭遇し、それらは、そのたび、僕のことを舌なめずりしているかのような視線を送ってくる、実に忌々しい連中だ。だが、いっそ、こんな僕なんて、そいつらに憑かれてしまえばいい。そうすれば、このような不毛な人生に終焉をもたらしてくれるのではないか、と僕は思い始めていた。  僕は深淵のごとく深く暗いその性格と長く伸びた髪の毛によって気味悪がられ――人に髪の毛を触られることをめっぽう嫌っていたせいで床屋にも行けていない……。そんな性格にその見た目も相まって、中学の頃も、高校になった今も、いつだってイジメの対象になっていた。当然、味方なんているわけもない。男子も女子もみんな、みんな、みんな――敵だ。  そんな僕の名前は――光峰 望(みつみね のぞむ)、希望の光みたいな名前だ。だけど、夢も希望もないこの世界も、こんな名前も、大嫌いだ。そして、こんな自分も大嫌いだ――いっそのこと消えてしまいたい。  今日も、放課後、真冬の寒空の下、校舎裏でクラスの連中にボコられ、顔にアザを作って帰る羽目になった。そんな目に合う僕を、『アレ』は不気味な笑みを浮かべながら見つめているんだ。教室にも、放課後の校舎裏にも、屋上にも、いつだって、どこだって、僕の行くところには必ず『アレ』が付きまとう。帰り道、道路の無機質なアスファルトの上に、かげりゆく空からのわずかな光によってできた僕の虚ろな影……そこにも、あそこにも。老朽化が進む寂れた公園、その片隅にポツンと置かれた古い遊具の上……そこにも、あそこにも。駅のホーム、廃墟ビル、空き家、商店街にある空き店舗、路地裏……そこにも、あそこにも、そこかしこに。  ――ああ、そうか、『早く向こう側に行こうよ』、『こっちにおいでよ』って誘っているんだ。ふざけるな、奴らの思い通りになんてなってたまるか。どんなに虐げられようとも、『アレ』と同じようになるなんてまっぴらごめんだ。僅かでも、『憑かれてしまえばいい』だなんて思った自分を恥じた。  だけど、あの時までは――そう、あの時までは、僕は、それらに何としてでも抗い続ける気でいたんだ。そう、思っていたんだ。  いつもと変わらない放課後――僕のあらぬ噂、流言飛語を校内にバラまかれ、いつもと同じように陰口を言われ、放課後はボコられる。いつもと変わらない。全く変わらない。変わらない日常――のはずだった。  別に、好きでもない女子に避けられていたって平気だ。気味悪がられていたって平気だ。だけど、それがここ数日は今までにないくらい露骨になってきていた。  ――その理由がほどなくして判明する。  その日、僕が学校から家に帰ると、なぜか僕の家に警察の車が止まっていた。いや、僕は真っ当に生きているし、人様に迷惑をかけることも、警察のお世話になるようなことも、そんなことをした記憶は一切ない。むしろ、僕が今まで受けたイジメに対して何らかの法的措置を取ってもらえるんじゃないかと、少しだけ希望を抱いてしまう僕がいる。これは転機か? 僕の、今までの品行方正さが天に認められたのだろうか? ああ、神様、ありがとう。  僕は心躍る気持ちを抑え、ニヤニヤしながら玄関のドアを開ける――すると、案の定、二人の警官が僕の母親に聞き込みをしている。  ああ――これは、僕の楽観的な予想は大きく外れたな……と、母親が僕に向けるその視線によって気づかされた。それは、まぎれもなく、ゴミを見るような目だ。警官の二人も、母親と同じような眼差しで僕を見ているような気がする。 「望くん、だったね。少しだけお時間、いいかな」  警官の一人が僕にそう話しかけてきた。 「はい、構いません」  僕はかしこまった。 「先週末、金曜日だね。学校からの帰り道、どこかで不審な人物を目撃しなかった?」 「不審な人物、ですか? いえ、別に、何も――」  そう僕が答えると、丁寧な口調の警官とは別のもう一人の警官が、僕を睨みつける。 「いや、君がね、商店街を抜けて、そのままその近所にある雑木林の小道に入っていくのが目撃されているんだよ。雲永 餡子(くもなが あんこ)さんについて、何か知っていることがあるんじゃないかな?」  威圧的にもう一人の警官が僕にそう問いかける。 「いえ、そんなこと言われても、何のことなのか――」 「――知らない? そんなはずはないと思うけど? 君のクラスメイトの女の子、雲永 餡子さんが殺害された事件、君のクラスなんだからこの話で持ち切りだったはずでは? とぼけるのもいい加減にしたほうがいいですよ」  つい、僕は、身に覚えのないことを指摘され、いつもの癖で、相手を蔑むような冷たい視線を警官に送ってしまった。 「その態度――」  威圧的な警官が、今にも怒り露わにしそうな表情で僕を見下ろす。 「よしなさい! まだ、彼がこの事件に関与しているかどうかなんてわからないだろう」  丁寧な口調の警官が威圧的な警官を制止する。 「しかしですね、俺の親戚の子が彼と同じ高校に通っていますけど、彼についてはかなり悪いうわさが――」 「いや、それとこれとは別だろう。まあ、落ち着きなさい」 「ですが、彼の言動、それに挑発的なあの態度、まったく気にならないんですか?」  警官二人は小声で話しているが、僕には丸聞こえだ――そう、僕はいつだって、この無意識のうちにしている目つきのせいで嫌な思いをする。 「さて、この辺で――光峰さん、望くん、今日はありがとうございました」  警官の二人は軽く頭を下げ、玄関のドアをくぐると道路脇に駐車していた車でその場から去っていった。  ――雲永 餡子。僕と、同じ学校、同じ学年の女子生徒。派手な金髪でチャラチャラとしたアクセサリーを身に着け、考え方はいつだって自分中心で口も悪い。いかにもギャルといった感じの見た目にその性格から、僕とは一切の接点を持つことはなかった。事務的な会話すらした記憶もない。僕と目があえば、僕のことを蔑んだような目つきをしてすぐに視線をそらしていた、と思う。それについて確証はない。むしろ、彼女の言動、性格、素行、全てにおいて僕の想像に過ぎず確証はない。つまり、あまりにも接点がないせいか、彼女のことは僕の記憶に微塵も残っていない。  しばらくして、母親は、僕に一切の言葉をかけることもなく、その場から一刻も早く立ち去りたかったのか、足早に居間の方へと向かった。僕も何も言わずに、家に入り、洗面所で顔を洗う――なぜだろう、急に涙が、溢れ出して、止まらない。子供も、大人も、家族も、みんな、みんな、誰も、誰も、僕の味方をしてくれない。性格のせい? 顔つきのせい? 目つきのせい? 僕は、この世の中に『望』まれてなんかいない、僕の名前なんて、『望無』がお似合いなんだ――  こっそりと自分の部屋に戻り、ベッドに横たわる。泣き疲れた僕に強烈な睡魔が襲う。そのまま、その心地の良いまどろみを受け入れる。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加