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――しかし、それが一向に終わる気配もなく、僕がそれに貪られる気配もない。それどころか、僕の感情が彼らの苦悩とシンクロし、苦しい気持ちが重く、余計にのしかかってくる。僕に流れ込んでくるのは、記憶、ではない。負の感情、そのものだ。
目を開けて、現実を直視する。僕に強烈な視線を送る『アレ』の集団。不思議なことに、僕と同調した『アレ』たちは、僕の意思に従って動いているようにすら見える。
呪詛、それにはすさまじい力があり、人を呪い殺すのだって容易いことなのだと聞く。渦巻く負の感情、その塊をもってすれば他者の精神を崩壊させるくらいのことは容易だろう。
すると、僕に、とてつもなく悪い考えが浮かんだ。この力をうまく利用できないものだろうか? 『アレ』を使えば、他人を不幸に追いやることだって……できるだろう? ああ、それがいい、僕は、僕に危害を加えた奴ら全員の精神を崩壊させてやろうと、そう心に決めた。そうだ、『アレ』たちも、僕がただあちら側に行くよりも、負の感情をばら蒔き、あちら側に少しでも多くの人間を送ってやることを望むだろう。
きっと彼らは、僕が『アレ』に適正のある人間だということを知っていて、その虚ろな眼差しで僕のことを狙っていたんだと思う――ずっと。
――僕は家に帰る。父親はビジネススーツに着替えており、会社に出勤する準備を慌ただしく行っていた。
「ああ、望、昨夜はすまなかったな……つい、カッとなってしまって……」
「別に……もういいよ」
父親は気まずそうな感じで僕に謝ってから、足早に玄関のドアを開け、仕事へと向かおうとした。その時、僕は、もう根に持っていないような返事をしつつも、僕に憑いている『アレ』を掌の上に集約、凝縮させ、その一部を父親に向かって解き放つ。当然、当人には『アレ』が取り憑いたことなどは気づけるべくもない。コントロールも僕の意のまま思いのまま、これは予想以上の出来だ。さて、この後はどうなることやら。
――そうだ、いつまでも『アレ』と呼ぶのもどうかと思うし、『怨詛』とでも名付けるか、それとも、『念』か、オーソドックスに『呪』か、『終情』なんていうのも洒落ている。――『闇の力』――ふと頭の中に浮かんだ言葉。うん、ある意味それっぽい。――そんなことを考えつつ、母親と気まずい会話をする。
「怪我、してない? ちゃんと、正直に話をすれば殴られないで済むんだから――」
母親は相変わらず、僕が何かを隠していると思い込んでいるようだ。
「別に、後ろめたいことなんて何もしていない」
僕は本当に、本当に心の底からそう思う発言をしたとともに、何か罪悪感のようなものと、抑えきれないほどの高揚感を覚えた。今日から僕は、弱者の側から、強者の側に回るのだ。
「問題だけは起こさないでちょうだいね……」
母親のその言葉、僕のことを心配しているように見えて、実のところは自己保身のことばかり考えていて、本当に嫌気がさす。
まあいいさ、今日からは学校へ行くのがすごく楽しみだ。
学校への道すがら、僕にまとわりついている『闇の力』の数を確認してみた。一、二、三、四――父親に一つ付けたのを合わせて、今のところ八つ。それらは、その姿すら朧げであり、造形は無残にも崩れ、既に人の形を成していない。その中で、まだ、その姿が人の輪郭をしている『闇の力』が一つ、ぼんやりとしか視認できないが、どこか見覚えがある――おそらくこれは殺害されたクラスメイトの女子だろう。まさか、雲永 餡子……彼女までが憑いてきてくれるなんて、ある意味とてつもなく心強い。もし、校内に彼女を殺害した張本人がいるのだとしたら、さぞ面白いものが見られることだろう。これからが本当に楽しみだ。しかし、何かと無意識に敵を作っていく僕、そんな僕の身を守るためにも、こういった『闇の力』を少しずつでも増やしていかないといけないな。
そんなことをぼんやりと考えつつも、駅構内に入り、駅のホームで電車を待つ人々の列に並ぶ。すると、近くを彷徨っていた『闇の力』が僕に吸い寄せられるように憑いてきた。まるで、僕は磁石だ。周りの人間には何も見えていないようだ。こんなあっさりと簡単に闇の力が増やせることを知ってしまった僕は、まるで冥界の王にでもなったような高揚感を覚えた。世界各地に散らばる無数の『闇の力』を終結させ、僕が闇の軍勢の王となる、そんな日がいずれ訪れるであろう。
だが、僕がそんなことを考えながらニヤニヤしているところを、僕と同じくホームで電車を待っている同級生に目撃されていたらしく軽蔑的な視線を送られていることに気が付いた。いや、軽蔑的というよりは、どうでもいい、という視線かもしれない。それか、僕が自意識過剰になっているだけなのかもしれない。ああ、これからはこんなことを気にする必要もない。なぜなら、僕には力がある。そう、『闇の力』だ。この力によって、今まで僕を見下してきた人間たちが、この僕にひれ伏すことになるのだ――いずれな。
僕の家から学校へは、商店街の通りを抜けた先にある駅から電車に乗り、そこから二駅ほどで着く。歩いても二十分程度の場所にある公立校に通っている。もともと、将来になんの夢も希望も持ち合わせてない僕は、高校なんてどこでもよかったし、今通っている近場の公立校で十分すぎるほどだった。ここはゴミみたいな生徒も数多くいるけど、そんなのは私立校に通ったところで大して変わらないだろう。
いつも通りに学校の校門をくぐり、上履きに履き替え、階段を上り、教室へと向かう。普段ならここら辺でも僕のことを『闇の力』が凝視しているのだが、今まで校内を彷徨っていた『闇の力』はすべて僕に憑いていしまっているのか、今日は校内に『闇の力』が全く見当たらない。少しくらいは『闇の力』を増やせると思っていた僕だったが、これは計算違いだったようだ。
ふと、隣のクラスの前を通るとき、被害者の女子と思われる『闇の力』から強力な念の波動が放出されたことを僕は感じ取った。これは……まさしく――犯人はこの中にいる。
そっと、教室の扉の隙間から内部を覗き見る――これでは、どこからどう見ても不審者だ。ただでさえ怪しい嫌疑をかけられているというのに……僕は扉から離れ、壁に寄り掛かるふりをして、教室の壁にあるガラス窓からこっそりと教室内を覗き込む。
おそらく、僕の視線に同調して負の念が強まる。それを利用すれば、犯人探しだって不可能じゃないはずだ。それは、正義感というよりは、ただ、自分に与えられた特殊能力を試したいという欲求からだった。きっと、その気持ちは『闇の力』にだって伝わっているはずだ。僕らは、利害関係が一致している、ただのビジネスパートナーのようなものに過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない。おそらく、そういうものだろう。そういうものだと信じたい。
僕が教室内の生徒に向けて順番に視線を移していくと、隅っこに座っている一人の女子に視線が合った時、『闇の力』の不快な念が徐々に高まっていくのを感じた。名前はわからない。ただ、髪の毛を結って動物かなにかの耳の形を模しているような、そんな奇抜な髪形をした女子に対して不快な念を発している。――虫一匹すらも殺せないような雰囲気を醸し出している彼女が? いや、『闇の力』は嘘をつかない、はず。彼女が犯人、もしくは、犯人と何らかの繋がりがあるに違いない。『闇の力』もそんな感じで負の感情を僕に押し付けてくる。
僕は、隣の教室の生徒に気付かれないよう、素早く自分の教室に戻り、自分の席に着いて、一息もついた。
心なしか、周りの声が聞き取りやすくなっている気がする。僕の周りだけ空気の流れが違うのかもしれない。聞き耳が立てやすくなるなんて、なんて便利な能力なのだろう。
「おい、あいつ、平気で学校、来てるぜ」「まじかよ……殺人鬼だろ? まじで怖えな」「アイツ、雲永にフラれて逆上したって噂だぜ」「陰キャはキレると怖えってマジなんだな」「お前だって十分すぎるほど陰キャの部類だろうが」「まあ、いつまでも隠し通せないだろ。俺たちもアイツに関わるのやめようぜ」「お前、それマジでウケるんだけど。もともと俺たち、アイツとは全くの無関係で接点の一つもないだろが。このクラスに一人だってアイツと仲のいい奴なんていないんじゃねえの?」「だったな」「だな」「ウケる」
――虚言。今まで散々、僕をボコっておいて、それでいて一切接点がないだとか。いいだろう、もう少しだけ『闇の力』を増強させたら、お前ら一人ずつ無慈悲な混沌に陥らせてやるからな、その時を覚悟しとけよ……。僕は、強い信念のもと、そうした決意を固めたのだ。
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