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 午前中の退屈な授業も終わり、ようやく昼休みが訪れる。僕はそそくさと学食へと向かい、いつものように『今日のおすすめ』のメニューを注文する。別に、それが食べたいからとかではない、メニューを見ながら悩んでいるところを誰かに見られたくないからだ。そんな些細な事で何が起こるのだろうかと思うかもしれない、だが、そんな些細なことにいちいち突っかかってくるクズどもが少なからずいるのも事実。ならば、無用なトラブルを極力回避するためにも僕の行動に間違いはない、はずなのだ。  僕が、いつものように壁際の隅っこでひっそりと昼食をとっていると――波打つような念の鼓動を感じた。周りを見渡してみると、あの隣のクラスのケモ耳女子が背の高い三年の男子と話をしているのを僕は目撃した。なるほど、あの()()()のいい三年生が主犯で、ケモ耳女子が共犯か。ふむふむ。少しずつだが、この事件の真相に近づいているのだろう――おそらく。このようにして、数々の難事件の真相を解明していくことにより、『闇の力』も強大になっていくに違いない。だとしても、ここからどう動けばいい? こんな探偵じみたことをしていても仕方がない。ならば、声をかける? どちらかと直接、話をしてみようか? だが、他に――そうだ、この僕に取り憑いている『闇の力』――雲永 餡子(くもなが あんこ)を、あの三年生の男子か、もしくはケモ耳女子につけてしまえば――いや、そんなことをしたところで、相手を衰弱させたり、精神崩壊させたり、呪い殺せたりができたとしても、『闇の力』によって事件の真相を暴くことなんてできるはずもない。そもそも――この事件の真相をちゃんと突き止めないと、いずれ僕自身が犯人に仕立て上げられてしまうのではないかとなんだかとても不安な気持ちになってきた。もしかすると、それが真犯人の狙いなのかもしれない。だとすれば、僕と犯人に何らかの接点もあるのだろうか? これは、謎が謎を呼ぶ、この事件の真相は、この僕が必ず突き止めねば! 僕にしてはとてつもなく前向きな考え方だ。  ああ、これは、強大な力を手に入れたことによって、後ろ向きだった僕の考え方が大きく変化してきているのだろう。この世界のすべては僕の手中にあると考えれば、これだけ気が大きくなっても当然だ。いや、調子に乗っているわけではない、現に、僕にはそれだけの力があるのだ。力こそすべて。力なき正義など無力なのだ。ウヘヘヘヘ……。  あれだけ卑屈な気持ちを抱えていた日常に、今では希望の光すら見いだせている気がする。自分の名前が好きになれるような気だってしてくる。  だが、心なしか――そんな高揚感とは裏腹に、なぜだか蝕まれているというような、そんな不快感を覚える、それと同時に、僕が僕でなくなってしまうのではないかという大きな不安が僕に芽生えてきているような、そんな感覚もあったのだ――  結局、僕は何一つ答えが出ていないまま、午後の授業も終わり、今日の放課後を迎えていた。  あの事件の影響で僕に関わりたくないという生徒が増えたおかげか、僕は日常的にボコられずに済むのかもしれないという解放感に喜びすら覚えていた。これからの平穏な日々。なんと憂いなきかな。この状況であれば、天を恨みず人を咎めず、何もかもを許せてしまうようにすら思える。他者が自分から遠ざかってくれるだけでこんなにも清々しい気持ちになれるなんて。僕にはやっぱり一人ぼっちがお似合いだ。  そんなことを考えつつ校門に向かうと、先ほどの背の高い三年生男子とケモ耳女子がまたもや一緒にいるところを見かけた。なぜだろう、あの二人を見ていると、念の鼓動が高まるのを感じ、なぜか愛憎入り乱れた感情が沸き上がってくる。これはつまり……被害者女子、生前の雲永 餡子とあの三年生男子の間に複雑な事情、何らかの関係があり、その仲を引き裂いた元凶、それこそがケモ耳女子だということなのだろうか? それで、痴情のもつれによって、雲永 餡子は殺害される羽目に……? なるほど……しかし、あの二人が犯人だというのならば、決定的な証拠も必要になるだろう――証拠? そもそも、僕はこの事件について、雲永 餡子が殺害されたこと以外、何一つとして知らないじゃないか。雲永 餡子のことも、あの三年生のことも、ケモ耳女子のことも。これは、どこかで聞き込みから始めるしかない。となると、まずは、見た目からきちんとしなければ。  ――僕は、帰り道、商店街にある行きつけの床屋へと向かった。  今日は少し混んでいるが、まあいいさ。いかにも古臭い床屋といったその店内には、老けた店主、それに若いアシスタントの男女が二人、三つほどある理容椅子は満席、順番待ちの数名が古びたソファに座って退屈そうにしている。僕は、ボロボロで穴だらけになったオレンジ色のソファに腰を掛けて、おそらく何十年も前からこの場所で読まれ続けているのであろうボロボロになった古い漫画本を手に取り、僕の順番になるのを待つ。隣に座っている白髪交じりのおじさんがこちらをジロジロ見ている気がする。自意識過剰、自意識過剰、見ていない、見ていない。  ――どれくらい待っただろうか? 席が空き、僕の名前が呼ばれる。僕の順番がまわってきた。僕は理容椅子にどっしりと腰を掛ける。実際にはおどおどしているのだろうけど、気にしない。 「さて、今日はどのようにいたします?」  店主から聞かれ、僕は慌てた。慣れているはずなのに、いつも慌てる。 「ええと、短くしてください。あ、でも、前髪は目よりしたぐらいまであったほうがいいです。後ろはバッサリでもいいです。横は前髪に合わせてください」  とにかく思いついたことを一気に伝えた。 「え、前髪、長くてもいいの? そうすると、前髪は揃える程度になっちゃうけれど」 「ええ、まあ、こだわりなので」  『こだわり』? 何のこだわりだろう? 僕は何も考えずに『こだわり』とか言ってしまったことを心底後悔した。こんなことは誰にも理解などしてもらえないだろう。それは、鏡越しに見えている苦虫を嚙み潰したような顔をしている店主からもひしひしと伝わってくる。いや、店主の表情は単なる思い過ごしかもしれない。そう思いたい。  僕は、鏡に映った僕と目線を合わせないように、とにかく必死で目線をそらしたり目を瞑ったりしていた。そんなことをしている間に僕の散髪も完了していたようだ。 「終わりましたよ。どうですか?」  店主の言葉とともに、僕は鏡に映った自分の髪形をまじまじと眺める。前髪はやや長め、横と後ろはなんだかとても短い――ややアンバランスだ。だが、ここでも追加注文をできないのが僕なのだ。 「大丈夫です」 「では、シャンプーはどうします」 「お願いします」  別に、この後は何かがあるわけでもなく、真っすぐ家に帰るだけ、なのだから洗髪なんてしてもらわなくてもいいはずなのだが、なぜか断れない。  アシスタントが仕事を引き継ぎ、手にシャンプーをたっぷりとつけ、僕の髪の毛を洗い始めた。「痒いところはありますか?」とか聞かれても、僕は「ないです」としか答えない。洗髪後にドライヤーで髪を乾かしてもらい、その後に「何か髪に付けますか?」と聞かれれば、「ワックスで」と答える。これは、僕が中学生のころから変わらない、いわば、定番メニューなのだ。何もつけないとか、それ以外の選択肢を選ぶとかいう冒険心は持ち合わせていない。  ――僕は散髪代を支払い、逃げるようにして店を出る。これでいい。あとは、ボソボソした喋り方を少しだけ変えればいい。そうすれば、少しは気味悪がられず話を聞いてもらえる、はずだ。ただ、それだけだ。それだけ、なのだが、それができれば苦労はしない。
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