平和な年末

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平和な年末

△ 勤め先のカルチャーセンターでは、最近スマホ関係の授業に力を入れている。 美術系専門学校卒の俺は、今までは絵手紙とか水彩画とかイラストのクラスを受け持ってきた。しかし近年は受講者が先細りしている。 そのかわりスマホを使いこなしたい高齢者の問い合わせが多くなり、以前よりクラスが増えた。それに伴ってなぜか俺も駆り出される羽目になったわけだ。 まあ、暇でカルチャーセンターが潰れるよりはずっといい。 「先生これは何のマークだっけ?」 「機内モードです」 「わからんねえ」 「先生これは?」 「バッテリーマークです。あと88%です」 「昨日は100だったのにおかしいわ」 「のっとりじゃないか?NASAの陰謀かも知れない」 「なんでNASAなの?」 「少し前に隕石だがなんだかが落ちて来て、地球が滅びるなんて話をNASAが言ってただろ?」 「全然聞いたことない。実際落ちて来たの?」 「落ちて来なかったから、今生きてるんだろ。NASAは怪しいんだよ」 スマホより井戸端会議が主流なのだ。のんびりしたものである。 NASAの話を聞き流していると、俺のスマホが震えた。 『××日に忘年会しましょうよ』 なんと母さんからの誘いである。 ただその日は六月と忘年会の予定である。 『急に何なの?』 『みんなでご飯食べたくて』 なんだそれだけか。 『なっちゃんとやっちゃんも来るわよ。あと、聡くんも』 なっちゃんは俺の妹で、聡くんはその旦那さんだ。やっちゃんは2人の子供でつまり俺の姪っ子。 童顔で小柄な聡くんは、いわゆるいじられるキャラなので母さんは雑に扱って楽しんでるふしがある。 婿いびりみたいな感じだろうか。もちろん本気で意地悪してるわけではない。と思いたい。 聡くん本人は母さんよりも、無口な父さんの方が苦手みたい。 何もしてないのに可哀想な父だ。 『年末に食事するってことは、なっちゃん達はお正月には帰ってこないの?』 『お正月もくるわよ。やっちゃんのために芋きんとん作るもん』 やっちゃんは栗きんとんより、芋きんとんが好きなのだ。渋いな。 『前に話してた同居のことをみんなと相談できたらなと思って』 ああ、その話か。 俺は今、六月と一緒に古い貸家に住んでいる。 なっちゃんたちは、ここよりは少し都会のマンションに3人で住んでいる。 つまり実家には父さんと母さんしかいないのだが、子育てと仕事の両立が大変だからと、なっちゃん夫婦と二世帯で同居しようという話が出ているらしい。 『だからあんたも来なさいよ』 『別に俺はいいよ』 『あんたと、あんたの家の子も来たらいいじゃない。ステーキ食べるのよ』 あんたの家の子というのは六月のことである。どうやら母さんは六月のことも聡くんみたいにいじめてみたいらしい。 嫁いびり?…ではないな。やはり婿いびりだろうか。しかし、そんなことは絶対許さない。 六月はどうやら、よく喋る陽キャな母さんが苦手なようだ。 そもそも六月は人見知りだし、ただでさえ営業なんてストレスフルな仕事をしてるのだから、プライベートで無理はさせたくない。 『無理はさせたくない』だなんて、我ながらずいぶん過保護である。 年上だし、普段は俺よりずっとしっかりしてるけどなぜか俺は六月を守ってあげたい願望があるようだ。 やりすぎると保護というより、束縛になってしまう。 『ステーキ好きでしょ?』 『その日は都合が悪いから』 『夕ごはんよ?その時間に仕事あるの?』 『その日は本部で会議なんだ』 もっともらしい嘘をつくと、母さんもしぶしぶ引き下がった。 『じゃあまた今度ね』 ◎ 蟹の値段も高騰しているなぁ。 地元では有名な蟹専門店『かに山』のホームページ を仕事の合間にのぞいていた。 蟹は海のものなのに、なぜ『かに山』という店名なんだ。 忘年会プランのコースはどれもなかなか良いお値段がする。 とりあえず席だけは予約したものの、コースも頼んでおかないと当日が心配だ。 蟹だけでは採算が取れないのか、それ以外のメニューもふんだんに取り揃えている。 蟹と松茸コース(季節限定) 蟹とスペシャル和牛ステーキコース 蟹とおまかせ海鮮コース 蟹とチーズタッカルビコース バラエティ豊富すぎる。 そういえば少し前はうちの広報誌に、時々割引クーポンを出してくれていたが最近はみかけない。 「何してるの?」 同僚の道端さんが近くの席から声をかけてきた。 「最近はうちに忘年会のクーポン乗せるお店が少ないなぁって思ってたんです」 「さすがは営業、いろいろ分析しているのね」 自分が蟹を食べに行くからです。とは言わないでおこう。 「自分のお店のSNSとかで出してるんじゃない?」 「それは困りますね」 広報誌の一番のお得意様である、地元のお店がSNSで宣伝活動をするようになってからうちの会社は業績が下がりっぱなしである。 「六月君の同級生のパン屋さんあったよね。あそこもSNSだけの宣伝みたいだし」 「ああ、中丸パンですね」 中丸パンは俺の高校時代の同級生がやっている駅前のパン屋さんだ。気取ったコンクリ打ちっぱなしの店で、気取った固そうなパンを売っている。いけ好かないパン屋だ。 中丸は輩(やから)みたいなタイプだから文系の俺とは相いれないし、高校の時に俺とみつきのことでいちゃもんをつけられた過去があるから尚更だ。 「最近は地元を若い力で活気づける、プロジェクトとかやってるよ」 「プロジェクト?何ですか?」 早速中丸パンのSNSを見ている。 妙にお洒落な色調に補正されたパンの写真や、ワザとらしくパンをこねている中丸の後ろ姿の写真が載っている。 写真を加工する暇があるなら、パン作りの腕を磨けよ。 そう思って投稿をみていると『#地元応援プロジェクトかがやき』というタグがつけられている。 「かがやき?」 「『若い世代で地元をかがやかせよう』とか書いてあったよ」 勝手に輝かせるなよ。むしろこんな街はくすませておけ。 だいたい「地元に貢献したい」とかいう人間は一番信用できない。 本当に貢献したいなら、無料でパンを配れ。 心の中で悪態をついていると、道端さんがさりげなく聞いてきた。 「最近堀米さんとギクシャクしてない?何かあった?」 勘がいい。確かに忘年会から堀米さんとは距離を置くようになってしまった。我ながら子供っぽいけど、以前のように親しく話せないのだ。 「そうでもないですけど」 言葉を濁すと道端さんはそれ以上は聞いてこなかった。 △ 夕飯は月見豚汁にした。と言っても昨日六月が作ってくれたトン汁に卵を落としただけだ。 あとは納豆、ちくわともやしの炒め物。そして白米。 このごろ六月は以前に比べて頻繁に料理をしてくれるようになった。 豚汁、鶏汁、けんちん汁。あとはみそ汁。六月らしいシンプルイズベストな料理だ。 以前はお金がないのに、面倒な時はついついコンビニで買ってきたものを食べていた。物価が上がってもなんとかやってこれるのは自炊のおかげだ。 平屋のこざっぱりした貸家が、俺たちの住んでる家だ。 新しくも広くもないけど、2人で別々の寝室もあるし駐車場も2台分ある。貴重な物件。 車のエンジン音が聞こえ我が家の駐車場に停まった。しばらくすると玄関から六月の声が聞こえた。 「ただいま」 グレーの丈の長いコートにマフラーをぐるぐるに巻いて、リュックを背負っている。 コートこそが短いダッフルコートだったが、寒そうにマフラーをぐるぐる巻きにする姿は高校の時と変わってない。 かわいくてかっこいい。 リュックは俺がプレゼントしたものだった。プレゼントと言っても俺が使っていたものを六月が気に入っていて、そのまま譲った『おさがり』だ。でも本人は気に入ってるみたいだ。 「おかえり、寒そうだね」 六月は頷くと、ぐるぐる巻きのマフラーを外して手洗いうがいをした。 「夕飯ありがと」 ちゃんとお礼を言ってくれる。こういうちょっとしたひと言が長く一緒に暮らすには大切なんだろうな。 「そういえば忘年会の蟹のコース何がいい?」 「蟹?なんでもいいよ」 「じゃあ、当日のお楽しみで」 当日のお楽しみ? なんてかわいい言葉だろ。にやにやしそうになるのを慌てて誤魔化す。 「何?」 「なんでもない」 「年末年始はどうするの?」 「少し実家に顔を出そうかな」 実家はここから車で20分ほど。正月といえでも気楽に日帰りにしている。 六月の実家も近いけど、あまり両親と仲良くないので正月でも挨拶にはいかない。だから俺も年末年始は出来るだけ六月と一緒にだらだら過ごすことにしている。 気を使っているわけではなく、せっかく同じ時期に休めるのだから一緒にいるだけだ。 六月は少し申し訳ないと思っているらしく、小さく「そうか」とだけ呟いた。 ◎ 年末年始くらい泊ってくればいいのに・・・と心の中で呟く。 1人でゆっくりお正月特番のクイズ番組『12時間まるごとクイズ』が見たかったのだ。 みつきはクイズ番組が好きじゃない。12時間も見ているなんて耐えられないだろう。だから1人でゆっくり見たいのにな。 それでもみつきが日帰りするのは、俺を一人にさせないための心遣いなのだ。 嬉しいし、かわいい。 今日は洗い物もしてくれたし、先に風呂を譲ってくれたし、尚更愛しいな。 こたつに潜って、風呂上がりのみつきにひと声かけてみる。 「する?」 みつきは首を傾げた。 「何を?」 ちょいちょいと手招きしたら、しゃがみ込んで顔を寄せて来る。 耳打ちするふりをして、俺が耳たぶをパクリとかじると、驚いてのけ反った。 「やめる?」 「いや…ぜひお願いします」
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