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なんだかんだと
△
なんだかんだ、俺は六月の掌で弄ばれている。くそう。
俺の布団に倒れ込んでる六月は、まるで俺には興味無さそうな虚ろな目をして天井を見ている。
薄情そうな唇にも腹が立つ。日頃の復讐をしてやりたくなる。
首筋に口付けても、六月は声も出さない。Tシャツの裾から手を差し込み、胸元に指を這わせた。
右手で腰を撫ぜる。
六月の身体の香りで頭がぼんやりしてくる。いつの間にか俺は夢中になってしまって、こいつに復讐してやりたいと思う余裕すらなくなる。
俺の息が苦しくなる頃やっと六月の声が少しだけ聞こえてきた。
そしてまた俺は彼に夢中になるのだ。
「蟹、楽しみだね」
俺の言葉に、隣で横になってた六月がクスクス笑った。
「なんだよ、楽しみにしてたら悪い?」
「別に」
甘い声。甘い雰囲気。
今なら大丈夫かな。
「ひょっとして、会社の忘年会で何かあった?」
思い切って、ここのところ気になっていたことを聞いてみた。
「うーん。どうだろう?」
六月の綺麗な横顔を見ると、少し戸惑ったように天井を眺めている。
「俺、いつもと違ってた?」
「うーん。そう言われると、どうだろう?」
同じような返答をしてしまうと、六月はまたクスッと笑った。
「何で笑うの?」
「なんでだろうな。昔は笑えなかったかもな」
六月は柔らかい声になった。
「正直に言うと少しだけイヤなことがあった。昔だったらずっと引きずってたと思う。でも今はお前がいるから」
「俺がいるから何?」
「前向きになれてるんだと思う。良い影響を貰えてるんだと思う」
「じゃあしっかり俺の目を見てお礼を言いなさい」
六月は真顔でこちらを見た。
「調子に乗るなよ、ガキ」
怖い。
◎
年下の生意気なクソガキが、誰より俺のことをわかってくれている。
それがとても嬉しくて、最近のモヤモヤなんてどうでも良くなってしまった。
みつきに会ってから、そして一緒に暮らし始めてからは少しずつだけどなりたい自分に近づいて行ってる。もちろんうまくいかないこともあるけど、今は素直にみつきとずっと一緒にいたいと思える。
ふわふわした気分で出勤したら、会社で飲むコーヒーを切らしていたことに気がついた。
そうだ、今週は俺がお茶当番だった。
みんなが休憩中に飲む分だけなら大した問題ではないが、来客用も兼ねているから困った。
年末年始は来客が多いし。何も出さないわけにはいかない。
以前もらったドリップコーヒーの詰め合わせとかなかったっけ?最悪、変色してそうな緑茶のティーバッグでもいいか。
給湯室で棚を漁っていると、後ろから聞き慣れた声がした。
「おはよう」
堀米さんだった。
「おはようございます」
「これ家にあったコーヒーセット。会社のみんなが飲んでくれるかなと思って持ってきたんだけど」
綺麗に包装された箱をそっと僕の方に差し出した。
「コーヒーセットなんですか?」
「コーヒーと抹茶ラテとかココアも入ってる」
「包装紙も開けてないのに、中身を知ってるんですか?」
堀米さんは目を泳がせた。つまり『家にあった』わけじゃなくてわざわざ買ってきてくれたのだ。
多分俺へのお詫びのつもりで。
「ありがとうございます」
両手でしっかり箱を受け取った。
「いただきます」
数年前の俺だったら出来なかったかもしれないけど、今は素直に受け取れた。
おそらくこれもあの生意気なクソガキのおかげなんだろう。
「良かった」
堀米さんはいつものように笑った。
「ほうじ茶ラテも入ってたよ」
「美味しそうですね」
美味しそうなやつは、先に取っておいて俺と道端さんだけで飲もうかな。そんなことをたくらんだりした。
△
六月はよく笑うようになった。
『お前から良い影響を貰えてるんだと思う』なんて、胸が苦しくなるような事も言ってくれる。
嬉しいけど、少しだけ寂しさを感じる。あまり他人に心を開かない六月が俺にだけ笑ってくれることに、優越感を持ってたのかもしれない。
ぼんやり職場のデスクでそんなことを考えていると母さんからメールが来た。
『今日はステーキを食べに行く日よ。スペシャル和牛ステーキコースよ。本当に来ないの?』
しつこく食事会のお誘いだ。
今日は六月と蟹を食べに行くのだ。絶対に無理である。
『今日は会議だって言ったろ』
『あとから合流したら』
『行かないよ』
『あら、そう』
うーん冷たいかな。俺も六月から良い影響をもらわなければ。
六月は親しい人は少ないけど、仲良くなればすごく優しい。俺も少しは見習おう。
『お正月に顔出すから』
『わかった』
母さんにも少しは優しくしなければ。
『かに料理・蟹山』の暖簾をくぐると、六月がカウンターの横の椅子に座って待っていた。
「奥の半個室に席を取ってくれてるって」
「やった」
2人して奥に進んでいくと『予約席』と書かれた札のある座敷に案内された。
隣の長テーブルにも『予約席』の札が置かれている。
隣がうるさい人たちじゃないといいなあ。
「こちらスペシャル和牛ステーキコースの前菜です。蟹サラダレモン風味になります」
作務衣を着た店員さんが、サラダを持ってきてくれた。
「スペシャル和牛ステーキコース?」
「肉も食べたいかと思って、蟹と和牛のコースにしたんだ。最近はいろんなコースがあるらしいよ」
なんとなくイヤな予感がする。と思った時に、隣の席に良く知る顔ぶれが現れた。
◎
なんとなく見たことのある若い女の人が座敷の中に入って来た。次に若くて明るい雰囲気の男性。それから小さい女の子。
どこかで会った気がする。
次に現れた中年の男性は確実に会ったことがあった。
そのあとでやってきたのはみつきのお母さんだった。
みつきの家族、つまり藤原一族が蟹を食べに現れたのだ。しかも俺たちの隣の席。
「あら、今日は会議じゃないの?」
みつきのお母さんが相変わらずハキハキと言った。なんと表現すればいいかわからないけど、元気過ぎてちょっと苦手。
みつきは気まずそうな顔で黙った。
『なんとなく見たことのある女の人』はみつきの妹さんだった。久しぶりに見たけど、元気そうでよかった。
「今日はステーキを食べるって言ったじゃない。なんでここにいるの?」
「ここのスペシャル和牛ステーキコースを予約したのよ」
まさか藤原一族の隣の席で食べる羽目になるんだろうか?
不安になった瞬間「席を変えてもらおう」とみつきのお父さんがはっきりと宣言した。
そして誰にも文句を言わせない勢いで座敷から出て行った。
他の一族も仕方なしについていく。
「ごめんちょっと行ってくる」
みつきはそう言うと、立ち上がって家族の後を追って行った。
一旦止まって俺の方を見ると「すぐ戻るから」と言った。
△
「父さん」
後を追っていくと父さん達が廊下で待っていた。
「今日は会議って言ってたのに」と文句をいう母さんを先に行かせて、何やらこそこそとポケットを探っている。
「六月さんにお詫びをしといてくれ」
六月さん?馴れ馴れしいな。ほとんど面識はないはずなのに。
父さんはそっと俺の手に三つ折りにしたお金を2枚握らせた。
一万円札が2枚。
「二万円もくれるの?!」
「違うよ」
よく見たら、内側の1枚は五千円札だった。
「なんだ15,000円か」
父さんは咳払いをした。
「六月さんによろしく」
六月さん?やっぱりちょっと馴れ馴れしいな。
◎
1人で蟹サラダを食べていると人の気配がした。
「お兄さんこんばんは」
振り返ると、さっきの明るい男の人だ。この人も藤原一族なのか。
「あ、すいません間違えました」
俺とみつきを間違えるなんて。どうかしてるのか。でも一緒に暮らしてたら似てくると言うしな。
「僕は聡と言います。妻はなっちゃんで。つまりみつきさんの義理の弟です」
「そうなんですか。こんばんは」
「名前だけでも覚えて帰って下さい」
芸人さんみたいなセリフ。
「聡くん何してるの?」
みつきが戻ってきた。
「おにいさんに年末のご挨拶をしようと思って。今年もお世話になりました」
「こちらこそ。とりあえずまたお正月に」
聡くんは俺にも頭を下げてから名残り惜しそうに去っていった。
「フレンドリーな人なんだね」
「何か言われた?」
「名前だけでも覚えて下さいって。ところで、ここにみつきの家族がきたのは偶然なのか?」
「当たり前だよ。俺が呼ぶわけないよ」
そうだな。みつきは俺が人見知りだから、とても気をつかってくれている。
特にお母さんが苦手なことは察してくれてるようだし。
「今日は家族でご飯を食べるって聞いてたけど、まさか鉢合うとは思わなかった」
「みつきも誘われてたの?」
「うん。でも六月と忘年会の方が大事だもん」
子供みたいな口調で言った。
「今日はステーキ食べに行くって話してたから、まさかここで会うとは思わなかった」
「蟹だけじゃなくて、色々出してるから」
「そうなのか」
みつきはちょっと申し訳なさそうな顔になった。普段は割とかっこいいのに、こういう時はかわいく感じる。
「食べようか」
「うん」
俺が蟹サラダに向き直ると、みつきもご機嫌になった。
「肉寿司もあるらしいよ」
みつきはさらに目を輝かせた。
△
蟹忘年会も無事に終わって仕事納めもして、楽しい年末年始の休暇が始まった。
「今年やり残したこととかある?」
こたつで仲良くテレビを見ながら、俺は何とは無しに六月にそう聞いた。
「どうかな?蟹も食べたし。お前の家族とも会えたしなぁ」
「ははは」
「ひとつだけあるかもしれない」
六月はそう言って俺のピッタリ横に移動して来た。
俺より少し背が高いけど、しなやかに細い。
「愛してるって言い忘れてたな」
そう言って恥ずかしそうに笑った。
薄情な唇が今日は優しい。
優しいけど、怖い。
だってあの六月が『愛してる』だって?
普段そんなこと絶対に言わないのに、一体どうしたんだ。
浮気か?
宇宙人に操られてるのか?
お金が借りたいのか?
それとも蟹に当たったのだろうか。
「なんだよ、気に入らないのか」
「気に入らないわけがない」
宇宙人に操られてたらNASAに頼みこんで助けてもらう。
お金なら貸してあげる。
蟹に当たったのなら今すぐ救急病院に連れて行く。
浮気は許せないが、六月のためなら結局なんだってしてしまうだろう。惚れた弱み。
俺は六月の細い腰に腕を回した。
「ひとつだけお願いがあるんだ」
六月は真面目な顔をした。
「何?」
「『12時間まるごとクイズ』を見てもいい?」
「え?」
いつの間にかリモコンを手にした六月がチャンネルをかえた。
とても平和な年末だった。
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