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一日目・探索パート③
住宅街から山道に入るまで、徒歩五分くらいは辺鄙なところだ。
通りの両脇は田んぼや畑が広がって、家などの建物はぽつぽつと。
圧倒的に追跡者に有利で、俺は格好の獲物。
この危険区域に踏みだすまえに、口裂け女の現在位置や、自分との距離感をつかんでおきたいところ。
できれば、彼女が住宅街から抜けだすまえに、一気に通りぬけたい。
住宅街の出口まで、あとすこし。
あたりに気配がなく、足音代わりの水音がしない今のうちに跳びだすべきか。
もうすこし待つか、あえて探しにいき、彼女の現状を確かめてからタイミングを計るべきか。
空はグラデーションがなくなり、黒一色に染まりつつある。
ふと、そんな空を見あげ「迷っていられないな」と奥歯を噛みしめてぎりぎり。
まだ夕日の明かりがあって、足元が見えるうちに危険区域を越えなければ。
ただでさえ見通しのいいところで、暗くなってからの懐中電灯使用は厳禁だ。
誘蛾灯のようなもので、彼女をおびき寄せることになる。
懐中電灯を使うほうがリスクがあると分かりきっているなら、刻一刻と暗くなっているなか、迷っている暇はない。
腹をくくって、張りついていた壁から走りだそうとした、そのとき。
向かいの壁の角から、ちょうど口裂け女もでてきたのが、視界の端に。
距離にして十歩くらい?
その近さなら聞こえそうな水音は、直前まで耳にせず。
待ち伏せをしていたというのか。
そう考えると、尚のことぞっとし、ちびるのも忘れて金縛りに。
雷のように、不意打ちで恐怖を叩きこまれては、その衝撃で魂がふっとんだように、すっかり放心してしまい。
勢いよく走りだそうとした格好のまま固まるのに、悠悠と近づいてきて、ぴちゃりぴちゃりと。
水音がやんで、人影が俺の視界を暗くする。
止めていた息を、いい加減吐き、どっと汗を噴きながら「一応確認せねば」と震える頭を、頭蓋骨を軋ませるように傾けて。
もちろん、俺を嘲るように見おろすのは、威圧感たっぷりの口裂け女。
遭遇二回目とはいえ、まんまとパンツを湿らせたほど見慣れやしない。
子供が落書きしたような顔の化粧。
一方で、ワンピースはシンプルなデザインで純白。
全体的に化粧のようにえげつなかったら、単純に怯えるだけなのに。
刺繍をあしらったエレガントなワンピースが目に眩しいからこそ、底知れずまがまがしい。
「わたし、きれい?」と聞かれるどころか、マスクも外していなかったが、耐えきれずに口を開いた。
「ポマード!ポマード!ポマード!」
とたんに、こんどは口裂け女のほうが金縛りになったように硬直。
「よし!」と内心ガッツポーズしつつ、すかさずショルダーバックに手を突っこみ、とりだしたのは丸い缶。
そう、今、叫んだばかりの髪を固めるためのポマード。
蓋を開けただけで「あああああああ!」と後ずさり金切り声を。
長い髪を乱し、身悶える口裂け女も、そりゃあ狂気全開でおそろしかったが、悠長に漏らしている場合ではない。
缶の中身、ゼリー状のそれをすこし指ですくい、道路に投げつけたら「ああああああ!」とまた一歩後退。
その効き目をしかと目にしてから、背をむけて走りだし、等間隔に少しずつ缶の中身を道路に落としていった。
ヘンゼルとグレーテルみたいだなと、頭の隅で思いつつ。
ちらりと窺えば、口裂け女は足踏みしている。
住宅街をでる手前で、缶の中をすべてぶちまけ、あとはもう振りかえらず走ることに専念。
ヘンゼルとグレーテルのように点点と印をのこしては、口裂け女を導くことになる。
とはいえ、さっきの拒否反応からして、お分かりのとおり、ポマードは回避アイテムの一つ。
クラスメイトから聞いたところ。
「整形手術を受けたとき、医者がべったり頭にポマードをつけていたから、それがトラウマを呼び起すらしい」と。
口裂け女の由来についての一説「整形手術が失敗した」に基づいたアイテムという。
俺はゲームをやるまえから、たまたまポマードを知っていたが、前世のころ、いや未来の若い世代は、ほとんど聞いて首をかしげると思う。
ポマードは昭和初期に使われだした男用整髪料。
オールバックやリーゼントを固めるのに重宝されたものの、もっと気軽に使いやすい、ほかの整髪料がでてきたのと、ドライヤーの普及によって、早くも一九六○年には衰退。
それから二十年後、今のこの時代でも、もう過去の遺物だ。
時代遅れの商品ながら、西洋風の家を買うだけあって欧米かぶれの(この世界の)父親は、洗面台の棚に大量にストックを。
その一つを拝借してきたわけ。
ちなみに、衰退して六十年も経った時代に、俺が認識していたのは、弟が絶賛使用中だったから。
流行りもの好きのうえ、反抗期に差しかかったお年ごろ。
早速、ドラマで見たヤンキーと同じ髪型をし、顎をしゃくりながら曰く「ブームが再来している」と。
ワックスよりポマードのほうが艶のある光沢がでて、ボリュームや柔軟さをのこしつつ固められるとか。
リーゼントを決めて、とくと語ったそばから「俺も使ったことないわ!」と霧吹きをもつ父に追いかけられるのを見て呆れたものの、まさかホラーの世界でその知識が役に立とうとは。
弟から聞いて現物を見せてもらわなければ、ポマードを探すのに時間がかかったろうし。
時間削減できた分、ポマードを使っての作戦が練ることができたし。
ポマード関連の回避法は、おおまかに二つ。
呪文のように唱えるのと、ポマード本体を突きつけるのと。
使い捨て回避法として、ポマードのくくりで一回とするのか、それぞれ一回ずつ使えるのかは分からず。
だったら、唱えてから差しだす、この順番で試してみようと、はじめから考えていた。
一回ずつが有効だったとして、長い時間、足止めできるから。
そう、口裂け女に見つかり、身動きしなかったのも、その回避法を用いての作戦を思いついてのことで。
十歩ほどしか離れていない状況で、ロケットスタートして逃げても追いつかれる可能性大。
と、判断しつつ「どの回避法がいい?」と頭を巡らせ、いっそポマードの合わせ技を試そうと。
その有効度によっては、足止めの間、山道まで走りぬけられるかもと考えて。
住宅街で振りきってもよかったが、暗くなりきるまえに畑と田んぼだらけの平地を通過しないと攻略成功率がぐんと低くなるし。
口裂け女の現状を知らないで跳びだすより、遭遇直後に平地に踏みだすほうが、多少、不安が軽減するし。
まあ、どれだけ、足止めできるかは不確かなのだけど。
「背後を意識しながらも、足を鈍らせるな」と自分を激しつつ、息が切れて脇腹が痛くなってきたところで、チロルチョコを口にぽいっと。
甘さを噛みしめたなら活力が湧き、ゴールの山めがけて暗くなりかけの平地を一目散。
口裂け女がポマードの障害を乗りこえて追いつくのが先なのか。
俺がチロルチョコを食いつないで全力疾走で突っきるのが先なのか。
さあ、果たして。
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