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片平宗助の日記・一冊目①
明治二十六年 四月十五日
今日は自分が生まれて二十年という節目。
お祝いに、旦那様から「日記帳」なるものをいただいた。
本に見えるが、中身は白紙。
白紙の部分に、その日あったできごとや自分の考えや思いを書きつづるらしい。
早速、筆をとってみたが、なにも思いつかないので、とりあえず、自分のことや仕える旦那様について書こうと思う。
自分は片平宗助。
江戸時代から、藩主、観月家に仕えている片平家の末裔だ。
大政奉還され、これまでの武士社会が解体されたのだが、観月家の当主は、配下や使用人を手放さず、新たな役職や仕事を与えた。
その一人の片平家、自分の父は、別荘の管理人となった。
旦那様こと、観月家の現当主は、ふだん、トウキョウという国の都にお住みになっている。
避暑をはじめ、定期的に、また気まぐれに別荘に訪れた。
かつての藩主たる、旦那様の父上が治めていた土地なので気が休まるのだろう。
いつでも旦那様が息抜きしにこれるよう自分の父は日日、別荘の管理を入念にしていた。
別荘の敷地内にある小屋で生まれた自分も、幼いころから手伝いをしていたものだ。
今では父が隠居し、別荘の管理業は自分が一手に担っている。
別荘の建物内の清掃、設備の点検はもとより、広い敷地を隅隅まで把握し、森の手入れをすることで、ほぼ一日が終わる。
生まれてから、そういう生活をし、父が隠居してのちは一人、山奥で過ごしていた。
孤独に地道に作業をするのは、自分の性に合っているようで、苦ではなく、不服もない。
たまに父に会いに、山を下りると、町の人はよくしてくれる。
時代が変わっても、藩主の息子として慕われているうえ、旦那様の人徳あってのことだろう。
人づきあいに不慣れな自分に「これはこれは、観月家の人」と懐こく接してくれるし、独り身の父にも目をかけてもらい、ありがたいことだ。
ブンメイカイカといって、世は発展していっているようだが、時代にとり残されたような山奥の生活に、自分は充足している。
できれば、このまま何ごともなく過ごし老いて、安らかに召されればいいのだが・・・。
明治二十六年 四月十六日
今日もとくに思いつかないので、旦那様について書こう。
大政奉還されても、配下や使用人が路頭に迷わないよう、配慮をしてくれた観月家の藩主。
その後継の旦那様も、義理人情に厚く、面倒見のいいお方だ。
聞いた話、貿易商で大成をしつつ、儲けた分を、平等に従業員に分け与え、その家族も優遇しているという。
もちろん、観月家の使用人たち、自分もまた恩恵を受けている。
なにより、ありがたかったのは、文字の読み書きなど基本的な教育をしてくれたことだ。
使用人の多くは、幼いころから奉公し、ほとんど学校に行っていない。
そんな子供のため、旦那様は屋敷に家庭教師を置いてくれた。
空いた時間や、休みの日に学べるように。
自分も学校に行けなかった、というよりは「一生、観月家に仕える身で教育はいらない」との父の方針で、教育とは縁遠かった。
さすがに旦那様も、管理人の子供、一人のためだけに別荘に家庭教師を置こうとはしなかった。
代わりに、なんと旦那様自ら、指導をしてくれた。
おかげで読み書きができ、難しい言葉も覚えられ、こうして日記を書けているわけだ。
別荘滞在中に、初歩的なことを教えてくれる。
帰るときに「学んだことを踏まえ、さらに知識を深めなさい」と本を渡してくれた。
本の内容は、日日の仕事に役立つのもあれば、まったく、そうでないものもあったが、すべて小屋に大切に保管している。
たまにしか会わない、別荘の管理人の子供にも教育の機会を与える旦那様は、ご立派な方だと思う。
このご恩を忘れず、一生、献身して仕えるつもりとはいえ、一つだけ、懸念がある。
まだ書き足りないが、もう就寝の時間だ。
観月家に危うさを覚える理由については、明日に。
明治二十六年 四月十七日。
今日、旦那様から手紙が届いた。
一週間後、別荘に訪れる予定だという。
家族以外に一人、幼子をつれていくので、その準備をしてくれとのことだった。
心から慕い、敬う旦那様に会えるのはうれしくあり、すこし気が重い。
昨日、懸念があると書いたことに関わる。
この土地にくると、女癖のわるい旦那様が羽目を外すのだ。
別荘滞在中は毎夜、山を下りて逢引しにいっているという。
使用人も町の人も知っているものの、黙認に徹している。
使用人が見て見ぬふりをするのは、奥様が旦那様に約束をさせたからだ。
「わたしたちに恥をかかせたり、家名を穢すようなことをしたら許さない。
ただし、そうやって大事にしなければ、目を瞑る」
旦那様は気さくな方だが「主と使用人が馴れ馴れしくするものではない」という奥様は、威厳のあるお方で、近よりがたい。
自分は口を利いたことがなく、畏れおおくて、目も合わせられなかった。
ほかの使用人も、奥様に畏敬の念をもって接して、必ず云いつけに従っていた。
旦那様の不貞行為を、奥様が大事にしたくないなら、もちろん使用人は固く口を閉ざす。
一方で町の人が騒ぎたてたり、よそに吹聴したりしないのは、べつに理由がある。
藩主の息子として、今も旦那様を敬愛しているからだけではない。
旦那様は貿易商でありつつ、国の政に関わっている。
その立場でほうぼうに働きかけ、町に便宜をはかっていた。
また、別荘に訪れるたび、町に不足の食料や品物、珍しいお土産などの贈り物をして「○○の慰労金」「○○のお見舞金」となにかと、かこつけてお金を落としている。
それだけ、よくしてくれれば、町の人は命じられずとも、旦那様の遊びに口だしも、口外もしない。
町には旦那様の子供がいるとも聞くので、その縁があって余計に擁護しているのかもしれない。
旦那様が不貞行為を繰りかえしても、奥様が目を光らせ、町の人が協力しているおかげで、観月家の評判は落ちていなく、揉め事も起きていない。
だが、いつか足がすくわれるのではないかと不安だ。
まともに女と接したことがない自分は、多くの女に慕われる旦那様に感心している。
不貞行為だとしても。
ただ、女との関係にとどまらず、子を成してしまうと、ややこしくなると思う。
かつて自分の父が、家督争いに巻きこまれ憂き目にあったように。
もし万が一のことがあれば、命に懸けて観月家をお守りしよう。
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