プロローグ②

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プロローグ②

そこは黒みがかった朱色に染まる住宅街。 場所はちがえど、墓場にいたときと同じ時間帯、逢魔が時な雰囲気もそのままに閑寂としている。 変哲ない夕方の住宅街ながら、立っているだけで胸騒ぎがするのは夕焼けのせいだけではない。 「現実」には見覚えがないのだ。 あきらかに俺の近所ではないが、じつは見覚えがないわけではない。 「いや、でも、そんなまさか・・・」と冷や汗をかきつつ、しきりに辺りを見回していたら、にわかに音楽が。 黒から赤のグラデーションになった空に、高らか響きわたるのは「蛍の光」のメロディー。 もちろん、俺の家の近所には流れないもので、でも、決定的だった。 思いだすのは、3DCGの教室を背景に、真正面をむく小学生の女の子。 その胸の下に、漫画にあるようなフキダシ。 フキダシには「夕方六時を知らせる『蛍の光』が流れおわるまえに家に帰らないと、見つかってしまう」と。 夢なのか、時空が歪んだのか、なんなのか、どういう状況に自分が置かれているのか、さっぱり。 そのことに頭を悩ませる暇はなく、とにかく「見つかってしまう」のに対処せねば。 脳内で、住宅街の景色と俯瞰したマップを照らしあわせる。 おおよその自宅の位置の見当をつけ、あとは走りながら探そうと、踏みだそうとしたとき。 肩を叩かれた。 手のひらの柔らかい感触がしつつも、人肌の温もり皆無の陶器のような冷たさ。 まえに一回、目にした場面とはいえ、いざ、当事者になると、恐怖メーターカンストで頭が真っ白。 といって、固まったままではゲームオーバー。 どうにか、指先まで痺れる体を、ぎりぎりと骨を軋ませるように、ふり向かせて見あげると。 高校生の平均身長くらいの俺より、頭一つ分、背が高い巨体、赤黒い空をバックにした逆光のシルエット。 長身でがっしりした体つきながら、腰まである艶やな黒髪をなびかせて、影がかった顔には化粧が。 といって、化粧のし方は、ふざけて男が女装するように大袈裟なもの。 舞妓さん並にオシロイまみれ、パンダのように目元を黒くし、太いまつ毛を上下に突きだして。 でも、笑えない。 おちゃらけて、というより、大真面目に飾り立てようと、一心不乱に白粉をはたきまくり、筆を走らせたようだから。 なんといったってマスクをしている。 真っ赤な口紅が、大分、はみだして。 大きなテレビ画面越しに向きあったときは、弟がそばにいたし「キャーーーー!」と女子のように悲鳴をあげたが、生身で目の当たりにすると息もできない。 こわさのあまり、体が生きるのを諦めたようで呼吸がままらなければ、心臓も止まりそう。 目を開けたまま、失神したようなざまで、相手がかの台詞を口にするのを止められず。 「わたし、キレイ?」 赤赤とした紅で彩られた、頬の真ん中までつり上がった口角。 口紅をべったり塗っているわりに、歯はつるつるの純白。 整った歯並びを見せて上品に笑いかけるも、肉食獣の牙よろしく、艶のある歯をぎらつかせるような。 なんて、マスクの下の光景が、まざまざと思い浮かんで、ぶっちゃけ、ちびってしまう。 が、太ももに力をこめて、どうにか漏れるのを食いとめたなら「マスクを外されるまえに、どうすべきか」と記憶を掘りおこしにおこして。 たしか学校で聞いた話では。 「キレイ」と応えると、マスクを外し、裂けた口を見せつけて「これでも?」とまた質問。 「キレイ」を通せば「じゃあ、あなたと一生、そばにいるわ」と拉致され、二度とこの世にはもどってこられない。 すこしでも言葉につまったり、否定的な態度、物言いをすると、耳まで口を裂けさせて頭をがぶり。 骨の欠片ものこさず、丸飲みにされて、やっぱり、この世からおさらば。 嘘をついても、正直に応じてもアウトなんて、どうしたらいいの! と、文句をつけたくなるところ、そう、一つだけ打開策が。 ここまで一秒も満たず、考えを巡らせ、すかさずズボンのポケットに手を突っこんだ。 たしかな感触があり、固く丸いものが。 彼女がマスクのヒモに指をかけたところで、ポケットのそれを差しだす。 とたんに身を固めて、血走った目を剥く彼女。 「よし、食いついた」と思いつつ、彼女から目を放さず、しんちょうに袋を開けようと。 焦らすように袋をやぶっている間、自宅のある方向を見定め、取りだしたのを、その反対方向に遠投。 一呼吸おいて、遠投されたのを急発進で追いかけたのと同時に、背をむけて俺も猛ダッシュ。 学校で聞いたとおり、好物のべっこう飴に食いついているか確認したかったが、顔をかたむけるだけで速度が落ちそうに思えて、走るのに専念。 恐怖に駆られるやら「婆ちゃん、飴ちゃんくれて、ありがとう!」と感謝するやらで、感情はしっちゃかめっちゃかだったが。 追走されている気配はなし。 とはいえ、いつべっこう飴を舐めつくし、百メートル六秒の世界新記録大幅更新の脚力でもって迫ってくるかしれず。 猛犬に追われているように、半べそでがむしゃらに走りながら、流れる景色と合致するマップ、また移動する点を意識。 最短の帰路を外れないよう「すこしでもロスしたら死ぬ」とばかり注意をしてのこと。 甲斐あって、無事に自宅に到着。 婆ちゃんの住む古い木造りの家ではなく、近寄りがたい西洋風の家だったが、かまわず門をくぐり、鍵をがちゃがちゃ(なぜか婆ちゃんの家の鍵で開錠できた)。 敷居を跨いだなら、すぐさま扉を叩きつけ、つまみとチェーンで施錠。 しばらく扉に頭をもたれて、肩で息をし、鼓動がしずまってから廊下のほうを見やった。 一晩中、鬼ごっこしたような気分なれど、実際「蛍の光」が流れて、そう経ってないからに六時過ぎだろう。 俺の家には、専業主夫の父に、弟二人がいて、夕飯前のこの時間帯はやかましくしているのが、ここは一つも明かりが灯ってなく、がらんどう。 「そうか、家政婦さんは六時きっかりに帰るんだったな」と設定を思いだすも、命懸けで帰ってきたのに「ただいま」の一言も聞けないとは寂しすぎる。 まあ、とにかく、切迫した危機は退けた。 あらためて腰を落ちつけ、現状を把握したいところだが、とてつもない疲労感、さらに孤独が身に染みては、頭が回らず、膝にも力がはいらない。 とりあえず玄関をあがろうとして、段差を超えられず、そのまま廊下にうつ伏せにばったり。 慌ただしく駆けつける父や弟の気配がまるでせず、耳が遠くなるほど静かなのに「もう、どうでもいいや」と投げやりになって、意識を落とした。
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