プロローグ③

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プロローグ③

重い瞼をあげると、暗い室内に薄明かりが差しこんでいた。 うつ伏せに倒れているのは玄関。 白い壁に磨かれた石畳の床、高そうな壺が置かれた、玄関まわりのきらびやかな内装は見覚えがあるも、馴染みはない。 そもそも、現実の家なら、父や弟が玄関で倒れた俺を放っておくはずないし・・・。 悪夢から目覚めていないのか。 悪夢から目覚めたはずが、また悪夢を見つづけているのか。 ため息を吐いて、なんとなしに腕を見やったところ。 手首のあたりに「正 Τ」と刻まれていて。 「蛍の光」と同じように、これまた決定的といえる刺青。 墓場で頭を打ち、植物人間になって終わりのない夢を見ているのだろうか。 自分の身になにが起こったのか、正確には分からないものの、いわゆる異世界に転生した的な具合のよう。 外見はもとのまま男子高生で、ほんらいの主人公、小学生の女の子に変身はしていないが。 それにしたって、ふつう、ファンタジーや中性ヨーロッパ風の世界に派遣されるところ、よりによって・・・。 天の声のような、つっこんだり噛みつける相手がいなければ、愚痴るのも虚しい。 腹が鳴ったこともあり、再びため息を吐きつつ、よろよろと立ちあがり、靴を脱いで廊下にあがった。 台所にいくと、テーブルに網の籠のようなものが逆さに。 見慣れないものだが、設定の時代には、よく使われていた「食卓カバー」。 古めかしくは「蠅帳」と云い、虫が寄せつけず食事を保存する器具だ。 カバーを持ちあげれば、お目見えしたのは、焼き魚に高野豆腐の煮物、みそ汁、空の茶碗。 あまり食欲がそそられないメニューとはいえ、台所を漁る気力はなく、茶碗にご飯をよそう。 早朝とあって、もの静かなのに、テレビでもつけようかとリビングを向けば、やけに重厚感のある黒い箱が。 縦と横は、俺の家にあるのと同じくらいながら、奥行きは十倍以上。 生まれてはじめてブラウン管のテレビを見て、好奇心が湧くより、その威圧感に萎えて電源をいれず。 台所で一人、冷えた食事をもそもそと口にいれて、半分ほどで箸を置いた。 食べ盛りのお年ごろのはずが。 命懸けの鬼ごっこをしたあととなれば、かなり空腹感はあるも、広い家での一人ぼっちの侘しさたるや、底知れない。 未来人として、どうにも浮いているような孤立感もあって。 といって、食事をのこすのは厄介。 家政婦が聞こえよがしに舌打ちをし、つぎの食事を極端に質素にするなど、ちまちまといやがらせをするから。 家政婦が五十代のおばさん。 不愛想で無口ながら、家事は完璧。 いや、完璧を目指すあまり、潔癖、神経質気味で、家事一つ一つにこだわりが強いため、扱いにくいところも。 食事をのこすなど、すこしでも彼女の気に障ることをすると、地味に八つ当たりされるし。 つまり、孤独でいたいけな子供を庇護する気ゼロで、いざというときにも頼れない大人というわけ。 逆に雇い主のほうが顔色をうかがい、気を使わないといけないお粗末さ。 これから神経をすり減らす日日を送るだろうに、不機嫌な家政婦に、さらにストレスを負わされたくない。 あまり顔を合わせず、関わらないでおこう。 と、食事ののこりを弁当につめ、テーブルにメモを。 「昨日は体調がよくなかったので、食事を半分しか食べられませんでした。 のこりを昼食にしようと思うので、弁当をつくらなくて大丈夫です。 朝食も用意しなくていいです。 まだ本調子じゃないから、ぎりぎりまで寝ています。 バナナを持っていって、お腹がすいたら食べるので」 メモを読みかえし、テーブルの真ん中に置いて二階の自室へ。 おそるおそるドアを開けた部屋は、男子高生に適した、こざっぱりした内装。 もとの設定のような、小学生の女の子好みのフリフリピンクな内装でなくて、ほっと一息。 ベッドの布団のうえに寝そべって、やっと頭の整理をはじめる。 登校まで、まだまだ時間があったものを、腕の「正 Τ」の刺青を目にしては、とても安眠できなかったし。
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