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雪のひとひらが湯に落ちる。
「なぁに! 兄ちゃんスペインからきたのぉ?」
一緒に温泉に浸かっていた老人――勝仁さんというらしい――が「エスパ〜ニャ〜♪」と陽気に歌い出す。
私は久しぶりにきく馴染のCMソングに心が浮かれたが、フリオと同じく愛想笑いで誤魔化すことにした。
この休憩所にある露天の岩風呂は、狭いものの泉質は滑らかで居心地が良かった。
風呂では何人かの利用者と顔見知りになった。
多くは勝仁さんのような老人で、たまに親子連れもいたが、知らないうちに増えたり減ったりしているようだった。
「太陽〜と歌を〜求めて〜♪ ってな。えらい遠いとこから来たに。オレもスペインに行ったことあるのよぉ」
フリオが首をひねる。
「バレンシアよ、バレンシア! エ エスタド エン バレンシア!」
するとフリオはアー、と言って破顔し、何やらスペイン語で喋って勝仁さんと笑い合った。
「洋菓子屋を生業にしとってな。スペインの菓子が面白いから勉強してやろうと、バレンシアに突撃したんや。ええところやな。ほんの数週間ですっかりスペインに染まって、日本に帰ってからも毎年クリスマスにはポルボロンを作って売っとった。」
「ポルボロン。」
フリオはその単語に強く頷いている。
「イイネ」
ここに来て二週間、私が教えた日本語でフリオが唯一憶えているのがこの単語だった。
「兄ちゃんも知っとるか。雪みたいに崩れる菓子で、ぜんぶ溶ける前にポルボロンて三回言えると良いことがあるってよ。特にうちの娘が気が入ってな、学校のみんなに言いふらしよって。そんで近所に火がついて、いつの間にか毎年、クリスマスは勝っちゃんのポルボロン〜ってなってなぁ」
勝仁さんは懐かしむように笑った。
「素敵な話ですね。お店はこの近くですか?」
私が聞くと、勝仁さんは少し驚いたような顔をしてから、すぐに歯抜けの口で笑った。
「いんや。遠いよ。ずーっと遠くだ。一度土砂崩れで潰れて、オレだけが生き残った。あれから町も人も様変わりして……オレを知ってる人間はみーんな死んじゃったの。」
「土砂崩れ?」
私はどこか引っかかる心地がした。
――みーんな死んじゃったの、
その言葉が私の頭の中をぐるぐると巡りだす。
堀さんに雪の中から助け出されたあの日の、あの白い感触が蘇って身体じゅうを包みこむ。
私は急に湯が氷水のように冷たく感ぜられた。
「……寒い、」
急激に震え始めた私を、そりゃいかん、と言って勝仁さんとフリオが湯から引き上げた。
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