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湯殿を出て服を着直し、薄暗い旅館のロビーに向かう。
ロビーでは古い灯油ストーブが焚かれ、その上でやかんがシュウシュウと音を立てていた。
「当たれ当たれ。」
私は二人の案内でストーブの前に腰掛けた。フリオが私の肩にバスタオルをかける。
誰かに看病されるのはずいぶんと久しぶりだった。
しばらくそうして暖を取っていた。
身体はゆっくりと温まっていく。
不意に、肩をトントンと叩かれた。
「フリオ?」
振り向く私の目に映ったのは、フリオと、見知らぬ老人が一人。その老人が私の肩を叩いていた。
老人もまた驚いた顔で私を見ていた。
「おや、勝っちゃんかと思うたら違う子やった」
向こう側で笑い声がする。
玄関を見ると、いつの間にか土間に知らない人間がずらりと並んでいた。
手を繋いだ老夫婦、小さな子供、手を振る中年の女性……何人もの人間が笑顔で、これから集合写真を撮るかのようにそこに立っている。
「そりゃ俺らが死んでから何年だったと思ってるんだ。勝っちゃんはそのとなりのじじいだぞ。」
「……おお、」
勝仁さんがゆっくりと立ち上がる。
土間の人々が一斉にこちらに手を振った。
「勝っちゃーん」
「ひさしぶりー」
「また会えたねー」
「ポルボロン食べたいよぅ」
後ろの老人は穏やかに言った。
「なかなかくたばらんかったなぁ。みんな今か今かと待ってたのに、しぶといやつめ。あの土砂崩れで生き延びただけある」
一同が笑う。
受付の奥では堀さんが新聞を読んでいて、その新聞を下げながらこちらを見た。
「お集まりだぞ。行くんか」
「……そうするわ。長いこと世話んなったな、堀さん。」
「ん、」
その声を合図に、玄関の老夫婦が玄関の扉をあける。
雪の白い光と冷気が差し込んでくる。
玄関の外には風のない静かな銀世界が広がっていた。
牡丹雪が止め処なく舞い降りてくる。
子供が駆け出す。その姿はすぐに雪に吸い込まれて見えなくなる。
一人、また一人玄関の外へ出ていく。
勝仁さんは何人もの人間に肩を抱かれ、ゆっくりと歩きだす。
途中、雪の中で振り返り、寂しそうに私とフリオを見た、ような気がした。
その瞬間、強い風が拭き抜けて人々の姿はかき消された。
風が去る。
真っ白な景色だけが玄関の向こうに広がり、しんしんと、何ごともなかったかのように雪が建物を閉ざす。
「寒い寒い。そこ閉めろ。」
掘さんに言われるままにその扉を閉めると、部屋の中は再びヤカンの蒸気の音だけになった。
その静寂に、アイ、とフリオの声が響く。
何だ、と思った途端、私の手のひらにガサリという感触があった――握った覚えのないものを握っている。
ゆっくりと掌を開く。
グラシン紙にくるまれた、白い菓子が残っていた。フリオの手にも同じものがあった。
「ポルボロン、」
彼は母国語の発音で、恐れるように呟いた。
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