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「死にたい」
泣きじゃくる私の傍にふわりとやってきた神様に私はそう言った。
神様は今まで一度も、私がどんなに苦しい思いをしても悲しい思いをしても、私の感情は食べてくれなかった。
今だって屋上の転落防止の柵を乗り越えようとする私を引き止めることもせず、ただじっと色の違う瞳で静かに見つめるだけだ。
神様は、私に干渉しない。
「あのね、神様。私は誰にも望まれてないの」
他に誰もいない、私と神様だけの空間でこれまでを語る。
幼い時から両親の愛情は希薄だった。
産んでしまったものは仕方ない。殺すと犯罪になってしまうから育てているだけ。
愛や慈しみなど向けられた覚えはない。
実際、両親は私が自立できるようになってまもなく縁を切った。
「もう迷惑かけないでね」と。「もう親子じゃないから」と。
「他人だから」と。
「私、良い子にしてたんだよ?」
小学校でも中学校でも高校でも、良い成績を維持して問題ごとを起こさず、理想的で模範的な生徒を演じていたのに。
大学だって必死に勉強して有名校に受かった。金銭面で負担をかけまいと特待生として迎えられるように。
一度でいいから褒められたかった。「えらい」そのありふれた一言がほしかった。
なのに。
「恋人にも、つまらないって」
両親に捨てられたと言っても、私の人生が終わるわけじゃない。
時間はかかったが気を持ち直して自分の理想の未来へと歩き出した。
普通の女性として、普通の生き方をしようと恋をして、結婚する直前まで話は進んでいた。
しかし、ゴール直前に道が崩れた。
夫婦になろうとしていた男は、私の親友を騙っていた女と浮気していた。
彼の理想を叶えようと、自分の心を押し殺して彼の希望のままに振る舞っていたのに。
彼の別れの言葉は「なんかつまらないんだよな、お前」だった。
「もう、こんな辛い思いするのは嫌」
良い子を演じて捨てられた私も、理想の彼女のように振る舞い裏切られた私も、全部なかったことにしたい。
消えてしまいたい。自分の存在が、初めからなかったことにしたい。
自死することで私が消えるわけではないけれど、少なくともこの意識は消える。それなら。
柵を掴む両手に力を込め、足で屋上を蹴る。そのまま重心を前に傾ければ、見えたのは遥か下にあるコンクリート。
死ぬことを覚悟して目を閉じた瞬間、溢れた雫が一粒ポツリと落ちて、唐突に胸の内がふっと軽くなった。
まるで何かが抜き取られたように。
弾かれたように神様の方を見ると、白魚の手が真っ黒なガラス玉を摘んでいた。
「神様……」
後少し遅かったら。体を支えていた手から力が抜けると、重心が後ろに傾いて私は屋上に尻餅をついた。
そのまま信じられないものを見るように、神様を見上げる。
神様は桜色の唇を開いて漆黒の飴玉をパクリと含んだ。そのまま味わうように目を閉じる。
曇天の空の一部が晴れて、そこから天使の梯子が降ろされた。
光の雨に気づいて空を仰いだ神様の姿は、まるで美術館に納められた貴重な絵画のようで。
気づけば目尻から涙が溢れていた。
「……ありがとう、神様」
きっと神様は私を引き留めようとしたのではなく、目の前に感情があったから食べただけなのだろうけれど。
失恋ごときで、親友に裏切られたくらいで死のうなんて馬鹿馬鹿しい。
神様はそれに気づかせてくれたんだと思うことにして、私は泣きながら笑った。
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