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春己が通っているゲームの専門学校は四年制で、『ゲームグラフィック&イラストレーション科』や『動画データサイエンティスト科』などの学科がある。春己の専攻は『ゲームプログラマー&プランナー科』で、現在三年生。将来の夢はコンシューマーゲームのプログラマーになることである。
自席へ着き、鞄からノートパソコンやノートを取り出していると、小野誠一が「おっはよー」と挨拶をしてきた。
小野は春己と同じ『ゲームプログラマー&プランナー科』で、プランナーを志望している。服装はシンプルだが、シルバーのペンダントや指輪、それらと合う腕時計など、小物にこだわっている。メタルフレームの眼鏡もよく似合っていた。
「なぁなぁ、『星影のクロニクル』ってもうチェックした?」
『星影のクロニクル』は、昨日からサービスが開始されたソーシャルゲームである。小野は半年前から事前登録をしていたので、さっそく遊んでいるようだ。春己も興味はあったが、昨日は帰宅後も作業をしていたため、まだダウンロードすら出来ていない。
「まだやれてねぇな。面白い?」
「ストーリーとキャラは俺好みだった。キャラだけなら中村も好きかもよ」
小野が携帯電話を取りだし、ゲームの画面を春己に見せてくる。戦闘の途中だったようで、二頭身のキャラクター達がモンスターに斬りかかっていった。
キャラの性能が高いのか、戦闘はすぐに終わり、ストーリーが始まる。主人公である少年と相棒のしゃべるうさぎ、ヒロインの少女たちの軽妙な会話劇が面白い。小野が言うように、キャラクターデザインは春己の好みに近かった。
「たしかに、ヒロインは好きかも」
「だろ? 性格もさ、強気なのに健気なところがあって可愛いんだわ」
「おはよ。何の話?」春己と小野の間から、田辺沙織が首を突き出してくる。彼女は『ゲームグラフィック&イラストレーション科』に所属しており、CGデザイナー志望だ。
田辺の持ち物は赤色が多く、今日もイヤリングにセーター、パンプスに赤を取り入れている。というのも、田辺は『秘密の図書館と魔法の恋』というソーシャルゲームにハマっており、赤が推しカラーなのだそうだ。
小野が「星クロだよ」と携帯電話の画面を田辺にかざず。
「見ろ、俺のユニットを」
「スゲー、もうSSR3体持ってんだ」
「昨日からずっとリセマラしてたからな」
「自慢げに言うなよ。『ひみこい』のイベント終わっちゃって暇だから、私もやってみよっかな」
雑談をしている間に九時になり、講座が始まった。春己の隣で小野が盛大に船を漕ぎ、反対側から田辺がペンでつつく。一限目は前座のようなもので、春己達にとっては二限目――共同制作からが本気を出す時間となる。
毎年三月末に開催される、JAPANゲーム大賞。その年の優れたコンシューマーゲーム作品に授与される賞であり、個人作品から超有名作品までがエントリー大賞となる。
春己達のチームは、昨年この大会で優秀賞を獲得した。彼らの作品はその革新性と創造性で高く評価され、今でも学校内で話題に上ることが多い。今年は、春己達はさらに一歩進んで大賞を狙っている。そのためにも、彼らのゲームはさらなる磨きが必要だった。
ゲーム大賞にはアマチュア部門が設けられており、日本国内在住のアマチュア法人・団体・個人に応募資格がある。学校のカリキュラムには賞へ応募するための作品作りの時間が割り当てられており、生徒達は二年次からチームを組んで共同制作をしているのだ。
春己は小野誠一、田辺沙織とチームを組んでいる。プランナーである小野が作成した仕様書を元に、田辺がCG画像やアニメーションを作り、春己がプログラムを組む。他のチームと比較すると人数が少ないが、そのぶんやりとりがスムーズなので、トラブルが少ないのがメリットである。
二限目が始まると、教室の空気が一変した。生徒たちはチームごとに集まり、それぞれのノートパソコンを開いて本格的な作業を始める。春己達もいつもの定位置に集まり、昨日までの進捗を共有したあと、それぞれの作業に入った。
小野はバグを洗い出すため、ひたすらテストプレイを繰り返す。春己は小野から報告のあった箇所を直す。田辺は作りかけのアニメーションを完成させる。卓上に置いたペットボトルの存在も忘れ、春己達は一心不乱に作業に集中した。
春己達が作っているのは、マッチ3パズル――画面上に並んだ複数の色や形をしたアイテムを、三つ以上の同種を一直線にそろえて消すというルールのパズルゲーム――の、対戦型だ。タイトルは『エンチャンテッド・ライブラリー』。春己達は略称の『エンライ』を頻繁に使用している。
アイテムは魔法石で、石を三つそろえて消していくたびに、魔法エネルギーが蓄積されていく。魔法エネルギーがある程度溜まると、得意技の魔法で対戦相手を妨害出来るようになるのだ。
ゲーム大賞の締め切りは、十二月二十五日の午後九時。春己達のゲームはほぼ出来上がっているが、クオリティを上げるための追加仕様の実装があるため、そうのんびりはしていられない。
小野が「ここでバグ起きるとかマジかよー」と疲れたような声を上げ、椅子の背もたれに上体を預けた。
「中村、もしかしたら仕様をちょっと変えるかも」
「わかった。発生条件とその箇所だけチャットに入れといて」
「りょーかい」
基本的にバグ報告はコミュニケーションツールのテキストチャットで行うため、小野が勢いを付けて姿勢を元に戻す。キーボードを高速でたたく音を聞きながら春己が作業を続けていると、向かい側に座っている田辺が「見て見て」とパソコンのモニターをこちら側へ向けてきた。
「連鎖が起こったときのアニメーション、めっちゃ滑らかにしてみた」
「スゲェ。一気にクオリティが上がった感じするな」
小野が「俺も見たい」と春己の隣で身を乗り出す。
「すっげ。やっぱ田辺は天才だな」
「でっしょー?」田辺は誇らしそうに笑みを浮かべ、「しかも、キャラごとにちょっとずつ変えてんのよ。データ入れといたから、あとで組み込んで」とUSBメモリを春己へ渡してきた。
「あ、二種類作ったのもあるから、中村が好きなほうにしといて」
「田辺の好みのやつでいいよ」
「舐めんな、どっちも私の好みだわ。両方とも最高の出来だから、私には選べねーのよ。そのデータ、ローレンスのも入ってるし。中村のほうが思い入れあるっしょ?」
春己はUSBをパソコンに差そうとしたが、田辺の台詞で指が滑った。
まだゲーム制作が企画段階だったとき。田辺が「主人公は絶対に男がいい」と主張したため、どのようなキャラクターが良いかを話し合った。その際、春己は夢に出てくるイケメンの外見をアイデアとして出してしまったのだ。登場キャラクターはローレンス以外に五人いるが、春己が詳細なアイデアを出したのはローレンスだけなので、特別な愛着があると思われているのだろう。
春己はゲームを立ち上げ、タイトル画面で微笑んでいるローレンスを見つめた。気付けば春己は草原に座っていて、隣にローレンスがいる。風が強く吹き、ローレンスが春己の乱れた髪を優しく直してくれた。
温かなぬくもりに、そっと目を閉じる。ローレンスの顔が近付いてくる気配がして、唇に柔らかな感触が――。
「中村? 寝てんのか?」
隣の小野が怪訝そうな声を上げる。そこで初めて、春己は自分が目を閉じていたことに気付いた。
「え? なんで?」
「いや、それは俺が聞きたいんだけど。もうちょっとで昼だから、それまでは頑張れよ」
小野が春己の背中をたたき、すぐに作業へ戻る。春己は数秒だけ「え? なんで?」を心の中で繰り返したが、答えなど出るはずがないので、無かったことにしてゲームエンジンを開いた。
小野、田辺と一緒にファストフード店で夕飯を食べ、春己は帰途についた。
駅から続くゆるやかな坂道をのぼり、静かな住宅街を進む。ふと右手のほうで何かが光っているのが見え、春己は足を止めた。
夜の静けさの中、遊具と砂場がある小さな公園の一角で、虹色の光が桜の木を照らしていた。光は2メートルほどの楕円形で、直視するのが難しいほどにまばゆい。
なんだあれ。まさかUFOとか? 不安と好奇心で揺れ動きながらも、春己の足は自然とその光に引き寄せられていった。
虹色の光が消えると、見覚えのある人物が立っていた。水色を帯びた銀糸の髪に、海のように深い蒼い瞳。モデルのような顔立ちに、ファンタジーゲームから飛び出してきたような衣装――間違いなく、夢に出てくるイケメンだ。
待て。待て待て待て。もしかしたらローレンスかもしれない。なんで実体化しているのかはわからないが、春己達のゲームへそそぐ情熱が彼を実体化に導いた――なんてことがあるはずがない。
イケメンは周囲を見渡し、春己と目が合うなり駆け寄ってきた。え、嘘。なんか近寄ってきたんだけど。怖い。春己の混乱とは反対に、イケメンは満面の笑みだ。
「春己!」
「え?」
何で俺の名前を知ってるんだ? 春己が恐怖のあまり涙目になったところで、イケメンが抱きついてきた。
「春己……本当に春己だ。良かった、すぐ君に会えて」
イケメンが春己の顔を手で包み、上を向かせる。間髪入れず、春己の唇はイケメンのそれによって塞がれた。
キスを――された? イケメンに? 俺が? イケメンからのキスは軽く唇に触れる程度だったので、おそらく挨拶代わりなのだろう。だが、春己にはキスで挨拶をする習慣は無いし、そんなことをする知り合いもいない。
春己の動揺をよそに、イケメンは「もっとスマートにいこうと思っていたけれど、駄目だね」と苦笑を浮かべた。
「君を前にして、我慢なんて出来るはずが無かった。本当に逢いたかったんだよ、春己」
イケメンが再びキスをしてくる。春己の脳内は混乱と衝撃と恐怖で入り乱れ、何が起こっているのか理解できなかった。抵抗しなければ、と思うものの、体が凍り付いて動かない。
「春己、さっきから黙っているけれど、どうしたんだい?」
イケメンから顔を覗き込まれ、春己は息を飲み込んだ。どうしたと問いたいのはこちらのほうだ。突然抱きついて、キスまでして、一体なんなんだ――そこまで考え、春己は一つの可能性を思いついた。
「たぶん人違い……です」
ようやく紡げた言葉に、イケメンが「え?」と目を丸くする。イケメンは春己の頭から足までを目で何往復も追ったあと、「春己だよね?」と眉をひそめた。
「僕だよ。レナート・ファルザン。もしかして忘れてしまった?」
「レナート? 何? 名前?」
「僕の名前に決まっているだろう。……本当に忘れてしまったのか? どこかで頭でも打ったりしたとか?」
「いや、忘れたとかじゃなくて、マジで知らねぇ。あんたとは初対面だよ」
イケメン改めレナートが「春己が冗談を言うなんて珍しいな」と笑い声を立てる。だが春己の怯えに気付いたのか、レナートは「え? 本当に?」と見るからに狼狽し始めた。
「僕をからかっているんじゃなくて?」
「見ず知らずの他人をからかってどうするんだよ。とにかく離してくれ」
春己の必死さが伝わったのか、レナートは訝しげな表情をしながらも拘束を解いてくれた。どうしよう、ダッシュで逃げようか。だが春己は運動音痴なので、あっさり捕まるイメージしか湧かない。
いっそ悲鳴を上げるか? 考えている間も、耳の近くで心臓がドクドクと早鐘を打っている。手も足もみっともないくらい震えていて、全身に冷たい汗が流れていく。
ゆっくりと後退し、レナートから距離を取る。そうだ、携帯。モッズコートのポケットに手を突っ込み、春己は携帯電話を取りだした。
「人違いだから、それ以上俺に近寄るな。でないと、警察に連絡するぞ」
ダメ押しとばかりに、通話アプリに打ち込んだ110の番号を突きつける。レナートは「ケイサツ……たしか、僕らの世界で言う騎士団のようなものだったな」と呟き、顔を大きくゆがませた。
「すまない、僕がこちらへ来るのが遅くなったばかりに……。心が離れたのならそう言ってくれ春己」
レナートの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。春己は一瞬だけ罪悪感を覚えたが、どう考えても被害者はこちらだ。
「だから人違いだって言ってんだろ。きっとどっかに本物のハルキが居るから、そっちを探してくれ」
「君は偽物なのか?」
「偽物とかじゃなくて……とにかく俺はあんたのことを知らない。今すぐどっか行かねぇなら、本気で警察呼ぶぞ」
指を通話ボタンに近づける。レナートは涙でぐちゃぐちゃになった顔で「……わかった」と言い、春己へ背を向けて歩き出した。ちらりとこちらを振り返ったので、携帯を振り回して威嚇行為をすると、レナートはマントをひらめかせながら走り去っていった。
念のためもう少しだけその場に残ってから、春己は全速力で自宅へ戻った。玄関の鍵を閉め、普段は使わないチェーンタイプのドアガードをかける。
安全圏に入ったと脳が理解したのか、全身から力が抜けた。キッチンの前を這って歩き、居室に到着したとたんに力尽きる。
何だったんだ、さっきの。意味が分からなすぎて怖い。
レナート・ファルザンという名前に聞き覚えは無いし、親戚に外国人がいるなどといった話も聞いたことがない。レナートは夢に出てくるイケメンに瓜二つではあったが、単なる偶然に決まっている。
レナートに抱きしめられた感触とキスを思い出し、春己は床に額を押し当てた。ひんやりとした冷たさが、沸騰した熱を奪っていく。
ファーストキスだった。大事に取っていたわけではないし、失ったからといって騒ぎ立てはしないが、よりにもよって見知らぬ男に奪われるとは。
もしまた襲われたらどうしよう――足元から這い上がってきた恐怖に息が止まり、春己は助けを求めるように携帯電話をタップした。7コール目でようやく相手が通話に応じてくれる。
「智也、いまどこ?」
「飲み会中ー。どしたの?」
春己は床に転がったまま、今しがた味わった恐怖体験を智也へ話した。どうやら智也は場所を変えずに電話に応じているらしく、にぎやかな声がひっきりなしに聞こえてくる。
「もしかして、春己酔ってる?」
「酒なんか飲んでねぇよ」
「んじゃ、自分に酔ってるとか?」
「……本気で相談してるんだけど」
酔っているのは智也のほうのようで、「イケメンにキスされるなんて最高じゃーん」と羨ましがられる。
「夢のイケメンとそっくりだったんでしょ? そのレナートってイケメン、春己の運命の相手なんだよ。春己はシンデレラだったんだねぇ。ガラスの靴はちゃんと片方落としてきた?」
「不審者が運命の相手とか、俺の人生終わってるじゃん。イケメンに引っ張られすぎんな」
「まーね。イケメンにも種類があるし、どんなイケメンでも春己の好みから外れてたらそれはイケメンじゃないし――あ、僕ハイボール追加で!」智也は誰かに追加注文を頼んだあと、「で、なんの話だったっけ?」と電話口へ戻ってきた。
「不審者に襲われたって話だよ」
「それはもう警察案件だね。おまわりさんに事情を説明して、イケメンを捕まえてもらうしかないんじゃない?」
平凡な暮らしをしてきた一般人が、警察に助けを求めるのはなかなかに勇気が要る。そもそも、「突然現れた見知らぬ男にキスされました」なんて、恥ずかしくて言えそうにない。智也へそう伝えると、「めんどくさいなー」と返ってきた。
「じゃあ、部屋中の鍵を閉めて、ゲームでもやってなさい。そろそろ切るよー」
春己が「待って」と言う前に、通話が切られた。
選択肢は二つだ。警察を頼るか、一人で籠城するか。春己はしばらく天井を見上げながら逡巡し、戸締まりを確認するべく立ち上がった。
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