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第2話
1
レナートは春己達が住んでいるこの世界とは別の、いわゆる〝異世界〟の住人だそうだ。
春己は以前異世界へ行ったことがあり、その際にレナートと知り合ったらしい。今回レナートがこちら側の世界へ来たのは、単純に春己に会いたかったからだという。
「そのとき春己は十七歳で、『コウコウ二年生』と言っていたよ」
「やっぱりそうか……俺がそっちの世界に行ったとき、手に何か持ってなかったか?」
「ベントウとか言うのを持っていたよ。『そっちの話を聞く前に先にベントウ食わせろ』って威嚇されたのを覚えている」
どうやら、昼食は無事自分の腹に収まっていたようだ。信じがたい話なのにすんなりと受け入れられるのは、おそらく春己の実体験だからなのだろう。
「俺、そっちの世界にどのくらい居たんだ?」
「三年とちょっとかな」
春己の記憶が消えている時間はせいぜい四時間程度だ。こちらとあちらの世界では時間の流れ方が異なるのかと思いきや、春己の場合がイレギュラーだっただけで、時の流れは同一だそうだ。春己の体の成長についても同様で、異世界では春己のみがいっさい年を取らなかったのだという。
「俺がそっちの世界に行った方法は?」
「最高位の神官によって召喚されたんだ。こちらの世界へ帰るときも、同じ方法を採っているよ」
「俺が召喚された理由は?」
「……それは秘匿事項で、僕の口からは話せないんだ。すまない」
レナートの顔が翳る。春己はぬるくなり始めたコーヒーを一口飲み、レナートから訊いた情報を頭の中で整理した。
どうやら、過去の自分はゲームの主人公のような出来事を経験したようだ。もったいない。覚えていれば今後のゲーム制作に活かせただろうに。
「レナートは俺に会いに来たって言ってたけど、俺とレナートってどんな関係だったんだ?」
「恋人だよ」レナートの手が座卓の上を滑り、春己の手を撫でた。「僕と君は愛し合っていたんだ」
「……レナートの世界って、男同士の恋愛は一般的なのか?」
「性別は関係ないよ。愛し合ったもの同士が結ばれるんだ。王族や貴族は自由な恋愛が出来ないことが多いけれど……僕は君を選んだし、君も僕を選んでくれた」
レナートの唇に優しい笑顔が広がる。
付き合っていたのならば、出会い頭にキスされた理由にも合点がいく。レナートが夢に現れていたのも、おそらく眠っている記憶が引っ張り出された結果なのだろう。
いつの間にか、春己の手にレナートの指が絡みついていた。「まだ思い出せない?」とかすれた声で問われ、春己の心拍数が急上昇する。
「レナートだけじゃなくて、本当に全部覚えてねぇんだよ。これって、異世界から帰ってきた悪影響とかなのかな」
「それはあり得るね。僕らの世界とこちらの世界では、文化のレベルも価値観も異なっている。君も最初は戸惑っていたけれど、一年も経たないうちにすっかり慣れたんだ。それなのに元の世界へ帰ることになったから、自分を守るために記憶を無くしたんじゃないかな」
レナートが腕を引き、春己の手のひらを彼の頬へ押し当てた。
「たとえ君が僕を忘れていても、君への気持ちは変わらないよ、春己」
手のひらへ口づけが落ちる。春己が身を竦ませると、レナートは苦笑を浮かべて手を離した。
「キザなセリフばっか言ってるけどさ、恥ずかしくならねぇのかよ?」
「君が僕らの世界に来たときも同じことを言っていたね。なんだっけ……『王子キャラみたいでサムい』だったかな」
どうやら、過去の自分のほうがはるかに悪態をついていたようだ。だが言い得て妙なので、春己は「たしかに王子キャラっぽいけど」と言った。
「まあ、僕は正真正銘の王子だからね。春己にとっては変わった喋り方や態度なのかもしれないけれど、僕の世界ではこれが普通なんだよ」
レナートは第二王子で、兄と姉、弟と妹が一人ずついるらしい。春己は一人っ子なので、五人兄妹の真ん中というポジションはなかなか想像が難しい。
レナートが家族との思い出話を始めたところで、春己の携帯電話にメッセージが届いた。智也からで、「今ヒマ?」と綴られている。ヒマではないが、レナートを紹介しておいたほうがいいだろうと思い、春己は「話したいことがあるから、俺んち来れる?」と送った。すぐさま了承の意味を示すスタンプが飛んでくる。
「レナート、これから俺の友達が来るんだけど、いいかな」
「もちろんだよ。ぜひ挨拶をさせて欲しいな。僕が異世界人というのは伏せておいたほうがいいかい?」
「いや、智也には知っておいて欲しいから、正直に全部話す」
インターホンが鳴る。智也を招き入れると、レナートは立ち上がって恭しく頭を下げた。
「初めまして。レナート・ファルザンと申します。お目にかかれて光栄です」
「小島智也です。えーっと、ちょっと待ってくださいね」
智也が春己の襟首を掴み、部屋の隅へ連れて行く。小声で「もしかして、例のイケメン?」と尋ねられたので「そうだよ」と返した。
「なんでこんなことになってんの? 人違いじゃなかったわけ?」
「人違いじゃないし、俺は前にレナートに会ってた。覚えてねぇけど」
「なにそれ。……いいや、レナートさんに直接聞くから。春己はコーヒー入れてきて」
「自分でやれよ」
「あのさあ」智也の目が据わる。「何の説明も無しに、ストーカー相手を紹介された僕の気持ちも考えてよ。コーヒーでも飲まなきゃやってらんないんだから」
春己は「わかったよ」と渋々言い、全員分のコーヒーを作り始めた。マグカップが足りないので、智也には実家から送られてきた湯飲みを使う。
三人で座卓を囲むと、智也が仕切り始めた。レナートは春己との馴れ初めを、春己は先日レナートと会ってからの出来事を説明する。
すべて話し終えると、智也は両眉を上げたり下げたりしてから、長々と息を吐いた。
「すっごいカロリーの話だけど、理解はしたよ。全然飲み込めてないけど」
「俺もまだ飲み込めてねぇよ」
「春己は当事者なんだから、ちゃんと理解してあげなよ。レナートさんも、もうちょっと怒ったほうがいいですよ。せっかく逢いに来たのに忘れてるなんて、僕だったら殺してるかも」
座卓に頬杖を付いた智也へ、レナートが「呼び捨てで構いません」とにこやかに告げた。
「春己のご友人とは私も仲良くさせて頂きたいので」
「あ、じゃあ僕も智也でいいし、敬語要らないんで。……一応聞いておくけど、レナートの年齢は?」
「二十三歳だよ。智也は?」
「僕は春己と同じで二十歳。年上でイケメンの彼氏かー。超羨ましいー」
智也が両方の手で顔を挟み、左右へ揺れる。レナートが「カレシ?」と聞き返した。
「恋人のこと。あーあ、僕にも早く恋人出来ないかなぁ」
「恋人と言っていいのかな。春己は記憶を失っているし……」
「そのうち思い出すよ。ね、春己」
智也とレナートの視線がこちらへ向く。春己は居心地の悪さを覚えながら「……だといいな」と言うに留めた。
「レナートって、春己と会うためだけにこっちの世界に来たの? それとも、他にも理由があったりする?」
「一番の理由は春己に逢うことだけれど、他の目的もあるよ」
「え、なになに?」
「……個人的な理由だから、差し控えてもいいかな」
「気になるなぁ。もしかして、こっちの世界の情報を盗むとか? 国家機密的なやつ」
春己が「どんな極悪人だよ」とツッコミを入れると、智也は「冗談だよ」と笑った。レナートも苦笑を浮かべる。これ以上この話題を続けても無意味だと悟ったのか、智也はキッチンから勝手にスナック菓子を持ちだし、座卓の上で開けた。
「春己が異世界に行ったのは神官パワーによるものだとして、レナートはどうやってこっちの世界に来たの?」
「魔術だよ。異世界人を召喚するのは高位の神官でなければ無理だけれど、こちらからなら高等魔術を身につければ行けるんだ。とはいっても、無闇に使うのは禁止されているけれどね」
「すごっ。んじゃ、レナートが日本語を話せてるのって、もしかして魔術?」
「うん。この世界へ来てすぐに翻訳魔術を自分にかけたんだ。言語の構造は春己から教わっていたから簡単にできたよ。耳で聞くだけじゃなくて、日本語で書かれた文章も読めるんだ」
「アプリ要らずだね。他にはどんな魔術が使えるの?」
レナートは控えめな口調で、火や水、風、土関連の魔術を初めとして、怪我などを治せる治癒魔術や空を飛んだり出来る空間魔術などを会得していると説明した。魔術には規模や威力によって等級が定められており、低い等級のものは素手で使用できるが、ある程度高いものは媒介となる杖が必要になるのだそうだ。
智也が「今ここで使えそうな魔術ってある?」と身を乗り出す。レナートは「風魔法の簡単なものなら」と言い、右手の指先を軽く振った。ふわり、と風が起こり、スナック菓子の袋が宙に浮く。
「すごい、本当に浮いてる! これMyTubeで流したら、再生回数爆上がりだよ春己!」
「ヤラセだって叩かれるだけだろ」
春己は平然とした口調で返しながらも、内心は驚きのあまり心臓がバクバクと脈打っていた。すげぇ、本当に魔術が使えるんだ。百聞は一見にしかずとはこういうことか。
智也はその後も異世界について様々な質問をし、レナートは丁寧に答えていった。春己も興味深く聞いていたため、時間が経つのを忘れる。
空が夕焼け色に染まり始めた頃、智也が「やばっ」と腰を上げた。
「このあと飲み会があるから、そろそろ帰るね。春己、レナートを公園で寝かせちゃ駄目だよ」
「わかってるよ。あ、智也、布団余ってるって言ってなかったっけ?」
「お客さん用のやつね。いいよ、貸してあげるから取りに来て」
「サンキュ。レナートも手伝ってくれるか?」
「もちろん」
三人で連れ立って隣室へ向かう。智也が玄関を開けるなり、レナートが「部屋の構造は春己と同じなのに、全然違って見えるな」と感嘆したような声で言った。
智也の部屋は、実用的なものしか置かない春己とは対照的で、彼の趣味の良さを反映した、カラフルで個性あふれる空間となっている。
壁にはアーティストやアイドルのポスターが並び、ベッドやテーブルといった必需品の他にも、オシャレな小物や飾り物が散りばめられている。ここはただの居室以上の、まるで小さなアートギャラリーのような空間になっているのだ。
智也がクローゼットから布団一式を取り出す。春己は敷き布団、レナートは掛け布団、智也は枕を持ち、春己の部屋へ戻る。
「レナートがこっちにいる間は使ってていいから」床に敷いた布団の上に枕を置き、智也が春己の耳元で囁いた。「もし一緒にベッドで寝るようになったら返してね」
全身が一気に熱くなり、春己は「早く帰れ!」と智也を追い出した。
つい流れで了承してしまったが、今夜からこの部屋でレナートと寝ることになるのだ。布団は別とは言え、レナートはまだ春己へ想いを寄せているという。嫌悪感は湧かないが、彼の気持ちを受け入れるかどうかは別の話だ。
嬉しそうに布団を眺めているレナートを肩越しに見遣り、春己はそっとため息を吐いた。
俺の童貞は何としてでも守ろう。
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