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* * *
ゆっくりと、まぶたを持ち上げる。どれほどの時間、眠ったのだろうか。寒さは相変わらずだ。
今、何時……?
腕時計をつけた左手を持ち上げようとする。
あれ? 動かない。
手がしびれて力が入らない。逆の手も動かない。全身が金縛りにあったように硬直していた。
寒さで神経が麻痺してしまったのだろうか。首と目だけが、辛うじて動く。
洞窟入口に視線を向けた。
……ヒイッ!!
悲鳴を上げる。体の硬直で声が出ないので、性格には心の中で奇声を上げたのだ。
入口の辺りに人影。月明かりでシルエットしか見えない。
その形は……女性だ。間違いない。
長い髪がゆっくり揺れている。脳は人間の形に過敏に反応するらしい。動かないはずの体が、緊張で縮まったような気がした。
救助に来た誰かではない。おかしな点がある。女性は薄着だ。シルエットから、体の曲線が分かるほどの衣類しか身に付けていないことが分かった。
薄い布が風にゆらめいている。こんな雪山で、その程度の着衣で生きていられる人間はいない。
――僕らが化け物を開放してしまったんだ。
石棺を開けたときに、人の気配がしたのは思い違いではなかったの。
後悔しても遅い……と思ったとき、影が少しずつ大きくなっているのに気付いた。
ペタペタと地面に吸いつくような足音が洞窟内に反響する。生足が氷を叩く音だ。
――近付いてる!
体が動かないので、逃げることもできないし、健斗を起こすこともできない。
絶望感が僕を襲う。寒さで死ぬ前に、目の前に迫る女に殺されるのだ。
恐怖のあまり、目をギュっと閉じた。視覚を閉ざしたことで聴覚が冴え、足音が妙に大きく感じた。
足音が止まった。
壁際にもたれ掛かり、体を寄せ合う僕たちの正面。何も考えることができなくなっていた。
ヒューと小さな風が、頬を撫でた。
洞窟の外から入ってきた風ではない。直接、風はここまで届いていなかった。気配……この風は吐息、女の吐息だ。女が顔を寄せているのだ。
閉じている目に力を込めて、絶対に開かないようにした。
「……は?」
声のようなものが聞こえた。
「……名前……は?」
女の声。
恐怖で意識が飛びそうになった。
声は、僕に名前を尋ねているのだ。
「名前……」
再び、消え入るような女の声。
僕は死を覚悟した。目を開くことはできなかった。女を見てしまうと殺される――そんな気がした。二百年前に死んだ女の顔を見るくらいなら、目を閉じたまま殺された方がましだ。
「……名前……は?」
なぜ、そんなに聞きたい! 殺す相手の名前を知っておきたいのか。
「涼介……」
震える口で名前を告げた。女の声はもう、聞きたくない。答えてしまったほうが気が楽だ。
「りょう、すけ」
冷たいものが頬に触れた。柔らかいその感触は……指だ。
女が俺の頬に触れている!
失神しそうになったが、辛うじて踏みとどまる。体温は感じられず氷のように冷たい。
――生気を吸い取られて死ぬのか。
触れられた頬の部分から、何かが抜き取られるような感覚があった。
僕は、そのまま静かに意識を失った。
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