救世主はメイズさん

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救世主はメイズさん

 ――ヒバリ……。  誰かが、ぼくを呼んでいる。  ――ヒバリ。  鈴を転がすような、きれいな声。砂糖菓子みたいに甘い声だ。 「ヒバリ。目をあけなさい」  目をあけた。  視界に飛びこんできたのは、またしても、知らない部屋のようすだった。  さっきまでいた地下の座敷牢とは正反対の、小ぎれいな洋間だ。  決してせまい部屋ではないけれど、背の高い、どっしりした本棚が壁を占領しているせいで少し圧迫感がある。床には赤い絨毯。窓には四角く切られたカラフルな色ガラスがはまっていて、やわらかい光を室内に投げかけている。  どことなく「大正ロマン」ふうの部屋だ。  ぼくは、壁際に置かれたアンティーク調のソファに寝かされていた。  目の前には丸テーブル。四角い織物のシートの上に、なにかの祭壇みたいな、燭台やら木彫りの老人の像やらがぐるりと並べられている。中心にあるのは、ケーキ箱くらいの木の箱だ。表面を埋めるように、黄色い紙がベタベタ貼ってある。  その丸テーブルのさらに向こうには、立派な書き物机があって――机の天板に腰かけた赤いドレスの女の子が、ぼくのことを見おろしていた。 「おはよう、ヒバリ。……いえ、目覚めのあいさつはこの場にふさわしくなかったわね。だってここは、夢の中なのだし。……クスクス」 「……夢?」  ぼくはソファから身を起こした。  意外なことに、どこも痛くない。  ぼくはおそるおそる、机の上の少女に声をかけた。 「どういうこと。きみは……誰」 「私?」  女の子はきゅっとくちびるをつりあげて笑うと、ふわりと床に降りたった。  この部屋の絨毯よりもなお赤い、深紅のドレス。同じ色のつば広帽と、チョコレート色の長い髪。前髪にかくされて、顔はよく見えない。わかるのは、陶器みたいに白い肌と、つやつやのくちびるだけ。  首には鎖がかかっていて、その先で、金色の懐中時計が揺れている。 「私はメイズ。みんな、メイズさんと呼ぶわ」  少女――メイズさんはそう言って、クスクスとしのび笑いをした。  なんだかその笑い声に、聞きおぼえがある。  ぼくが状況をのみこめずにぼんやりしていると、メイズさんが言った。 「でも、残念だわ。本当は、こう(・・)なる前に会いたかったのだけれど……。ねえヒバリ、私、あなたに何度も話しかけていたのだけれど、気づいていたかしら?」 「は、話し……かけた? いつ?」 「一度は、あなたがここへ向かう列車の中。もう一度は、昨晩、あなたが家を飛びだす直前に」 「あ」  ――気をつけて。  ――気をつけて。ヒバリ。  あれだ。一度目は、日本家屋の夢。二度目は、玄関のガラスに映った、赤い影。 「あの、声……。夢か、聞き間違いだと思ってた」 「クスクス。ええそう、夢よ。私は、あなたの夢を通じて話しかけていたんだもの。私には、あなたがこの屋敷にとらわれることがわかっていたの。だから、そうなる前に阻止したかったのだけれど……私自身、ここにとらわれていたせいで、うまく声を届けられなかった。あなたがこの家にやって来たおかげで、ようやくつながったの」 「ちょ、ちょっと待って。いっぺんに言われても、なにがなんだか」 「ああ――それもそうね」  メイズさんは音もなく歩いてくると、今度は丸テーブルの上に、ひょいと腰をかけた。 「いいわ。なんでも聞いてちょうだい」  なんでもと言われても。  ぼくは少し迷ったあと、とりあえず目の前にいる相手についての質問からはじめることにした。 「きみは――なんなの。人間……?」 「さあ、どうかしら。確かに、あなたたちとは少しちがうけれど」 「じゃあ、おばけ」 「そういう考えかたもできるわね。そう……大人たちはよく、私が住んでいる家には幸せがやってくる、なんて言っていたわ」 「それって……座敷童子じゃないの」 「クスクス。ええ、私をそういうふうに呼んだ人もいたわ」  メイズさんこそが、本物の座敷童子。  それは、ぼくにとっては割としっくりくる考えかただった。  少なくともあの正体不明の怪物よりは、ぼくの知る座敷童子のイメージにずっと近い。  ぼくは言った。 「じゃあやっぱり、オノゴロ童子は座敷童子なんかじゃないんだね」 「まあ、少なくとも、神代家の先祖たちが期待したようなものでなかったのは確かね。むりやり神に祀りあげ、用心棒代わりに使ってはいたものの、いよいよ持てあまして……代わりの屋敷神に据えかえようとした。それが私」  メイズさんは、丸テーブルの上の木箱に顔を向けた。 「これは、ジンダイコースケが作った檻よ。これがあるせいで、私はこの部屋に縛りつけられてしまっているの」  言われて、ぼくはその木箱を覗きこんでみた。  中には──なんだかよくわからないゼンマイや歯車が、ぎっしりとつまっていた。難しい漢字や記号の書かれた円盤が、ゼンマイの動きに合わせて静かに回転している。  なんとなく、時計かなと思った。もちろん、ぼくの知っている時計とはぜんぜん違う形だったけど、それでも、似ているものといったらそれしか思いつかなかった。
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