万華鏡の檻の底

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万華鏡の檻の底

 目が覚めた。今度は本当に覚醒した。  くるまった布団の感触と座敷牢のすえたにおいに、現実を感じる。  結論から言うと、ぼくは回廊の最深部へはたどり着けなかった。  あの中で、ぼくはいくつもの不気味なできごとに遭遇した。  板張りの廊下を歩いていると、足元から、かりかりと爪で引っかくような音が聞こえた。  土間のような場所を通りぬけたときは、ビニールシートの上に、解体中の鹿の死体が並べられているのを見てしまい、気分が悪くなった。土間を出がけに振りかえってみると、さっきまで別方向を向いていたはずの鹿の生首がこっちを向いていたので、あわてて逃げだした。  最悪だったのは、暗室だ。  そこは、赤い照明だけが灯された、せまくて薄暗い部屋だった。メイズさんによると、昔、フィルム式の写真を現像するために使われていた部屋らしい。その言葉を裏付けるように、室内に渡された洗濯ロープには、たくさんの写真がぶらさがっていた。  何気なくその一枚に目をやると、病院のベッドに寝かされた、生まれたばかりの赤ん坊が映っている。それはいい。問題は、画面外にいる誰かが大きなペンチのようなもので、赤ん坊の右の爪先をはさみ潰そうとしていることだった。  ぼくはぞっとして、他の写真をたぐってみた。どれにも、同じような赤ん坊が映っている。手の指に植木ばさみがあてがわれている子。首に細いひもが巻きついている子。まぶたの上に、するどい針がつきつけられている子。何かを注射されそうな子。  リアの言葉がよみがえる。  ──うちの家系って、定期的に私みたいな女の子が生まれるらしいんだ。歩けなかったり、心臓が悪かったり……。オノゴロさまのお嫁さんにはいつも、そういう子が優先的に選ばれる。  ──そりゃ、カビの生えたしきたりに人生を左右されるなんて、うれしいものじゃないけど……その代わりに兄さんたちに養ってもらえて、一生遊んで暮らせるなら、差し引きプラスじゃない? って。  この家の人たちは……生まれてきた子を、花嫁候補にするために……本人に、それを納得させるために……? まさか、そんな……まさか……。  煮詰めたような人の悪意を感じて、ぼくは気分が悪くなった。メイズさんが何か言っているけれど、頭に入ってこない。ぼくは写真の幕を乱暴に払いのけて、出口へ走ろうとした。一刻も早く、こんな場所は出たかった。  そのせいで、ぼくは、足元にひとりの女がうずくまっていたことに気がつけなかった。  ぼくはその女につまづいて、転んだ。女は病院着のようなものを着て、長い髪をざんばらに乱していた。顔はよく見えなかったけど、そいつが声を殺して泣いているのはわかった。  女は嗚咽(おえつ)をこらえながら、くしゃくしゃになった何枚かの写真を握りしめていた。  そう。  あの回廊で一番の障害になったのが、あの女たち──死人となった、過去の花嫁たちだった。  廊下の幅いっぱいに満ちるほど太った女。肉に埋もれた顔は、なにかをずっとくちゃくちゃ咀嚼(そしゃく)していた。  洗面所の鏡に、何度も何度も顔を打ちつけている女。後ろを通りすぎるときにちらっとのぞくと、くもの巣状にひび割れた鏡に、赤黒い肉のかたまりになった顔が映っていた。  座敷のすみっこに、じっとうずくまっていた女。そいつが起きあがって動きだすまで、ぼくはそれが人間だと認識できなかった──全身が青緑色のカビにびっしりおおわれて、生っ白いキノコまで生えていたからだ。  ぼくは追いかけてくるそいつらをまくために、廊下を右へ左へすばやく駆けぬけないといけなかった。少しでもメイズさんからの指示を聞き間違えて横道に入ってしまうと、たちまち袋小路に追いつめられた。  あるいは音をたてず、気づかれないように後ろを通りすぎないといけなかった。何度やっても緊張や恐怖はなくならず、手足のふるえのせいで、ぼくはなにかを引っかけたり蹴っとばしたりしてしまった。  メイズさんの指示は、おそらく適切だった。何重にも入りくんだ迷路を迷いなくナビしてくれたし、近づいてくる危険は事前に教えてくれた。  問題は、ぼく自身がその指示に対応しきれないことだった。  メイズさんは、明日また挑戦すればいいと言っていたけど──今は正直、期待よりも不安のほうが大きい。  デジタルウォッチを見ると、もう昼だった。  一月一日、元日。  冬休み七日目。監禁三日目。  その日の食事は鴻介さんじゃなく、次男の鷹次さんが持ってきた。  わかってはいたけど、この人もあっち側だったんだなと思う。リアのことを訊いてみたけど、「チッ」と舌打ちされるだけだった。感じ悪い。  食事は元日だからか、お雑煮だった。醤油じゃなくてみそ味なのが、なんだか違和感。母さんのお雑煮をおいしいと思った記憶なんてなかったのに、ふとあの味が恋しくなった。  いいかげん、髪がベトベトで気持ち悪かったので、その日はあきらめてシャワーをあびた。シャワールームは底冷えがしたけれど、お湯が出るだけマシだと思うしかない。  着替えは、例の紫色の浴衣だ。  夢の回廊の中で、ぼくは何度もこれと同じものを見た。全員ではなかったけれど、死人の花嫁たちの多くは、これと同じデザインの浴衣を着せられていた──もしかしたら、そのうち何人かは、これとまったく同じものに袖を通したのかもしれない。  死人の着物。  なら、それを着ているぼくも、半分死んだようなものだ。  欝々(うつうつ)とした気持ちで膝を抱えていると、すぐに夜が来た。  オノゴロ童子の相手をする。ゲームは、昨日と同じく花札だった。メイズさんの占いの力を借りて、ぼくはその時間を難なくやりすごした。  オノゴロ童子を見送り、布団に入る。  眠りに落ちた先では、もうひとつの檻がぼくを待っていた。
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