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『そこをまっすぐ──つき当たりの襖を開けて。もうひとつ奥の扉を開けると死人がいるけれど、声さえ出さなければ気づかれないわ。怖がらないで』
「わかった」
メイズさんの声をたよりに、夢の回廊を進んでいく。
刻々と形がかわっていくせいで、どれくらい進めたのか、あとどのくらい進めばいいのか、どうにも実感しづらい。それでも、昨日よりは長い距離を進めている気がした。死んだ花嫁たちをやりすごすのも、少しずつだけど、慣れてきている。
別に、慣れたくなんてなかったけれど。
襖を開ける。中の様子は、ぼくが閉じこめられている座敷牢によく似ていた。
今さら驚かない。この迷路はどうやら、神代家の屋敷──それも、いろいろな時代の屋敷──のパーツがパッチワークみたいに組み合わされてできているらしいと、ぼくもだんだんわかってきた。
そろりそろりと座敷を進み、現実ではシャワールームに通じている扉を、そっと開けた。
(うっ……)
うめき声を噛み殺す。
そこは確かに、タイル張りのシャワールームだった。ただ、形がおかしい。異様なほど奥に長く伸びている。
うなぎの寝床みたいなその空間に、向かい合わせになった洗面台が六セットも並んでいた。数だけ見れば、大きな商業施設のトイレみたいだ。
洗面台の下には、観音開きの収納がついている。合計十二個もあるその収納は、すべて開け放たれていて……中から、異様に長くて青白い、生き物の体が伸びていた。
うすく血管の透けた皮膚に、背骨のでっぱりとあばら骨の線が浮かんでいる。呼吸に合わせて、かすかに上下する動き。人間の背中だ。ただし長い。長すぎる。
大蛇みたいな背中は収納の中から伸び、反対側の収納へ消えていた。それが、洗面台の数だけ、六つもある。
これは……六人いるのか。
それとも、本当はひとりで、見えない部分でつながっているのか。
考えかけて、やめた。どっちが真実でも嫌すぎる。知りたくもない。
ぼくは、ひざが笑いそうになるのを必死でこらえ、行く手をふさいでいる死人の背中を、ひとつひとつ、またいでいった。
ふたつ。
四つ。
六つ──。
『いいわ。落ち着いて……大丈夫。シャワーカーテンの奥に、階段があるから、そこを登ってちょうだい。音をたてずにね』
洗面台ゾーンの奥にある、ビニールのシャワーカーテン。半開きになっている隙間を、カニ歩きでゆっくりすり抜ける。
その先は、まるで下手なつぎはぎみたいに、ぜんぜん違う内装になっていた。わりときれいな、モルタルの壁だ。
もう、そのくらいじゃいちいち驚かない。階段をのぼる。
居間に出た。
結局、神代家の居間に通されたことはなかったから、現代のようすとどれくらい違うかはわからない。ただ、置いてある家具──特にテレビは、明らかに古かった。モニターにやたらと厚みがある。ブラウン管のテレビって、こういうやつなんだろうか。実物を見たことがないからわからないけど。
『そこはなにもないわ。まっすぐ通りぬけて』
「オーケー」
ぼくが居間を横切ろうとした、そのとき。
ブン、と小さくうなって、テレビがついた。
これにはさすがに、足が止まってしまう。テレビ画面に目をやったぼくは、そこに映りこんでいるものを見て、二度驚いた。
見覚えのある場所が映っていたからだ。
お寺を思わせる塀。砂利のしかれていた地面は雪におおわれ、照りかえしで真っ白に光って見える。
ぼくが見たとき雪は積もってなかったけど、間違いない。神代家の敷地の、入口あたりの光景だ。
映像のアングルは固定されていて、画質は悪い。ガレージあたりにつけた防犯カメラなら、だいたいこんな感じの映像が撮れるだろうか。
はじめは無人だったそこに、雪を踏み踏み、ふたりの人間が現れた。
ぼくは、今度こそ声をもらしてしまった。そのふたりにも……見覚えがあったからだ。
ぼくと同世代くらいの女の子。
ひとりは、背が高くてポニーテール。
もうひとりはくせっ毛で、丸眼鏡をかけている。
ふたりとも防寒着にマフラー、長靴というスタイルになっていたけど、印象的な凸凹コンビっぷりは全く変わっていない。ぼくが電車で新上にやってきた初日、バス停で見かけたふたり組だ。
なんであのふたりが、神代家に……?
『で、どうすんの。まさか突撃するなんて言わないわよね』
丸眼鏡のほうが口を開いた。ひどい音質だけど、なんとか聞きとれる。
『……やっぱダメ?』
『バカ。ダメに決まってんでしょ。イノシシじゃないんだから、正面突破以外も考えなさいっての』
『でもさあ、やっぱ怪しいじゃん。先輩の主治医の婚約者の家が、地元でも有名な化物屋敷だなんて。あの看護婦さんも言ってたでしょ。ここの……ええと、コーだかケーだかいう人が、何度も先輩のお見舞いに来てたって』
『しーっ。声が大きい! こういう、田舎の分限者の家っていうのはね、そういううわさを立てられるもんなのよ。憑物筋とか、六部殺しとか』
『漬物が好きで……ぶくぶく殺し?』
『アホ。ほんっとアホ。とにかく、予断は禁物ってことよ。西林先輩が亡くなったのとあいつが関係あるかだって、まだわからないんだから』
……なんの話だ?
さっぱりわからない。けど、不思議と無視できない。
『……ヒバリ。惑わされないで。それ以上、その部屋にとどまると危険よ』
メイズさんの警告も、遠くに聞こえる。
『あいつの依代は、私たちで完全にぶっ壊したじゃない。半分は焼却センターの炉で跡形もなく熔かしてやったし、ユーシャンさんたちが持って帰ったもう半分は、ネジのひとつまで粉々にすりつぶして、コンクリで固めてバラバラに埋めた。あいつはもう、絶対に復活できない』
『じゃ、事務のおねーさんの話はどうなるのさ。先輩のようすは変だった。死ぬ直前までずっと。あたしは……あいつの一部が、先輩の心の中に逃げこんで生き延びてたんじゃないかって思うんだ』
『なら、その先輩が亡くなって、今度こそ全部終わったかもしれないじゃない』
『本気で言ってる? なら、あんたのほうこそバカだよ峰子。あいつがそんな計算違いをするはずない。先輩が死んじゃうような事故を、あいつが見過ごしたとするなら……』
『新しい器ができて、用済みになったから……って言いたいのね?』
『ヒバリ。もう限界だわ。今すぐそこを離れて──ヒバリ!』
メイズさんが強い口調で言う。それでもぼくは、テレビから離れる気がしなかった。それどころか、画面のすぐそばまで近づいて聞き耳を立ててしまう。
『あんたの懸念はわかったわ、縫。確かにそうだとしたら、手遅れになる前に手を打たないといけない』
『でしょ。だから──』
『それでも。今は待って。情報が足りないまま突っこんでも、ウソつきな大人に丸めこまれるだけよ。……先生の家に行ったときのこと、おぼえてるでしょ。あのとき、ほんの数メートル横には真実が埋まってたのに……私たち、ちっとも気づけなかった』
『まあ……ね。……わかったよ』
『うん。とにかく主治医の……洲本先生だっけ? その人を見つけだして、問いつめてみましょ。冬休みはまだあるし──』
そのとき。
下から突き上げるような揺れと同時に、テレビがひっくりかえった。キャスターつきのテレビ台が押しのけられる。テレビ台の真下の床には、獣が食いやぶったような穴があいていて、そこから。
紫色のぼろきれをまとった、青白い女が顔を出していた。
腰を抜かしたぼくの目の前で、女が穴から這い出してくる。やせて背骨の浮いた背中は異様に長く、どこまで続いているのか終わりが見えなかった。
そいつは、大蛇のような体をひきずりながら、手さぐりでぼくにむかってくる。
間もなく、ぼくは気を失った。
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