ひとり旅

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 ぎぃ。  ぎっ……ぎっ……ぎぃ。  ぼくが足を踏みだすたび、冷えきった板張りの廊下が、苦しげにきしむ。  廊下は暗い。壁に手をつきながらでないと進めないほどに。  視覚が働かないぶん、ほかの感覚が鋭敏になっているのがわかる。砂壁のざらざらした手ざわり。肌を刺す冷たい空気。そして――声。  ――ヒバリ。  ぼくを呼んでる。  ――ヒバリ……。  行く手に、ぼうっと光がともった。  障子戸(しょうじど)だ。格子状に切りとられた、光のスクリーン。  月光のように白々(しらじら)と輝くそこへ、黒い少女の影が立つ。  シルエットだけでもわかる、きゃしゃな手足。つば広の帽子に、長い巻き毛の髪。  少女は内側から障子を揺さぶっているけれど、格子はびくともしない。  囚われている。  少女はこの、暗い廊下の奥に、ずっと閉じこめられているんだ。  障子戸を目指して、ぼくは足を早めた。  気持ちは焦るのに、体はちっとも前へ進まない。あと少し。あと少しで、手がとどきそう――。  ――ヒバリ。  少女がつぶやく。近いようで、遠いひびき。  ――気をつけて。 ***  次の瞬間、ぼくは鈍行列車の座席で目を覚ました。 (……夢か)  なんだか寒々しい夢だったけど、電車の中は暑いくらいに暖房が効いている。そのせいだろうか。まだ少し、頭がぼんやりしていた。  ぐぐっと伸びをしながら、窓の外を見る。  丸裸の田んぼと畑ばかりがどこまでも続いていた。  おばあちゃんの家、つまり父さんの実家は、壇ノ市(だんのいち)(ちょう)という街にある。位置的には、近畿地方の内陸あたり。まあまあの田舎だ。  新幹線の駅から電車を乗りつぎたどり着いたのは、新上(あらかみ)というローカル線の駅だった。  ここでさらに、壇ノ市行きのバスに乗り換えるわけだけど……。 「うげ」  次のバスまで、一時間半もある。  どうやら、ちょうど前のバスが行ってしまったところらしい。新幹線を降りた直後に一本乗りすごしたのがまずかったみたいだ。  時間、潰さないとな……。  時刻表の前でそんなことを考えていると、ロータリーの向かいのバス停に、一台のバスがやってきた。  なんとなくそっちに気をとられたのは、バスから降りた乗客の中に、ぼくと同い歳くらいの女子ふたり組がいたからだ。  ふたりともやけに荷物が大きい上、黒いセーラー服をかっちり着こんでいるのでよく目立つ。まわりは茶色やグレーの防寒着で着ぶくれたおばちゃんやご老人ばっかりだから、なおさらだ。  ふたり組はキャリーケースのガラガラいう音に負けないくらい大声で話しながら、ぼくのいる時刻表のほうへまっすぐ歩いてきた。  あわてて数歩下がり、場所をあける。 「げーっ。次のバスって、十五時半じゃん。()っくな!」  ふたり組のうち、背が高くて浅黒いほうが、時刻表をのぞきこみながら叫んだ。オーバーアクションのたび、ポニーテールがぶんぶん揺れる。  そんな連れを、もうひとりは面倒くさそうに横目でにらんでいた。こっちは毛先のカールしたショートボブと、ちょこんと鼻に乗った丸眼鏡が印象的だ。 「別に、うちと大して変わんないでしょ。どっちも田舎よ」 「そんなことないって。うちらへんは一時間に一本はあるもん」 「『目くそ鼻くそを笑う』って知ってる?」 「え。なにそれ、(きた)な……。あんたさあ、先輩ん()でお線香あげさせてもらうときにまで、そういう非常識なこと言わないでよ。こっちまで(はじ)かくのヤだからね」 「はあ~!? あんたにだけは言われたくないんですけど!? あんたが無知蒙昧(むちもうまい)権化(ごんげ)みたいな発言するたんびに、私がどれだけ共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)に襲われてるか想像したこともないくせに! バカ。無神経。野蛮人(バーバリアン)!」 「あーもー、うっさい陰険メガネ! そういうとこだっつの!」  ポニーテールと丸眼鏡は、その場で元気に言いあいをはじめてしまった。  いたたまれなくなって、そっとその場を離れる。  路地の角を曲がってロータリーが見えなくなる直前、なにげなく振りかえってみると、ポニーテールと目が合った。むこうにしても予期せぬタイミングだったらしく、なんだかきょとんとした顔をしている。  数秒、視線がからみあった後――どちらともなく、目をそらす。  意味もなく気まずい気持ちになって、ぼくは目の前の商業ビルへと足を向けた。
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