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一歩遅かった。
ぼくが戻ったときにはもう、壇ノ市町行きのマイクロバスはロータリーを出て遠ざかっていくところだった。緑色がかった窓ガラスの向こうに、見おぼえのあるポニーテールがちらっと見えた……気がする。
ひざに手をついて、呼吸を整える。
しまった。やらかした。
今回のひとり旅では、こういう失敗はしたくなかったのに。
できれば家族みんなに、ぼくひとりでなんでもできるというところを見せておきたかった。ぼくはもう中学生で子供じゃないし、なんでもひとりでできるんだってところを。
とはいえ、次のバスが三時間後となると、おばあちゃんに連絡しないわけにはいかないし……そうなればきっと、最終的には父さんたちの耳にも入ることになるわけで……。
そんなふうに悶々としていると、背後から、静かなモーター音が近づいてきた。
振りむくと、ゲーセンにいたあの女の子だった。電動車椅子を操り、まっすぐこっちへ向かってくる。
理由はわからないけど、なんだか上機嫌そうだ。
「んふぅふ。また会ったねえ」
「……そうだね」
「あのね。私、これから兄さんの車で壇ノ市まで帰るところなんだけど……よかったら乗っていかない?」
「え。いいの?」
本当なら、まさしく渡りに船というやつだ。
だけど……ついさっき会ったばかりの、名前も知らない相手の車に乗るっていうのは、ちょっと……。
そんなこっちの逡巡を見透かしたように、彼女はにんまりと笑った。
「不安なら、お家に確認してみたら? 神代家の車に乗せてもらうって言えば、壇ノ市の人には通じるから」
***
彼女の名前は、神代リアといった。
リアの言うとおり、神代家の名前を出すと、おばあちゃんはすぐ納得してくれた。神代家というのはいわゆる「地元の名士」で、山のほうの集落(初鳥、という)に立派なお屋敷を構えているんだとか。
当然、おばあちゃんはリアのことも知っていた。家のことを抜きにしても、車椅子ユーザーの彼女は、地域では目立つ存在みたいだ。
電話を済ませてロータリーで待っていると、すぐに、大きな黒いワゴン車がやってきた。
運転席から現れたのは、リアのお兄さん――神代鴻介さんだった。グレーのセーターに、ブラックレザーのコート。フレームレスの眼鏡をかけている。
「やあ、君かい。リアの新しいお友達っていうのは」
「はあ。まあ……」
友達……と言っていいのかどうか。
「そんなに固くならなくていいよ。どうせ、あの子が無理に誘ったんだろう。地元には同世代の子が少なくてね。話相手に飢えてるんだ。大目に見てやってくれ」
「あ、鴻兄さんったらひどぉい。それじゃ、私がちょっかいかけてるみたいじゃない。一応、純粋な好意で声かけたんだけどなぁ。ねえ、ひばり?」
「う、うん。正直助かった。ありがとう」
軽く自己紹介しただけで、即、呼び捨てにしてきたのにはびびったけど。
ちなみにリアは中学三年生。学年的には、ぼくのひとつ上ということになる。
でも「リアさん」と呼ぼうとしたらものすごく不服そうな反応をされたので、結果的に、こっちもタメ口きかざるをえない流れになっていた。
鴻介さんは慣れた手つきで車椅子昇降用のリフトを降ろし、リア本人ごと、車椅子をワゴンへ積みこむ。
後部座席に乗りこんだぼくは、感心しながらそのようすをながめていた。当のリアはリクライニングに背をあずけ、リラックスしたようすだ。
「志筑さん、だったかな。よければ家の前まで送るけど、くわしい住所はわかるかい」
運転席に乗りこみ、ワゴンを発進させながら、鴻介さんが言った。
「あ、いや、そこまでは。バス停とかで降ろしてくれればいいです」
「遠慮は要らないよ。狭い街だし、どのみち大した距離じゃない」
「や、ほんと、大丈夫なんで」
「そうだよ鴻兄さん。化物屋敷の車が家の前に停まってたりしたら、悪い噂のタネになっちゃう」
「え?」
なんて?
びっくりして振りむいたけど、リアはにやにや笑っているだけだった。
対して、ルームミラー越しに見える鴻介さんの表情は、苦虫を噛みつぶしたようになっている。
「リア。そんな言い方をするものじゃない」
「はぁい。んふぅふ」
微妙に気になる……けど、聞きづらい……。
そんな、こっちの困惑にはおかまいないしに、リアはさっさと話題を変えてしまった。
「ね、ね、ひばり。いつまでこっちにいるの?」
「ん……予定では、冬休みいっぱい」
「ホントに? クリスマスも年末年始も、ずーっと? 退屈だよぉ? このへん、なーんにもないし」
「前にも来たことあるから、それは知ってるけど。スマホさえあればゲームもできるし、マンガも読めるから、いいかなって」
「そっかぁ」
そこで、リアがぷつりと黙りこんだ。
やけに長い沈黙のあと、おずおずとした口調で、こんなことを言う。
「あのね。もし、ひばりが嫌じゃなかったら、だけど……私の家に、遊びに来ない?」
「いいの?」
「うん。……まあ、うちだって別に、面白いものがあるわけじゃないけど」
「そうじゃなくて。中三でしょ? 受験は?」
「推薦」
「うわ。うらやましい」
「んふぅふ。うち、邪悪な田舎の金持ちだから。地元の学校にはコネが利いちゃうの」
またそんな、反応に困ることを言う……。
そっと鴻介さんのほうをうかがうと、案の定、なにか言いたげな顔をしていた。言わなかったけど。
神代リア。
変な女だ。
親しみやすいような、露悪的なような。
高慢なような、甘え上手なような……なんだか、少し寂しげなような。
それでも、不思議と惹きつけられるものがあるのは事実だった。
「わかった。そういうことなら、お邪魔しようかな」
「ホント!?」
ぐわっと身を乗りだしてくる。目が、きらきら輝いていた。
「ホントに? ホントに、来てくれる?」
「う、うん。行くよ。どうせヒマだし」
「そっかぁ。……じゃあ、約束したからね。来てくれないと、私、泣いちゃうぞぉ。……んふふ、んふぅふ!」
それからの道中、リアはずっと、絵に描いたように上機嫌だった。
……やっぱりちょっと、変な女。
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