オノゴロさまの家

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 部屋には電気ケトルが備えつけられていて、リアが手ずから紅茶を淹れてくれた。  お茶の用意ができると、リアは器用に右足だけで立ちあがり、ベッドにどさりと横たわる。  ぼくはそのときはじめて、リアは左足が不自由なんだと知った。 「はしたなくてごめんね。これが一番楽だから」 「おかまいなく。ってか、もっとこう……お手伝いさんとかいっぱいいるのかと思った。こんなに広い家だし」 「んー、昔はいたみたい。今は通いのハウスキーパーさんと、お父さまのヘルパーさんがいるくらいかなあ。うち、もうだいぶ落ち目なんだよね」 「邪悪な金持ちじゃなかったの?」 「んふぅふ、悪は滅びる定めなのだよ。実際、昔は土地とか会社とかいろいろ持ってたらしいんだけど、今はもうほとんど残ってなくて。先の見通しは暗いんだ。鴻兄さんも、婚約者に逃げられちゃったしなあ」 「え。なにそれ」 「うち、新上(あらかみ)のほうに総合病院を持ってるの。残り少ない事業のひとつね。で、そこの女医さんと鴻兄さんがいい仲だったってわけ。洲本(すもと)さんっていう、精神科医の先生」 「逃げられちゃったっていうのは?」 「実家に帰っちゃって、もう戻ってこないつもりっぽいんだよね。少し前に、入院患者が暴れる騒ぎがあったらしくてね。そのとき患者にケガさせられたのがショックだった……とかなんとか」 「ふうん」  なんていうか、どこも大変なんだなあ。  話がふっと途切れたその瞬間、ぼくはふと、トイレに行きたくなった。 「ごめんリア、トイレ貸してもらっていい?」 「ああ、案内するね」 「いいよ、悪いよ」  と、ぼくが遠慮するのも聞かずに、リアはするりと車椅子に乗りこんでしまった。 「いいからいいから。うち、増改築くり返してるせいでわかりにくいんだよね」  そう言って自室を出ていくリアに、ぼくは黙ってついていく。  確かにリアの言うとおり、神代家の屋敷はだいぶ入り組んだ構造をしていた。廊下はやたら何度も折れ曲がっているし、その左右には、似たような障子(しょうじ)(ふすま)の部屋がいくつもいくつも並んでいる。  キッチンや浴場の入り口を通りすぎた先、屋敷の一番奥のどんづまりにトイレがあった。駅にある多目的トイレみたいに広くて立派だ。  リアに扉の前で待ってもらい、さっさと用をすませる。  便器には、しっかりウォシュレットまでついていた。使いなれないそれをいじってみるべきか、ちょっと迷っていると、  どん。  足の裏が、床のふるえをとらえた。  どん。ど、どん。  どんどんどんどん。  地震……じゃ、ない。  伝わってくる揺れに、人っぽさ(・・・・)があった。  脳裏に浮かんだのは、床下にいる誰かが、長い棒みたいなもので床をどんどん突きあげているイメージだ。そして。  ――ぃぃぃいいいぇぇぇええエエエ!!  絞め殺される寸前のニワトリみたいにしわがれた、女の人の絶叫が、床板をつらぬいて聞こえてきた。  ぞわぞわっと悪寒に襲われたぼくは、手洗いの水をはねちらかしながら、あわててトイレを飛びだした。  廊下では、真っ白な顔色をしたリアが床をにらんでいた。 「リ、リア。し、下に、誰か……」 「しっ。わかってる。――こっち来て」  リアはそう言うと、車椅子を急ターンさせて来た道を戻りはじめた。ぼくは、小走りにその背中を追うしかない。  自室へ戻ってきたリアは、ひどく疲れたようすで、車椅子の背に体をあずけた。視線を白い壁紙に逃がしながら、ひどく小さな声で言う。 「……あれは……比和子(ひわこ)おばさん」 「え?」 「私が小さいときからずっと、地下室に住んでるの。ちょっと、心の病気があってね……。普段なら、昼間は静かなんだけど、今日に限って、なんで……」 「地下室? でも、それ……」 「問題あるよね。わかってる。でも、しょうがないの。あの人は……オノゴロさまのお嫁さんだから(・・・・・・・・・・・・・)」  なにそれ? と聞きかえしたかった。  なのにとっさに声が出なかったのは、その言葉が、なんだかひどく、おぞましい響きを持っていたからだ。  リアはひひっとヒステリックな笑いのかけらをこぼすと、大きく見開いた目でぼくを見あげた。 「比和子おばさんが死んだら――今度は私の番。もう決まってるの、生まれたときから。次は私がオノゴロさま――オノゴロ童子(・・・・・・)さまの、お嫁さんになるんだって」
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