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「俺らにはわからない感情ですね、風馬さん」
里見の相槌が妙に引っかかり、風馬はシンクを磨いていた手を止めた。
「らで括るな、らで」
「なんでですか。俺も風馬さんも独身なんだから、親心なんてわかんないでしょ」
悔しいが言い返せないので、咳払いをしてから作業を再開する。
友馬は注ぎ足されたコーヒーに口をつけ、音を立てずにソーサーに置いた。
「風馬はともかく、里見くんは今30だっけ。年齢的に結婚とか考えたりしないの?」
「あー! お前ね、今そういうのセクハ……」
「結婚願望は一切ないですね。他人と暮らすの向いてないだろうし」
風馬の制御よりも先に、里見がキッパリと答える。友馬は友馬で、怯む様子もない。
「だってモテるでしょ」
「モテるもなにも——毎日、家とこの店の往復しかしてないのに、出会いなんてないですよ」
淡々と返す里見に、友馬が「でも」と食い下がる。周囲を見回してから、声のトーンを落とした。
「しけた店なのに、里見くんが来てから明らかに女性のお客さん増えたじゃん。ねぇ、風馬?」
「しけたは余計だろ。つーか里見くん以外にも、珠子さんと千歳ちゃんもいるし、ふたりのおかげでもあるから!」
——風馬が先代のマスターから「喫茶あぽろ」を引き継いだのはもう15年以上も前のことだ。マスター亡き後も、その妻である珠子と愛娘である千歳が手伝ってくれて、なんとか店を保ってきた。
その後、千歳の妊娠・出産を機に、代わりにアルバイトとして入ってきたのが里見だ。
女性客に関しては、たしかにここ数年で増えし、彼目当てで通う者がいるのも事実である。
だから、否定はできなかった。
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