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第2章:故郷
目を覚ます。まず最初に気付いたのは気だるさだった。天井の木目と点いていない電灯が窓から入ってくる光によって照らされて、淡い印象を抱いている。ここは自宅ではない、そのことに気付くまで3秒ぐらいかかった。起きた瞬間見る光景が普段のものと違うと、理屈では大丈夫だと分かっていても、やはり少し動揺する。ホームでの試合だから有利、と昔観たサッカーの試合で誰かが言っていたことを思い出した。何だかんだ、人間は普段いるところで過ごすのが一番いいのだろう。それがたとえ惰性であったとしても。寝床がいつもと違うから、体が無意識に緊張してしまって、疲れが抜けきっていなかった。
旅館のテレビをつけ、ニュースを流しながら身支度を整える。天気予報の部分は集中して聞いたが、問題なく晴れである。結局、昨日は軽い遅延はあったが運休まではいかなかった。何もかもうまくいかないと思っていたが、そのぐらいの運は残っているのだと思うと、ほんの少しだけ元気が出てくる。昨日のうちにコンビニで買っておいた菓子パンの袋を開けながら、スマホで何か連絡が来ていないかチェックをする。事前にお金を払っていれば旅館が作る朝食を食べられるのだが、1階のレストランに降りるのは面倒くさい。避けられる人込みは極力避けたい。10分もしないうちに食事を終え、その後、こまごまと撤収作業をして、終わったのは9時ぐらいだった。
チェックアウトの時間までまだ少しあったが、何となく早めに行動したくなり部屋を出る。エレベーターのところまで歩き、下りボタンを押す。1階からエレベーターが上がってくるのを待っていると、後ろからパタパタと足音が聞こえた。何の気なしに振り返ると、少し疲れたような顔をしている女性が1人と、恐らくその子供である男児2人がこちらに来ていた。エレベーターがちん、という音をして到着したので、私はいち早くそれに乗り込み、「開」のボタンを押す。
「ほら、早く乗るよ」
母親は私に一礼をしつつ、子供たちに向け言う。1人は素早く乗り込んできて、もう1人は少しだけ間が生まれたが、問題なく乗り込んでくる。他に誰も来ていないことを確認してから、今度は「閉」のボタンを押す。扉が閉まる。
「あ、こら、駄目だよ!」
いきなりそんな声がしてびっくりする。何か不躾なことをしてしまっただろうか、と一瞬思ってしまうが、振り返ってみると何てことはない。子供の1人がこれから立ち寄る階全てのボタンを一気に押していた。母親が慌てて止めたが、既に遅い。
すみません、と母親は頭を下げてくる。その母親の姿を見て、自分の表情筋が少し動くのに気がついた。いつの間にかむっとした感情が顔に出ていたのだと分かる。子供のやることなのに。いつまでたっても私は大人になり損ねていた。
大丈夫です。それだけ答えて、私はエレベーターが各階に止まるたびに扉を閉める作業に没頭する。確かエレベーターには一度押されたボタンをキャンセルする手段があったと思うのだが、やり方を忘れてしまった。そもそもメーカーによってばらばらだった気もするので、老いの兆候が出始めた脳では全部長期間覚えておくのは難しい。母親に咎められた子は少し不貞腐れているようで、いきなりその場で地団駄を踏み始めた。止めなさい。母親がたしなめる。それでも子供は止めなかった。止めなさいって言ってるでしょ。母親の声に疲れと怒りが混じる。流石にまずい、と察知したのか地団駄は止まった。エレベーターの中の空気はやや険悪なものになっていて、私は一刻も早く降りたいと切に願う。ようやく1階に到着した時、私は一刻も早く逃げ出したかったのだが、さすがに気が咎めたので、「開」ボタンを押す作業に入る。
ありがとうございます、すみませんでした。母親にそう声をかけられて、何となく恐縮する。わざわざ謝らなくても、と思ったが、実際ちょっと鬱陶しくも思っていたのでなんて返せばいいのか、先ほど謝られた時と同様、やはり分からなかった。全然大丈夫です、と同じように嘘をつくのも気が引ける。自分の改善しがたい狭量さを目の前に突き付けられている。その狭量さこそが交友関係の狭さに繋がっていると気づくのに、そんなに時間もかからなかった。
思わぬところから心に打撃が入ったのに堪えつつ、私はチェックアウトの手順を済ませる。ややくたびれた感のある従業員にカードキーを渡すと、従業員は申し訳ありませんが、そちらの機械でお願いできますか、と告げてきた。機械には、チェックアウトはこちらで、とでかでかと書いている紙が貼られている。気づけなかったのは自分の不注意以外の何物でもなかった。顔に血が集中する。
カードキーを差し込み、チェックアウトを済ませ、外に出る。大通りに出たところで、寂しい朝だ、と思った。人っ子1人歩いていない、というわけではないが、一度に視界に入るのは3人未満である。東京なんて嫌になるぐらい人がいるのに。息を吐く。もう9月に入っているというのに、この時間帯でも暑い。熱中症にならないように、と歩道の脇に用意されていた自動販売機でスポーツドリンクを買う。買った後で自分の腹があまり過剰な糖分を受け入れないようになっているという事実に気がついた。覆水盆に返らず、そんな言葉が頭をちらつく。
向かう先からママチャリが走ってくるのが見えたので、脇に寄った。歩道は歩行者のものなので、ルール上は寄る必要もないのだが、意地悪がしたいわけでもない。漕いでいた女性は一礼して私の横を通過していく。後ろの座席にまだ幼稚園ぐらいの子供がいた。今から登園するのか、それとも登園したら急に熱が出たから帰っているのか。何となくでも私に分かるのは親の大変さだけだった。やや割れが入っている歩道を躓かないように歩く。車道の方をちらっと見ると、そちらも大概荒れていた。ひび割れや窪みだらけだ。思い出されるのは先ほどのエレベーターでの一幕で、あれを見た後だと、家庭を築くことの大変さを改めて思い知らされる。あの落ち着きのない生物を体罰も捨てることも禁止された状態で、育て続けなければならないというのは、一種の拷問に近いとさえ思った。
両親から何度も結婚を勧められ、でもその全てを無視してきた自分を何となく褒めたくなる。私では無理だ。できない。たとえ火事場の馬鹿力を、子供が成人するまでの20年ほど出し続けられるという夢のような奇跡が起きたとしても、そんな無理をした代償は必ず来るのだろう。それが体の不調という形で来るのか、はたまた精神の不調という形で来るのかが分からないだけだ。まあ、こんなことを考える以前に異性と接点がない生活ではあったのだが。結婚する、しないに関しては選ばないではなくて選べない、が正解である。内心、結婚している人間を馬鹿にし始めている自分がいることに気がついたので、そんな風に自分をたしなめた。
このまま年を重ね、誰とも関わらずに、退嬰的な生き方を続ける。
老人になった自分が家のリビングで定額観放題の映画サービスに耽溺する。それはとても理想的な未来のようにも思え、同時にかなり恐ろしいものような気もした。何よりも学生時代の自分が夢見ていた未来とは似ても似つかない。
ひとかどの人間になりたかった。承認欲求がそれなりにはあった。その夢が叶う可能性が日々漸減していっている。いや、もしかしたらもうゼロなのかもしれない。悲しいとは思わない。ただ胸はざわついた。
目指していたレンタカー屋の前にまでたどり着き、1台軽自動車を借りる。ここに来る前は移動には路線バスを使おうと思っていたのだが、ダイヤ改正でもあったのだろう、減便されていた。故郷は順調に衰退している。タクシーすら駅前でしか見ないのだ。次来る機会があったら、このレンタカー屋すら潰れていそうな気がする。そう思いながら、私は車道に出る。
道はガラガラでついスピードを出してしまいそうになりながら、私は墓が置かれている寺に問題なく到着した。敷地内に車を止める。人気が全くない。盆の時期はとっくの昔に過ぎているので、それは当然ではある。だがまるで自分以外の人間が地球上から消滅したような、寒々しい錯覚を覚えた。遠くでクラクションの音がして、何とか我に返ることができる。手桶に水を入れ、柄杓をとって、自分の家の墓へと向かう。ぽつぽつと墓場のなかに空白が生まれていた。以前はびっしり墓が敷き詰められていた。墓仕舞いが進んでいるのだ。以前寺の住職から、墓仕舞いをしませんか、という内容の電話があったことを思い出す。寺の経営のことには疎いが、どうやら墓石を置いておくだけでは、今どきそんなに儲からないようだ。
皆さん、自分のいる都内の近くに移しているようですよ、みたいなことも言われた。今を生きる者たちの住処に合わせて死者も転出と転入を行う、と仮定すると、関東圏がまるで幽霊の巣窟のように思えてくる。
「その内、百鬼夜行でも出るんじゃなかろうか」
独り言をつぶやきながら、墓に水をかけ、手を合わせる。ああ、百鬼夜行は幽霊じゃなくて妖怪だった、と拝みながら気がついて、そんな自分が場違いな気もして、慌てて、死者の冥福を祈り始める。10秒ほど祈った後、余った水を地面に捨て、帰り支度を始めた。花は持ってきていない。次はいつ来るか分からないから、最初から用意してこなかった。申し訳なくはあったし、自分も墓を自分の家から手早く行ける範囲に持ってきた方がいいのでは、と考えはする。しかし何だか、その考えも芯がなく、溶けかけのアイスのように頼りない。へにゃへにゃと崩れていく。手桶と柄杓を仕舞って、車に乗り込む。ベルトを締め、エンジンを動かし、ハンドルを握った。ほんの少し気持ちが湧きたつのを感じる。運転は教習所で路上講習に出た時からずっと好きだ。自力ではとても動かせないような鉄の塊を意のままに操れるし、自転車よりも速く移動できる。その力を意識するだけで、ほんの少し惨めな自分が拡張されたような気がして、救われるのだ。
だけど最近では、凄いのは車やそれを作るメーカーであって、自分は全く凄くなっていないということに意識が向くようになった。
墓参りも終えたのですぐに帰ろうかな、と思ったが流石に新幹線代がもったいない。
どうせなら色々見てから帰ろうと思い、車を走らせる。フロントガラス越しに見える町は、思った通りほぼ変わっていなかった。年だけ重ねて萎びました、と町全体が主張しているかのようだ。ただ、貸物件や売地の看板がやや目立つようになっている。自分の住んでいた家があったところも、既にぼうぼうと草の生えている空き地となっていた。
「人間の歯みたいだな」
加齢に伴って歯が抜けていくイメージが脳裏を横切って、つい呟いてしまう。ここで懸命に新しい生活を始めている人も必ずいるとは思うので、何となく傲慢の態度のようにも思えたが、正直な感想なので仕方ない。母校である小学校の近くのコインパーキングに車を停めて、そこから歩く。学校は驚いたことにかなり変わっていて、校舎が真新しくなっていた。自分が在籍していた時代から老朽化はしていたので、限界を迎えたのだろうとは分かるが、それでもさっと自分の心に黒々としたものが入り込むのを感じる。
中に入ったら不審者扱いされるのが容易に想像がついた。怪しまれない程度にゆっくり歩き、フェンス越しに見ていくだけに留めておく。体育館は通っていたころのままだが、ウサギ小屋は撤去されていた。遊具関連もいくつかは真新しいものに更新されている。だが、目を引かれるのはやはり校舎近くにある土俵だった。
「まだあったか…」
懐かしむ気持ちより、こいつだけは消えていてほしかった、という気持ちの方が強いのでうめき声のようになった。今でもいたいけな子供たちを苦しめているのだろうか、と吐き捨てるような気分になる。いつまで引きずっているのか、と自分でも呆れてしまうが、今自分の心が痛みを発しているのは確かで、それが私にとってはどんなに小さいことであっても一大事なのだ。
土俵をしばらく睨みつける。当然睨みつけているだけでは何にもならなかった。土俵はおろか、忌々しいトラウマさえ消え去らなかった。一生こういう気持ちを抱えて生きるのだ、と改めて思い知らされる。心に叩きつけられる。目を逸らして車の方へと戻ることにした。歩いていると、半袖姿で自分と同じくらいの年齢の男とすれ違った。すれ違った瞬間、何となく嫌な感じがする。振り向いて、その男の背中を見た。でも、後ろ姿からだけではそいつが自分を見下していた奴だったかどうかまでは判断できない。
神経が過敏になっているだけだ、と自分に言い聞かせたが、心臓がバクバクと鳴る。辛い。苦しい。まだ何とか歩けはしたので、コインパーキングまではたどり着けたが、この状態で車を転がす度胸はなかった。何となく、ハンドル操作を間違いそうな気がする。
気持ちを落ち着けることが重要だ。
少し遠いが、歩きで海を見に行くことにする。もう何年も海なんて見ていないが、昔は学校帰りに自転車でよく訪れていて、その時のゆったりとした気持ちはまだ私の中で色褪せず残っていた。行く価値はある。
人気のない町を私は歩く。少し前にスニーカーを買い替えていて良かったと思った。信号を渡り、橋を1本渡り、神社の脇を通り、すっかり鄙びた、かつて偶に立ち寄っていた蕎麦屋に故郷の終わりを感じたりした後、私は砂浜にたどり着いた。
ちらほらと人はいたが、そんなに多くはない。相変わらず静かな浜だった。波の音は聞こえるがそれだってそんなに大したものではない。大学の時、一人旅をして日本海を見る機会があったが、ただただ恐ろしかった。そのころの私が唯一知っていたこの海と、日本海が遠い距離を隔てているとはいえ繋がっているのだとすぐには信じられなかったレベルだった。荒ぶる波に自分が攫われるイメージが浮かんでしばらく海を見るのに抵抗があったぐらいだ。
久しぶりの砂浜の感触を楽しむ。スニーカーが砂に沈む。腿を上げるのに力がいった。潮の香りは先ほどから鼻に入ってきている。体から力が抜けていくのが分かった。ああ、どれぐらい無駄なエネルギーを消費してしまったのだろうか、と大げさではなく思う。でも、そんな脱力しきった状態でも、まだわずかに心の中にしこりが残っているのも感じた。
波打ち際まで歩く。まだ私が幼稚園に通っていたころ、ぎりぎりまで近づいてやろうと間抜けな挑戦をしたことがあった。波が足元にまで来て、濡れそうだったら慌てて引き返す。何回か繰り返して、何だ、こんなの余裕じゃないか、と思っていたらいきなり大きな波が来た。靴が海水でびしゃびしゃに濡れて、むくれている私を見て、両親が笑っている。そんな絵が頭の中をちらついた。正確な記憶かどうかは怪しい。幼稚園の頃のことなので、もしかしたら頭の中で何か別の記憶と混ざった状態で保存されているのかもしれなかった。それでもその記憶には胸を締め付けられるような懐かしさがあり、それが重要なのだとも思える。
風が吹いた。温いがそこそこに圧のある風で、台風の余波によるものだな、と判断していると、砂が体中を打ち付けてきた。痛い。威力を軽くした散弾銃のようだ。無数に体に細かい傷がつけられているのであろうことに意識が向く。本当にここ最近傷に縁があるなぁ、と思っていると、
「傷がついている方が、ワインって美味しく感じられるらしいんですよね」
大学時代の飲み会の席でそんなことを言っていた女子がいたことを思い出す。直接私に話しかけてきたわけではなかった。遠い席で別のハンサムな男性に話しかけていた内容を偶然耳が拾ったのだ。
「ワイングラスの底の方に傷がつけられているのはそれが理由で、風味とかが増すらしいんです。バイト先の先輩が言ってて」
ちょっと派手な女の子だった、と思う。大学生なのに持っている鞄は私でも名前を知っているブランド物で、身に着けているアクセサリも、こちらはブランド名は分からなかったが、高価そうだった。可哀そうなことだとは思うが、学部内の大半の人が彼女を嫌っていたような気がする。顔立ちは整っていたはずだが、いかんせん身に着けているもののレベルが高すぎて、そっちに第一印象が食われてしまっていた。
派手。金遣いが荒い。身分不相応。不真面目。
もしかしたらアルバイトを頑張っていただけの子かもしれない。それか親がそんなものを娘に買い与えても大丈夫なほど、お金持ちだっただけかもしれない。
でも、少なくとも私にとっては彼女のそんな姿は鬱陶しいものでしかなかった。だから大学2年生の中頃で、彼女の姿が大学構内から消えた時、どこかで心がわずかに満たされていたのだ。今思えば恥ずかしい。砂の攻撃に耐えながら、顔が熱くなるのを感じた。教室の後ろの方で講義に来なくなった彼女のことをこき下ろす女子たちもいた。比較的真面目に授業に出ていた子たちで、以前から鼻についていたのだろう。
何しに大学に来てたんだろうね。
大学で学んだことなんてそのほとんどを忘れてしまっていたが、女子たちのその言葉だけはなぜか今でも口調、抑揚に至るまで全て思い出せる。言葉の基盤に悪意、というよりも傲慢さがちらついていた。人間の醜さの1つを間近で見た記憶として、これは一生私に影のようについて回る気がしている。昨日の私が新幹線の中で陽キャに対して抱いていた感情もその類、同じ見下しの感情なのだと気づくと、顔の熱さがさらに増した。
風が止んだ。服で覆われていないところ全てで感じていた痛みもなくなる。しかしきっと皮膚のいたるところに細かい傷はついているのだろう。顕微鏡で見なければ分からないぐらいの、傷。
車。皮膚。心のトラウマ。今自分の膝に走り始めている関節痛。新幹線の窓で不意に思い知らされた自分の老い。もう決して体験できない「子供」という特権的な立ち位置。舌打ち。
バラバラと、色々なことが少しだけ脳裏に表れては消えていく。肩に重い疲労を感じた。車の運転に起因するものではないことだけはすぐに分かった。随分と自分がボロボロになってしまっている気がした。何とはなしに自分の腹に手をやる。学生時代は自分でも呆れるほどぺたんこだった腹は、加齢特有の脂肪をつけ始めていた。
こういうものの全てがワイングラスの傷と同じように作用することはあるのだろうか。分からなかった。少なくとも今明らかに分かるのは、傷つくのは辛いということだけだ。
相撲で負けたらそのことをずぅっと根に持ってしまうし、少し無理をすると翌日出るようになった関節痛は普通に移動速度が遅くなって時には人の通行の邪魔になる。老いたら成長して若者に格好いいお説教ができるなんて、老人向けのポルノでしかない。
でも私がどれだけ嫌がっても時は過ぎるし、社会は私に干渉してくる。そこで摩擦と傷は生まれるのだ。
少し屈んで足元の砂を掴んでみる。さらさらとそれらは掌からこぼれる。もう一度、今度はできる限り握力を強くして掴んでみる。でも、顔の前までもっていこうとするといくらかは零れてしまった。無性にたまらない気持になって、投げ捨てるように砂を捨てた。
「どうしようもない。いかんともしがたい」
そう独り言を呟いて、再度周囲を見回してみると、偶然にも今朝がた見た親子がいた。2人の子供が走り回っている。きゃいきゃい騒ぎながら遊んでいる。初めて砂浜に来たのかもしれない。そう思うと少しだけ羨ましかった。何事も初めてのことは楽しくて仕方がない。年を重ねると、未知の領域なんてあまり残っていない。あったとしてもそこに向かう気力がそもそも湧かなくなるのだ。
2人の子供が遊んでいる中、母親はじぃっと何かを見つめていた。随分と視線が遠いところを向いているのでは、と不思議に思い、私もそちらの方向を見る。船が浮かんでいるわけでもなかった。静かな海なので、あるのは水平線と小さなお椀型の島だけだ。何故だか母親の行動に不穏なものを感じた。やけに海に近いところに彼女は立っていた。
背筋に冷たい感触を覚えていると、子供が1人転んだ。服装から、エレベーターの中でいたずらをしていた子だと分かる。一拍置いて泣き声が聞こえ始めた。ああ、思っちゃいけないのだろうが、やっぱりうるさい。子供の声はよく頭に響く。そうでないと周りの大人に気づいてもらえないから、性質としてそれでいいのだろうが、私がその泣き声に気付いたところで何も出来ないのだから、やっぱり聞こえないほうがいい。
母親の方を見る。泣いている子の方を、ただただじぃっと見ていた。動こうともしない。脱力の様が見て取れた。でもその脱力は先ほど自分が体験したポジティブなものではなく、省いてはいけない力まで落としてしまったもののように見えた。
彼女が動きたくないのであれば、もう動かなくていい。理性では、子供を泣き止まさなくちゃダメだろ、と分かっているのにそんな思いが唐突に生まれる。でも、当然そんな風に事は運ばない。比較的、落ち着いている方の子が転んだ子に寄っていき慰め始める。それを見て、母親ははっとしたような顔をして、自分の子供の方に駆け寄った。その母親の姿には先ほど感じていた嫌な気配が微塵も感じられなかった。私の視線に気づいたのか、母親が不意にこちらを向く。目の奥に強い疲労の色が宿っている。結構距離が開いているはずなのに、その色だけは読み取れた。
彼女は私に軽く会釈だけして、後は泣いている子供に全神経を集中させる。風がまた吹いた。今度は風上に対して背を向けていたので、背中で砂を受ける格好になる。またしても相当痛かった。昔、図鑑か何かで見た人の皮膚を拡大した写真が頭に浮かび、それらに無数の傷がつけられていくのを幻視する。母親は風から子供をかばうべく自分の体を盾のように使っていた。彼女だって痛いだろうに、私とは真逆の姿勢だった。
風がやむ。子供はさっきの風で注意が逸れたのか、泣き止んでいた。抱きしめていた母親から遮二無二離れて、再び砂浜の上を走り始める。もう1人の子もそれにつられて走り始める。母親はそんな子たちを少しだけぼうっとした感じで見つめていた。先ほどまであった背筋を凍らせるような不穏さはもうない。そう判断してから私は車を停めてある場所まで歩き始める。現実に戻るときだ。帰ったら、傷のついた車と、減った有給休暇と、休暇中に溜まったであろう仕事が待っている。スマホをズボンの右ポケットから取り出すときにわずかに手が痛む。短い距離の運転にこそ支障はないが、まだ痛みは残っていた。いつまで残るのか、いつになったら治るのか見当もつかない。
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