重いとか軽いとか

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「まぁ、でも。お前みたいな堅物は一回くらい遊んでもらった方が、その凝り固まった脳みそもほぐれるかもな。踏み込んでみるのもありだと思うぜ?」  千坂は鼻で笑いながら柄シャツの胸ポケットからお店の名刺を渡してくる。『ZUMI(ズミー),S(ズ) Bar(バー)』と書かれた名刺には住所と簡易的な地図が示されていた。 「千坂は一緒に来てくれないの?」 「行くわけないだろ。あんな可愛い彼氏いんのに行く必要ねーもん」  確かに恋人持ちが出会いの場でもあるバーに行くなんて禁忌ではあるが、世の中には二方向でつまみ食いをしている奴がいることも事実である。けれど、千坂は『もっと遊べ』なんて人に言っているものの、あっちこっちに手を出しているような話は聞いたことはないので一途なのだろう。そんな千坂に焚きつけられ、恋人が家で待っているからと早々にお開きになった彼と別れて、例のお店に向かってみることにした。  札幌の中心部。夜の街と言われている繁華街。路面電車の通る大きい道路から中道へと入ったところで眩しい電飾の看板が立ち並ぶ、商業ビルの三階に千坂に紹介された店はあった。階段を上っている途中で誰かの怒鳴り声が聞こえてきて、思わず階下で足を止める。 『お前もいい加減、年なんだから将来を考えた付き合いをした方がいいっつってんの。三十間近になっての売れ残りネコなんてセフレでも抱きたいとは思わねぇよ』 『はぁ?若い男にしか興味ないやつに言われたくねーよ。大きなお世話、お前なんかこっちから願い下げだわ。とっととうせろ』  やはり此処は徹史のような平凡な男が来てはいけない場所なのではないだろうか。分不相応な気がする。  今ならまだ引き返せる。そう思ったが、少しの好奇心から階段を一歩ずつ進めていくと、勢いよく駆け降りていく男とすれ違った。今の一瞬で男の口元が少しだけ切れていたのが見えて、ギョッとする。このまま上って行ったら確実に喧嘩の相手はいるだろうし、引き返すべきかと考えたが、それを凌駕する好奇心が勝って徹史は更に足を進めた。  三階へと辿り着くと、目的のお店の扉横で煙草を燻らせながら物思いにふけた様子の男がいた。煙草を吸う男性など職場の給湯室で嫌と言うほど見ているはずなのに、徹史は不覚にもドキッとした。煙草の吸い口から離された唇がやけに艶っぽい……。右の目頭の下にある黒子が魅力的で冷めたような眼差しで煙を追う虚ろな切れ長な瞳はどこか守りたくなるほどの儚さを感じた。 「何見てんの?」  徹史が思わず見とれていると、男と視線がかち合い、眉を寄せて怪訝そうな表情で問われる。 「いいえ……」  声質からきっと、『うせろ』と怒鳴っていた方で間違いない。徹史は明らかに喧嘩腰の相手に怖気づいて咄嗟に俯くと、逃げるように店の中へと入った。  
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