第6話『どっかの誰か』

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第6話『どっかの誰か』

 静かな秋が巡ってきた。島の木々は紅く色付き、芒が秋の月に向かい手を伸ばす。波音に虫の音色が重なる。  そんな秋には1つのイベントがあった。11月26日、風音の17歳の誕生日。いつまでも子供だと思っていた。休みの日は光瑠くんと朝から晩まで島中走り回り、浜の砂まみれか、海に入ってずぶ濡れになって帰ってくることも多い。勉強は人並みにはできるようで、テストの成績は中の上といったところ。ただ、生活態度というか授業態度に難あり、ということは夏の三者面談でも言われた。明るい性格ゆえに、授業中でもついつい騒がしくなってしまう。自分はもちろん、周りの誰かを楽しませようとする気持ちや性格からの態度なのは分かるけれど……せめて授業中は落ち着いてもらいたい。  でも、そんな風音の明るさに一番助けられたのは他の誰でもない、私自身だ。航さんが島を去った後、泣き続け島を彷徨う私を支え、立ち直らせてくれたのは風音。帰らないと浜辺で駄々を捏ねる私を叱り飛ばし、強い力で引っ張り家まで連れ帰ってくれた。何もする気力がない私に愛想を尽かすことなく、家事をこなし、笑顔で語りかけてくれた。 「大丈夫だって!姉ちゃんにはオレが付いてるんだから!!姉ちゃんが元気になるまでオレが傍にいるよ」  毎日毎日そう言ってくれた風音の優しさと心の広さに救われた。だから私は立ち直ることができた。こっそり泣くことはあるけれど、島を彷徨ったり浜辺で泣き叫ぶことはもうしない。今思い返すと、恥ずかしい気持ちでいっぱいになるけれど、当時は羞恥心を感じる余裕は全く無かった。それはそれで恐ろしい。  紅葉のトンネルを抜け、いつも通り風音の乗ったフェリーを見送る。今日はいよいよ風音の誕生日当日。帰ってくるまでに準備をしなくては。  今日は仕事をしないと決めていた。昼から台所に立ち、この日のために購入した食材を調理していく。  この島にスーパーなど、もちろん無い。フェリー乗り場の売店で、パンや飲み物、新聞や雑誌、煙草、ちょっとした風邪薬などを取り扱っているくらい。日常的に使う食材などは定期的に島にやってくる移動販売か、ネットスーパーでの購入になる。天候に左右されるのが難点ではあるけれど、16時までに注文すると、翌日の昼過ぎには島に届けてくれる。とてもありがたいし助かる。島から出られる人は自ら買い出しに出るが、私はそういうわけにもいかない。  本当に島から出られないわけではないことは分かっている。実際、風音の三者面談に行った日だって何も起こらなかった。ただ、私自身が勝手に決めつけているだけ。島から出てはいけない。海神様を1人にしてはいけない。怒らせてはいけない。私が島から出られない犠牲になることで、この島は、海神様は穏やかでいられる。私は、それを理由に島から出なくてもいい生活を手に入れている。Win-Winの関係だと思う。  この島から出たくない1番の理由は、この島が、この島での生活が好きだから。決して満足しているわけではないけれど、特に不自由もしていない。ネット環境があれば仕事だって買い物だってできる。体調を崩した時に病院がないのは辛いけれど、定期的に往診の先生が来てくれる。誰にも流されず、自分らしい生活ができる。  けれど、それが半ば意地になっていることも分かっている。島を出て行った同級生……雪南と茜……の顔と声が浮かぶ。 「時海は絶対島から出ないんでしょ?でもそれって悲しくない?あたしは絶対に嫌だなぁ。島って何もないじゃん。仕事もどうすんの?漁師にでもなるの?」 「でもさぁ、時海は島での生活に馴染んでるよね。沙耶子ですら島を出るのに。予言してあげよっか?きっと何年後かには時海も島を出るよ。あんな何もない所に住み続けられる?結婚はもちろん、彼氏だってできないよー」  そう言って笑った2人の顔と声は、今でも心にこびりついている。2人のことは嫌いじゃないけれど、島での生活のことについては全く意見が合わなかったし、そのことで馬鹿にするような発言をされるのが嫌だった。島にいたって仕事はできる。恋人だってできた。島を出て、本土で暮らし始めて 「やっぱり島から出てきたじゃーん!」  そう言われるのが嫌だった。それもあって、私は島に残り続け、島から出ない生活をしている。そういうところ、風音よりも自分の方が子供っぽいと思い苦笑いがこぼれる。  今日の晩ご飯は風音が大好きなカレーはもちろん、唐揚げ、ポテトサラダ、小さめに作ったハンバーグ。デザートにはバースデーケーキ。食べ盛りの風音ならペロリと食べてしまうだろう。いつもより豪華に、綺麗に盛り付け、ダイニングテーブルを飾る。プレゼントは新しいスニーカーとパーカー。サイズも好きなデザインも知っている。スニーカーは前から欲しそうにしていたことに気づいていた。両親がいないことで、あまり贅沢をさせてあげられないし、フェリーの時間のせいでアルバイトもできない。お小遣いだって、本土の子に比べたら少ないと思う。それでも風音は文句一つ言わない。惨めな思いをしたことがあったと思う。悔しい思いをしたこともあったはず。だから、せめて誕生日の時には、風音の好きなものをプレゼントしたい。いつもの笑顔よりもっと明るい、太陽が花開くような笑顔が見たいから。そんな風に、風音に笑ってほしいから。 「すっげー!!これ全部姉ちゃんが作ったの!?去年よりパワーアップしてんじゃん!!やべぇ、めっちゃテンション上がる!!」  食卓に並んだ料理を見て、帰ってきて制服姿のままの風音がはしゃいだ声を上げる。それだけでも嬉しくて泣きそうになる。 「早く着替えてきて食べよう」  そう声をかけると、返事も惜しいように階段を駆け上がっていく足音が聞こえた。そしてすぐにスウェットに着替えて降りてくる。きっと制服もリュックも放り投げてきたんだろう。今日だけは許す。 「いただきまーす!!」  大きな声でそう言ってから、料理を口に運ぶ。そんな風音の姿が微笑ましくて、ついつい食べることを忘れて見つめてしまう。 「姉ちゃんのご飯いつも美味いけど、今日のはもっと美味い!!」  笑顔でそう言ってくれることが嬉しくてまた泣きそうになる。誤魔化すために、私もカレーを口に運ぶ。  こうして顔を合わせてご飯を食べられる日は、あと1年とちょっとくらい。進学先が決まって、本土に住む場所も決まったら、早ければ再来年の3月半ばには島を出ていくだろう。そして、次に島に帰ってくるのはお盆か年末か。ゴールデンウィークにはきっと帰ってこないだろうな。笑顔で食事をする風音の話を聞きながら、頭の中では少し先のことを考えてしまう。誕生日を一緒に祝えるのは、今年を入れてあと2回。そのうちの1回はあと数時間で終わってしまう。 「姉ちゃん、またオレが島を出て行った後のこと考えてるだろ」 「え?」  風音にそう言われ、箸が止まる。ほとんど食べ終えた風音が、お茶の入ったグラスを持って私を見ている。 「さっきから顔が全然笑ってない。寂しそうな顔してる。姉ちゃん、すぐ顔に出るから分かりやすすぎるんだって。そんなに寂しそうにしないでよ。帰ってこないわけじゃないんだからさ。今の時代連絡だっていつでもできるし、オンラインで顔見ながら話しだって出来るし。どっかの誰かと違って、黙って居なくなったりしないからさ」  そう言って風音はお茶を一気に飲み干す。どっかの誰か……それは間違いなく航さんのことなわけで、未だに風音が彼のことを嫌っていることを知るには十分すぎる表現だった。 「ごめんね。誕生日を一緒に祝えるのも来年で終わりかと思ったら、ちょっと寂しくなっちゃって。そうだ!プレゼント持ってくるね!!」  風音が何か言う前に、私は寝室に隠しておいたプレゼントを取りに席を立った。寝室で、航さんの写真をそっと開く。海を眺める航さんの横顔の写真。 「どっかの誰か……だって」  スマートフォンの画面に向かってそう呟く。どっかの誰かと言われた彼は、本土のどこかにいて、今でも私たちとこの島のことを気にかけてくれている。そんなことを風音は知らないし、教えるつもりもなかった。風音の心が穏やかであるならば、航さんのことを嫌いなままでいいと思う。 「はい、プレゼント。改めて、お誕生日……17歳おめでとう!」  大きな紙袋を風音に手渡す。思ってた以上の大きさと重さに、風音の顔が驚きに変わる。 「え!?何これ……2つ入ってるじゃん!!」  ガサガサとラッピングを開けていく風音。驚きから、喜びの顔になる。 「えー!!このスニーカーめっちゃ欲しかったやつ!!買ってくれたの!?マジで嬉しい!!こっちのパーカーもめっちゃ良いじゃん!」  着ていたスウェットを脱いで、すぐにプレゼントしたパーカーに袖を通してくれる。黒地に蛍光色のロゴが入ったシンプルなデザインだけれど、風音にはよく似合った。同じブランドの水色のスニーカーもピッタリだった。 「姉ちゃん、マジでありがとう!!めっちゃ嬉しい!!大事にするね」  記念に写真撮ろうよ!そう言って風音がスマートフォンを操作する。バースデーケーキも並べて、2人で写真を撮った。すぐにLINEで送られてくる。太陽が花開いたような満面の笑みの風音と、ほんの少し泣きそうな顔で笑っている私。 「姉ちゃんまた泣きそうな顔してんじゃん!!」  そう言って風音が大声で笑う。 「そんなことないってばー!」  私も一緒に笑う。  ずっとずっと、この時間が続けばいいのに。そうすれば風音とずっと一緒に笑っていられるし、どっかの誰かを思い出して泣くこともないはずだから。  そんなことを思いながら、ケーキを頬張る風音をまた見つめていた。
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