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第5話『夏の終わりに』
島の夏は、始まった時と同じように静かに終わっていった。お盆の時期にお墓参りの人がやってきたくらいで、あとはいつもと変わらない。
島の墓地は港の反対側にある。そこへ向かう海沿いの道を、風音と2人で歩いた。掃除道具やお線香などのお墓参りに必要な物を両手に持ち、波音と海風を感じながら歩く。緩やかな坂を登り切った先が墓地だ。港と反対側の海を臨むように、墓石が建ち並ぶ。私たちの両親の墓は、島の中では比較的新しい方。でも、誰も眠っていない。遺体は欠片も見つからなかったから。それでも、掃除をした後で迎え火を焚く。送り火も、風音と2人で。再来年は、私1人になってしまうかもしれない。それとも、お盆の時には帰ってきてくれるだろうか。送り火の傍にしゃがみ込んでいる風音に視線を向ける。お供えに持ってきた煎餅を食べながら、風音は送り火を見つめている。静かに、夏は終わっていった。
お盆が終わり、風音は新学期が始まった。
「行ってきまーす!!」
フェリーから手を振る風音に、浜辺から手を振り返す。見送るのは散歩のついで……そんな言い訳を心の中で呟く。フェリーが海上鳥居を過ぎるまで、私は見送る。海上鳥居の先で、両親の船は沈んだ。何も残さずに、帰らなかった2人。フェリーが行くその波の下に、眠り続ける。風音がそこへ連れて行かれないか、不安だった。だから私は、散歩のついでと言い訳をして見送りに来る。風音の乗るフェリーが、海神様が眠る海域の外へ無事に出ていけるように。風音も、海神様のところへ連れて行かれないように。
フェリーは遠く小さくなる。秋の初め。日差しはまだ強いけれど、風にはほんの少し冷たさが混ざっていた。緑のトンネルは赤や茶色に変わり始めた。数週間もすれば、今度は紅葉のトンネルになる。それを楽しみに、私は家へと帰る。仕事の時間だ。パソコンを立ち上げるとメールが届いていた。いつもやりとりしている、本土の民俗学研究者からだった。内容に目を通す。
「へぇ。オンラインでの情報交換会かぁ。面白そう」
ネット環境が整備された今、それぞれが自宅や遠方にいたとしても、気軽にオンラインで会議や飲み会ができるようになった。便利になったと思う。私のように島で過ごす身としては、とても助かっている。島から……家から出なくても仕事ができる。ありがたい。
「視聴用のURL……ここにアクセスすればいいのね」
情報交換会の開催は来週火曜日の午後13時から。参加者の名前を見ると、いつも仕事でお世話になっている人達だった。名前は記載されず“他3名”となっている人達も、きっと仕事で関わったことがある人達なんだろうと思う。部下か、新人か。それよりも、どんな話しが聞けるのか、私の興味はそっちでいっぱいだった。
秋の気配を近づかせながら、緩やかに静かに時が流れていく。いつも通りの一週間が過ぎ、火曜の午後12時半。私は情報交換会を視聴するためにパソコンの準備を始めた。視聴者側の登録を済ませなければいけない。面倒な手順だったら嫌だなぁと思ったけれど、いざ開いてみるとそれはいつも利用しているオンラインミーティングシステムだった。ホッと一安心して、ログインする。仕事で使用しているため、登録名は本名の篠沢 時海になっている。知っている人ばかりの会だし、仕事の面もある。偽名を使う必要はないだろう。
13時を少し過ぎて、情報交換会が開始された。見慣れた顔が画面に並ぶ。参加者は全部で8名。人数分に分割された枠の中、左下の一つだけ、背景は写っているが人がいなかった。堅苦しい会ではないようで、皆にこやかに挨拶などを交わしている。本題に入るのはもう少し先だろうと思い、私は台所へ向かった。グラスに麦茶を注ぎ、それを持ってパソコンの前に戻る。案の定、まだ雑談が続いていた。知っている人達ばかりなので、その光景も微笑ましかった。彼らの雑談を耳に挟みながら、手元の資料に目を通す。左下の枠の人は、まだ居なかった。
海崎島と海神信仰の始まり。なぜ海神は怒り、島を沈めたのか。その怒りは本当に鎮まったのか。海神を眠らせた方法は……誰が……
「すみません!ちょっと席を外してました!」
聞こえてきた声に、ドキリと鼓動が跳ねる。幻聴ではない。確かに聞こえた。目の前にある、パソコンのスピーカーから聞こえた。資料から目を離し、パソコンの画面を見る。誰も居なかった左下の枠の中に、スーツ姿の男性が映っていた。色白の肌に、黒縁メガネ。優しく細められた目と、緩やかに上がる口角。記憶の中より、少し短い黒髪。
「航さん!?」
参加者の中に豊岡 航の名前は無かった。まさか他3名に航さんが含まれているなんて思わなかった。
「嘘でしょ……」
ふわりと柔らかな笑みを浮かべて、航さんが参加者の話に頷いている。資料に集中してしまっているうちに、本題に入っていたらしい。しかし、それは私の耳を通り抜けていく。目も耳も、航さんにしか向いていなかった。その航さんが口を開く。
「私が調べている島は、神が眠る島と言われているのですが、どんどん過疎化が進んでいるんです。若い人はまぁ、分かるのですが……昔から信仰してきたであろう年配の方々も島から出て行っているんです。……えぇ、生活の不便さを考えたら仕方のないことかもしれません。ですが、神事の時でさえ島を訪れることは無いそうです。今は……島に残っているのは20人程ですね。そうそう、海神の島です。私、あの島が大好きなんですよ。綺麗で静かで、良いところですよ」
ほわほわと柔らかな航さんの声。ずっと聞きたかった声が聞こえる。しかも、この島のことを話してくれている。ふと、航さんの視線が画面脇に向かう。その直後、ハッとした顔でカメラ目線になった。画面越しに、航さんと視線が合う。画面脇に表示されているのは、視聴中の人のリスト。私に、気づいてくれた……?
「7歳までは神の子、って言うじゃないですか。でも、あの島では18歳までは海神の子なんだそうです。どうして18歳なのか気になりますよね。私の知り合いの弟さんが、そろそろ18歳になるのかな?もうなった?島から出るのかなぁ、どうするのかなぁ、ってずっと気になっていて。弟さんが島を出たら、私の知り合いが1人残されてしまうんですよ。……はい、昔に両親を海で亡くしている人で…………」
時々カメラ目線になりながら、航さんが話す。“18歳になるのかな?もうなった?”その話し方が、この島で私と話していた時と同じで、懐かしさと恋しさに涙が溢れる。航さんが話しているのは、間違いなく風音と私のことだった。島を離れても気にかけてくれていた。その嬉しさに涙が止まらなかった。
1時間半ほどで情報交換会が終わった。どんな話が出たのか覚えていない。航さんの発言しか頭に残っていない。後で感想などを求められたらどうしよう。情報交換会の案内を送ってくれた人は、私と航さんの関係を知っているのだろうか。
暗くなった画面に映った自分の顔が酷すぎて、ため息をつく。泣きすぎて化粧は崩れ、目の周りも赤くなっている。画面越しでもこんなに泣いてしまうなら、本当に会えた時に私はどうなってしまうんだろう。
「風音が帰って来るまでに落ち着かなきゃ……」
やっと止まった涙を拭い、ぬるくなった麦茶を一気に飲み干した。
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