災難の末の災難

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災難の末の災難

 妖怪と人間が混在するこの現代。  妖怪たちは人間に化け、幾重もの時代を人間として渡り歩いてきた。しかし、この事実を知っているのは、ごくわずかな人間のみ。稀に妖怪の姿が見えたり、気配を察知できる能力を持つ者がいる。  つまるところ、それが俺だ。 「やっぱりここのから揚げは最高に美味しいわ! 他の店で食べたけど、なんか違うのよねぇ。味付けとかそういうことじゃなくて……うまく表現できない!」 「それは私も同意する。一口食べると、ほわっみたいな。うーん、ちょっと違うかな……ズキュンって感じ?」 「アンタも言葉選びが下手ね」 「はぁ? 同意してやったのに上から目線やめてくれる? おばさん」 「そういうアンタだって、クソババアじゃない。一緒にしないでよ!」 「……はぁ。うるさいですね。これだから女妖怪は嫌いなんですよ」 「あぁ?てめぇ、コラ! 表に出ろ! その少ない毛を全部毟り取ってやる」 「ははっ。今日も賑やかでいいな!」 「頼むから、喧嘩するなら店の外でやってくれ」  そして、これが俺の店の日常だ。  代々メシ屋を営む家系に生まれた俺は、幼い頃に両親と死別した。父方の祖父母に育てられ、小さい頃から店を手伝いながら、常連客に可愛がられていた。  そんな俺は、物心がついた頃からおかしなモノが視えるようになった。『幽霊』や『おばけ』という類ではない。異形のそれは『妖怪』と呼ばれるものだった。妖怪はそこら中にいたのだが、人々はそれを気にも留めない。というか、視えなていないのだと分かった。人に化けている妖怪も同様に、俺には見分けがついた。一番の特徴は甘い匂いだ。金木犀をハチミツで煮詰めたような、甘ったるくて独特な匂い。その匂いが『霊力の根源』だと気付いたのは、大人になってからだ。  祖父母にそのことを話すと、否定することなく優しくこう諭した。 「大史、あんたにはお役目があるんだね」  子供の俺にとって、どういう意味なのかさっぱり分からなかった。  しかし、今でもその言葉を覚えている。  そんな優しい祖父母は、1年前に他界した。祖父は末期の膵臓がん、あとを追うように祖母も心不全で亡くなった。今まで一緒に店を切り盛りしてきたが、2人がいなくなってしまったことで何もかも無気力になり、店を閉めてしまった。情けないことに。  しかし、昔からの常連さん達はいつも励ましてくれる。 「大史くん、また店をやってくれよ。辛いのはよく分かるよ、おれだってそうだ。だけどさ、おれはこの店が大好きなんだよ。賑やかで楽しいこの店が」 「私らにとって、ここは心の拠り所なんだよ。なにか手伝えることがあるなら、いつでも頼って。昔からの馴染みなんだから。大史くんは、私らの息子も同然だよ」  そう言ってくれたのは、常連の峯田さん夫婦だ。子供の頃からいつも可愛がってくれて、毎日のように来店してくれていた。  それ以外にも、差出人不明の奇妙な手紙が届くこともあった。 『メシを食わせろ!』 『店はいつ開けるんだ! このままじゃ飢え死にする!!』 『気が狂いそうだ……早く、早く、早く!』 『から揚げ!!』  ……から揚げ? うちの店に、から揚げ過激派なお客なんていた?  脅迫文のような手紙でも俺にとっては励みになった。再開を待ってくれる人がいるのなら、やるしかない。  気付けば半年も放置していた店を掃除することから始め、冷蔵庫の中身や食材、調味料など、古くなったものはすべて処分した。  うちの店は、昔ながらの定食屋とはちょっと違う。和定食だけでなく、洋食や中華など、メニューの数がとにかく豊富。食べることが好きだった祖父母は、お客からのリクエストがあればその都度メニューを増やし、今では200品ほどある。特に俺が好きだったのは、豚の生姜焼きだ。定番といえば定番だが、オリジナルのタレに漬け込んで焼いた豚肉は、どの店にも負けないくらい美味しい。  久し振りに厨房で作ってみようと思い、近くのスーパーに出かけた。本当は贔屓にしている肉屋から仕入れたいが、時刻は午後10時。致し方ない。  買い物を済ませて帰路を辿っていると、やけに静かな町の雰囲気に気付く。中心街から離れたこの地域では、夜の時間帯は滅多に人通りがない。それはいつものことだが、空気がピンと張り詰めた今夜は、自分の足音が妙に響く気がした。  そういえば、最近はこの辺で行方不明者が出ていると聞いた。常連の峯田さん夫妻も、夜は滅多に出歩かなくなったらしい。よく飲みに出歩いている2人がそこまで用心するのだから、よほど警戒しているのだろう。  妖怪の仕業、なんてことは考えたくない。実際、悪さをしている妖怪はほとんど見たことがない。中には悪意のある妖怪もたまにいるが、それは人間も同じことだ。  ——— この匂いは。  その瞬間、辺りに例の甘い匂いが漂ってきた。しかしその匂いは、次第に鼻を刺激する不快な匂いに変わる。  この匂いは知っている。悪意のある妖怪の匂いだ。  立ち止まって一瞬の瞬きの間に、目の前にいたのは一つ目の仮面をつけた妖怪。 「お前、わしが視えるんだろう? 珍しい人間もいるものだ」 「だったらなんだ。脅かしに来たのか?」 「まさか、そんなことするはずがない。わしは人間が大好きだからな」 「嘘をつくな。その匂いで分かるんだよ」  すると、仮面の妖怪は俺にじりじりと近づいてくる。咄嗟にスーパーで買った大根を手にして、戦闘態勢を整える。  仕方ない。ここは戦うしかなさそうだ。 「だ……大根はな! 栄養素が豊富で高血圧の防止に加え、抗酸化作用もある!」 「ほう」 「さらに! 血糖値の上昇抑制、腸内環境も整えてくれる! 生活習慣病予防にもってこいだ!」 「それはいいことを聞いた」  俺の攻撃も虚しく、ヤツはさらに距離を縮めてくる。  クソッ、ここまでか……。じいちゃん、ばあちゃん、ごめんよ。せっかく心機一転、店を再開しようと思ったのに。こんなところで死ぬなんて……。  人生を諦めかけたその瞬間。  ——— ドゴォンッ  鈍い音と共に、目の前に迫っていた仮面の妖怪は、当然地面にめり込んだ。 「……ん?」  なにが起こったのか困惑していると、背後から再び妖怪の気配を感じた。恐る恐る振り向くと、そこには図体のデカい男が仁王立ちしていた。 「ヒエッ……人の姿だけど、妖怪だよな……?」  男は俺に見向きもせず、仮面の妖怪の元へと向かう。 「おい、お前。人間を襲うとはどういうつもりだ」 「な、なんだぁ…わしは襲ってなどおらん」 「嘘つけ。人間が怯えているだろう」  ……どちらかというと、俺はあなたに怯えてます。 「わしはただ妖怪が見える人間が珍しかっただけじゃ。 危害を加えるつもりなど毛頭ない。まぁ、ちょっとだけ脅かしてやろうと……」 「貴様……! 弱い人間を襲うとは、妖怪の風上にもおけん。恥を知れ!」 「や、やめてくれぇ…」  男は妖怪の頭部を片手で掴み、再び地面に叩きつけようとした時。 「ちょ、ちょっと待った! そこまでやらなくてもいいんじゃないか? 俺がびびっただけで、そこまで悪意はないと思う、多分。だからその辺にしといてくれ」 「……まぁ、あんたがそう言うなら。今度からは人間をむやみに脅かすな。また同じことしたらタダじゃおかねぇ」 「わ、わかった」  仮面の妖怪は解放されると、一目散に逃げて行った。 「チッ。ほんとに逃がしてよかったのかよ。あんた妖怪が視えるんだろ? お人好しにもほどがあるぜ」 「そういうあんたも妖怪だろ? とにかく、助けてくれてありがとう」 「別にたいしたこと……あ、だめだ」  男は急にふらつき出し、白目を剥きながら倒れ込んでしまった。 「えっ、なに!? どうした!?」 「……は、はら」 「はら?」 「……腹が減ってぇ……力が出ない」 「そっか、救急車呼ぶね」
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