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今夜は『スナックみかげ』
玉藻さんとてっちゃんのデートから、3日後のことだった。
「美影さん、呼び出しちゃって悪いね」
「いいのよ。今日は定休日だし。あんたが私に相談ごとなんて珍しいじゃない」
「いや、俺っていうか、ある人が恋に悩んでいてさ。どうしたらいいのか、ご教示をお願いしたいんだ。虎之介がもうすぐ連れて来るはずだけど……」
——— ガラッ
勢いよく店の戸が開き、虎之介に首根っこを掴まれて来たのは、才雲さんの寺に居候をしている八岐大蛇ことヤマさんだった。
「連れてきたぞ。往生際の悪いヤツでよぉ、やっとの思いで引っ張り出してきた」
「拉致です! 拉致されました……! こ、こんな横暴なやり方、お師匠様が黙っていないぞ!」
「ごめん、ヤマさん。才雲さんには既に了承を得ているんだ」
「グルだったのか……」
「まぁ、とりあえず座ってよ」
不貞腐れている彼を美影さんの隣の席へ案内した。美影さんはヤマさんをまじまじと見つめ、自分がここに呼ばれた理由を理解したようだった。
「ふうん。あんたがお悩み相談人ね。私は美影よ。近所でスナックをやってるの」
「ど、どうも……ボクは山神蛇才という名を授かり、陽仰寺で修業をしています。というか、これは一体なんなんですか?」
「聞いた話によると、てっちゃんがデートに出かけてから、ずっと部屋に引きこもってるんだって? おつとめにも顔を出さないから、才雲さんも困ってたよ」
「こいつの部屋、ジメジメしすぎてキノコが生えてたぞ」
「ぐっ……お師匠様には申し訳なく思ってます……」
「今日ヤマさんを呼んだのは、恋愛や人生相談のプロである美影さんに相談をしたらどうかなって思ったんだ。余計なお世話かもしれないけどさ、このままじゃ解決策が見つからないだろ? 心の内を全部話してみなよ。酒でも飲みながら」
「やっぱり、こういう場にはお酒よね。じゃあ、私はレモンサワーで」
「……ボクは熱燗を」
「はいよ」
「オレには大五郎を。ボトルで」
「置いてないです」
しれっとヤマさんの隣に座ろうとしている虎之介の耳をつまみ、厨房に引きずり込んだ。晩酌で4リットルのボトル焼酎を毎日のように空けている虎之介にとって、それはもはや水みたいなものなんだろう。いや、そうじゃなくて仕事中だろ。
今日のお通しは、辛子蓮根フライ、長芋の梅あえ、鯛の昆布〆の3種盛り。
辛子蓮根のツンとくる辛味は酒によく合い、長芋の梅あえは口の中をサッパリとさせてくれる。昆布の旨味が染みた鯛は、身の締まった歯応えが楽しめる。
「お待ちどうさま。今日のお通しね」
「わあ、美味しそうね。ずいぶんと手の込んだお通しだこと」
「まぁね、今日は特別。じゃ、ごゆっくり」
とは言ったもの、会話は気になるもので。
他のお客さんもいるので、仕事に集中しながら聞き耳を立てる。
「それで? あんたはなんでそんなにうじうじしてるのよ」
「そ、それは……ボクは昔から人間の女の子を結ばれることを夢見てました。数百年もの間、いろんな女性とお見合いをしてきた中で、運命の人に出会ったんです。それがお師匠様の娘である、てっちゃんです。こんなボクを受け入れてくれて、共に過ごす時間はとても楽しいものでした。しかしある日、パリピ狐がてっちゃんに一目惚れをして、てっちゃんはヤツとデートに行ってしまいました。妖怪は恋愛対象外だと言っていたのに……」
「そのてっちゃんは、デートから帰ってきてどんな様子だった?」
「楽しそうな顔で、その日の出来事を語っていました……ボクなんて、一緒に住んでいながらデートなんて一度も行ったことがないのに。あの狐は、人をたぶからしては関係を持とうとする最低なヤツなんです。見た目はいいかもしれないけど、他人を見下すような性悪なんですよ! ボクは二度もフラれ、ただの『お友達』だって言われたのに……あんなヤツのどこがいいんだ……」
「なるほどね」
ヤマさんは、お猪口になみなみと注がれた酒をグイッと飲み干し、徳利を手にした美影さんは空のお猪口に再び酒を注ぐ。自身のグラスも空になり、それを小さく掲げながら俺に目で合図をした。
「その狐って、もしかして玉ちゃんのことかしら?」
「え、知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、私と玉ちゃんはお友達なのよ。話を聞いていると、あんたはずいぶんと思い込みが激しいみたいね。玉ちゃんが性悪だって話、どこから聞いたの?」
「か、風の噂で……」
「その風の噂を信じて、都合のいいように解釈しちゃったのね。彼はそんな妖怪じゃないわ。恋をするなんて、何百年振りなんじゃないかしら。昔はとある女の子とお付き合いしたけど、彼女は病で亡くなってしまったの。それ以来、塞ぎ込んじゃってね。ようやく立ち直ったのがつい最近。玉ちゃんって、かなり繊細なのよ。そんな時に出会ったのが、てっちゃんっていう女の子なんだと思うわ。もし好きな人ができたら、1分1秒でも長く一緒に過ごしたいんだって。人間って、私たちと違って脆くて寿命も短いから」
「そう、だったんだ……」
「だからね、あんたがさっき言ったように、いろんな人と一夜を共にするようなことはしないのよ。ストレス発散でクラブにはよく行くみたいだけど、節操のある彼なら過ちなんて冒さないわ。まぁ、しいて言えば……好きになると一途すぎるから、敵とみなせばと攻撃的になりやすいかもね」
「……ボクは彼に酷いことを言ってしまったようだ」
「それが分かってよかったじゃない。今度会ったら、ちゃんと『ごめんなさい』するのよ?」
「はい……」
タイミングを見計らって、虎之介は空になったお通しの皿とグラスを下げに行った。空気が読めるようになってきたな、虎之介!
「ねぇ、虎之介さん。今日は松さんの焼き鳥はあるかしら?」
「おう、あるぞ」
「じゃあ、それと焼酎の水割りで。あんたは?」
「ボクも同じので」
「あいよ」
肉屋の松さんが作っている焼き鳥は、仕入れるようになってから大人気だ。
そりゃそうだろ。俺が焼く焼き鳥よりも数百倍美味いのだから。
「それはそうと、あんたは彼女を諦めなさい」
「えっ。なんで……」
「玉ちゃんとデートをしてきた彼女の表情がすべてよ。それに、本当は人間の女の子だったら誰もよかったんでしょう?」
「そ、そんなことは……」
「今までがそうだったじゃない。彼女がその事実を知っているのなら、あんたの行いは信用を失うものよ。そんな彼女が『お友達』だって言ってくれるなら、それでもいいじゃない。ましてや一緒に住んでいるんだから、玉ちゃんよりあんたのほうが恵まれてるんじゃないの?」
「そう言われてみれば……。毎日顔を合わせられるし、毎日てっちゃんの手料理も食べられる。狐よりも、ボクのほうが彼女と過ごす時間が断然多い。今まで気付かなかったけど、ボクは恵まれているのか……」
「そういうこと! 現状に感謝しなさい」
「……あなたは仏様だったのですか?」
「なに言ってるのよ」
「ならば、この出会いは仏様の導き。ありがたや」
まさかここでヤマさんの悟りが開けるとは。
ヤマさんは美影さんに手を合わせ、そんな様子に美影さんは「やめてよ」と言いながら笑っていた。
焼き鳥をつまみに酒を飲み交わし、いつの間にか仲良くなった2人。多分、ヤマさんには美影さんのような姐御タイプが合うのかもしれない。
「ところで、あんたはなんの妖怪なの? 霊力は高そうだけど、想像がつかないわ。小豆洗い……いや、ぬらりひょんとか?」
「いえ、ボクは八岐大蛇です」
「えっ! 八岐大蛇って、もっとこう、強そうな覇気を纏ってるものだと思ってたけど……真逆だわ。ふふっ。ごめん、笑っちゃった。意外と親しみやすいのね。私もね、そこそこいろんな恋愛を経験したきたのよ。相手は人間や妖怪、いろいろだったけど、結局、男って強さだけじゃなくて、優しさと思いやりがないと惹かれないのよね。だから、あんたみたいな男は結構好き」
「そ、な、えっ……じょ、女性からそんなこと言われたのは初めてです」
「あんたはもっと自己肯定感を高めないと! 本当は今日、お店は休みなんだけど、うちのスナックで飲み直さない? なんでも相談に乗るわ」
「行きます! ぜひ」
一夜の出会いは、不思議と運命的なこともある。
言葉ひとつで良くも悪くも人生が変わり、この世は誰かとの関りなしでは生きていけない。それは、人も妖怪も同じである。
しかし、修行僧であるヤマさんに酒を飲ませてしまったことは反省している。スナックに行ったことも、才雲さんには内緒にしておこう。
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