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絶対にあったはずの一万円札がない。しわの寄った一万円札。読みかけの本の栞代わりに挟めた気もするが肝心の本が見当たらない。
机周りに山のように積まれた書籍を一つずつ確認していくが、どれも違う。六冊目の本を閉じたときに思い出した。図書館から借りた本に挟めたまま返したかもしれない。諦めきれずに図書館へ。
本を探していると、着物姿の少女と目が合った。そうか。そういえば今日は近所で夏祭りがある。少女はトコトコとこちらへ近づいてきた。おかっぱ頭が印象的な艶やかな黒髪。綺麗に切り揃えられた前髪の下で瞳がぱっと輝いた。
「お前、私が見えてるな」
ふてぶてしい態度にカチンときた。が、同時にその言葉の意味も気になった。
「……そりゃあ、ね。目だけはいいもんで」
「助かった! 行こう」
「……きみ、迷子? 親を探してほしいの?」
「違う。私、神。この姿、見える人と一緒じゃないと移動できない」
俺は動じなかった。冷静に考える。
「じゃあどうやってここへ? 誰かと一緒に来たはずだろ。その人は?」
「私、人々のにぎわいを力に変える。夏休みの図書館、昔はにぎわいあった。でも今ダメね。エネルギーがなくて元気でない」
「たしかにそうかも……。調べ物はネットで済むし。文献調査にくるのは俺みたいな売れない作家くらいのもんか。……いや、俺の質問に答えろよ。一緒に来た人がいるはずだろ」
「その人、『科学で証明! この世の真理!』って本を読んだあと、私のこと見えなくなった」
「……そうか」
「お前はえらいな。図書館に調べ物にきて」
返答に窮す俺。一万円札のことは黙っておいた。
「ちょうど今日、神社で夏祭りがある。そこへ行けばにぎわっているだろう」
日が傾くにつれ、人出が増えていく。浴衣を着込んだ面々は、非日常を楽しんでいるようだった。
境内には所狭しと出店が並んでいた。りんご飴に焼きそば、たこ焼き。光る電球型のボトルに入った飲み物を楽しむ子供たちが、俺たちの脇を駆けていった。
「ほら、人のにぎわいだ。力出たか?」
「うん、すごい。ひゃっほー」と両手を上げてはしゃぐ。「もっと奥まで行こう」
「ごめん。パス。君と違って俺は人のにぎわいが苦手なんだ」
「そうなのか」と目を丸くする少女。その瞳が妖しく光ったと思うと、俺の頭の中に少年時代の記憶が鮮やかに蘇った。
俺の父は屋台を転がしていた。自身も酒好きで、正体をなくすこともあった。それでも俺は父が大好きだった。父は子供の俺と話すときもよその大人と話すときも、口調を変えなかった。子供だからと甘く見るような真似もしなかった。一人の人間として接してくれた。俺に「常識」というものを教えてくれた母親とはまた違った角度から、愛情をくれる人だった。
父に早く仕事を切り上げてほしくて迎えに行ったことがある。屋台は大盛況だった。軽妙なトークで客と盛り上がる父。そのにぎわいが、幼い俺には疎ましく見えた。
「ふぅん。人のにぎわいがお前から父を遠ざけたと思っているのだな」
「そんなこと……」ねえよ、の三文字が出てこなかった。
「私がなぜにぎわいを好むか、わかるか」
買ってやったりんご飴の袋を開けながら少女が訊く。
「そこに笑顔があるからだ。笑顔の奥には愛がある。何にも変え難き無償の愛がの」
なぜか少女は袋のゴミを俺のポケットにねじ込んだ。「おい」
「その後、父とは?」
「田舎を出てからしばらく会ってないなぁ」喧嘩別れだった。作家を目指すと家を飛び出したきりだ。
「会いに行かんのか。いつか後悔するぞ」
俺は乾いた笑いを吐きだす。
「ははっ。遠いんだ。田舎。帰るにも金がいる。生憎売れてないもんでね」
少女は意味ありげにふっと笑った。
「今日はありがとう。お前が連れてきてくれて助かった。この神社、私の家」
「あ、ああ。そりゃ良かった」
「ズボン洗うときポケットの中、気をつけろ。ポケットの中のゴミ、洗濯の敵。『科学で証明』の本に書いてある」
「嘘つけ」
にっこり微笑んだと思ったら、少女はそのまま姿を消した。
忠告通り俺は忘れないうちにあいつが入れてったゴミを出すとする。「……え?」
ポケットの中から出てきたのは一万円札だった。しわの寄った一万円札。
父の顔が浮かんだ。
無性に家に帰りたくなった。そこに俺だけのにぎわいがあるような気がして。
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