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いいことを教えてやろう。
僕の所属している県選抜メンバーでは『他人の不幸は蜜の味』が正常で当たり前な世界なんだよ。
そこにあるのは常に蹴落とし合いなんだ。コーチに好かれる目立つヤツは、皆んなから嫌われる。
まして、僕の所属している陸上短距離は個人種目だから仲間意識なんて最初からねぇんだよ。
例えば雨でアンツーカーのコンディションが悪かったりする。そんで、僕の次に同じレーンを走った野郎が僕より0.05秒も速いタイムを叩き出したとするじゃないか。それだけで『殴ってやりたくなる』。
それは僕が水を蹴り飛ばした恩恵じゃねぇかって。何勝手に、さも自分の実力だけでタイムが縮んだみたいなツラぁしてんだよ、クソが!
そういう腐った場所なんだ、ここは。
重要な大会直前の練習でトップタイムなんか叩き出した日にゃあ、要注意もいいところだよ。
下駄箱の靴にガムとか当たり前だし、周りの連中は誰も口を聞いちゃあくれない。でっちあげの噂話とか、そういう腹黒い話ばかりしていた。
だが、彩速のせいでそんなチマチマした世界が一変しちまった。うだうだ足の引っ張り合いなんかしてたら、とてもじゃないが置き去られちまう。
ああ、皆んな目の色が変わったよ。
これまで僕らが自信を持っていった『限界を見極める特訓』なんて、本物を前にしたらガキのオママゴトと大差がなかった。
ダメだ。今と同じことをしていたら全国で活躍する前に、県代表の枠からも外される! ただでさえ100メートルの県代表枠は2つしかないんだ。
「僕は生き残るぞ! 例え2位でも県代表は県代表だ!」
彩速以外の連中は、僕も含めてぶっちゃけドングリの背比べ。誰が落ちても残っても不思議はない。
居残りや早朝特訓はもはや全員が当然になっていた。
骨の成長が止まるからと皆が嫌っていた筋トレ用の器具は常に順番待ちになった。
スポーツ選抜生として学業が猶予されている僕らには『これ』しか存在意義がないんだ。それを失えば『普通人以下』。無かったもの扱いで消えていくんだ。何が何でも負ける訳にはいかないんだよ!
そんなある日。
「ん? 何だこりゃ」
彩速の下駄箱に、彼が履いていたシューズがあった。見慣れぬブランド名。感じる、強い違和感。競技用シューズは有名メーカーの独壇場だ。なのに、これは。
「もしや、ここに何か秘密が」
仮にそうだとすれば、それこそ『卑怯』じゃないか? だったら、こっちも同じ手を使っていけないってことはないだろう。僕は早速ネットで海外から同じシューズを手に入れた。
「何か妙な履き心地がするな……」
しかし、これであの速さが手に入るのだとすれば。
県代表決定戦を直前に控えてシューズを変えるのはギャンブルだと理解はしていた。万が一合わなければ怪我の元だと分かっていた。
「けど、これで同じ土俵に立てるのならば」
その想いの方が強かった。
そして。
僕の右膝はそのギャンブルに負けた。
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