38人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
迎えた、県代表決定レース当日。
夜中の僅かな時間を使ってコソ練を繰り返した僕の右膝は、朝から悲痛な叫び声を上げていた。曲がるか曲がらないかの境目に至るほど。
「先生、すんませんけど痛み止めお願いしますわ」
汗ばむ小声で医務室に入ると、石田先生は「無茶しおってからに」といいながら薬棚の鍵を開けて茶色の小瓶を取り出した。
「かなり痛そうだな。その様子だと普通の痛み止めじゃ追いつくまい……とは言うものの」
瓶から慎重に取り出した錠剤は、何処か不気味なオーラがあった。
「処方可能なギリギリの鎮痛剤だ。痛みは嘘みたいに無くなるが、別に怪我が治るわけじゃない。無理をすれば選手人生そのものがダメになるぞ。それは理解しとけよ」
「他に方法が無いんなら、それしかないっしょ」
まるで引ったくるようにして錠剤を手に取り、そのまま水も無しに飲み込んだ。
「ひとつだけ言っておく」
僕の背中に先生が冷たく声を掛ける。
「今のお前が全開のスマッシュを使えるのはせいぜい1、2秒。それが限界だ」
「……」
僕は何も答えず、医務室のドアを閉めた。
第1レース、準決勝レースは楽勝だった。何しろ膝が痛くないからな。この所の僕の絶不調を知っていたヤツらは一様に『嘘だろ?!』ってツラぁしてやがった。ああ、いい気味だぜ。
そして最終、決勝戦。
僕の隣のレーンに、彩速が並んだ。互いの足元に描かれた『Smash』のロゴ。見たくも無い顔を見なくても誰だか分かる。すると。
「おい、てめー」
彩速が小声で威嚇してきた。明らかに苛立っている。
「クソ雑魚野郎が猿真似でオレに対抗しようってのか? ザけんじゃねーぞ、コラ」
「ああ? 余計なお世話だ馬鹿野郎が」
そうだ、勝つために手段を選ぶ余裕なんて無い。
「目障りだ。俺の視界から消えろ」
彩速が吐き捨てるようにして、スターティングブロックにシューズを乗せた。
「上等だよ。消せるもんなら消してみな」
どうせブラフだ。あんな馬鹿げた走り方、彩速だって練習を見る限り全開は6秒かそこらが限界とみた。だったらそれは中盤以降で使うだろう。
ならばそこまでは何とか食らいつき、どうにか……。
号砲と同時にスタートを切った、その瞬間。
「何……?!」
右隣で同時にスタートを切ったはずの彩速の、その背中に貼られたゼッケンが視界に飛び込む。そんな、馬鹿な! まさか最初からそれで行くのか?!
「負けられるかよぉ!」
根性のスイッチを入れる。とっておきの全開スマッシュ。
1秒……よし、背中がそれほど離れない!
2秒……何とかこのまま持ってくれ!
3秒……いい感じだ、僅かに距離……が……?
突然、アンツーカーが斜路になった。そして坂路へと変わり、僕のレーンが垂直の壁に変化する。
こ、これは……?!
「担架だぁ!」
その怒鳴り声に、やっと僕は自分がぶっ倒れたのだと知った。
最初のコメントを投稿しよう!