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第惨話
『それは、ひどく蒼い鱗だった。
鱗など・・・日々厭になる程見ているのに、茂吉は目が離せなかった。
単に、その鱗が美しかったからではない。確かに、深淵の如き深き蒼、そして日の光を浴びて溢れ出す七色の光は、宝石に匹敵する美しさではあった。
が、それ以上に、その宝石を纏っている者自身が、この世の者とは思えぬ美しさだったのである。
茂吉は、とうの昔に枯れ果てたと思っていた自分の心の泉から、確かな熱が湧き出てくるのを感じていた。
その刹那、茂吉と彼女の視線が交錯した。』
ここまで書き終えたところで、純はどこぞの業者名が印字された汚い鉛筆を、机に置いた。
「ふむ・・・まあ、出だしはまずまず。人魚伝説を下地にした和風ホラーサスペンス・・・儂のネタ帳があればもっと早く書けるのだが、この姿で取りに行く訳にもいかんからな。」
その声は純のものではなかった。怪しげな光を宿す双眸と邪悪な笑みに引きつる口角・・・まるで別人だ。純が眠りについた隙に、獄門の魂が身体を乗っ取ったのである。純の身体を使ってまで執筆しようとする理由は、一流作家としての純粋な創作意欲によるものではない。
偏に、金のためである。
獄門は考えた。どうすれば以前のような豪奢な生活に戻れるか。顔が良い訳でもない、身体能力に秀でた訳でもない、かと言って他に何の取り得もない純に、大金を稼ぐのは無理である。となれば、獄門が自分で稼ぐより仕方ない。
「幸い身体が若いから、こんな不健康な生活をしていても、当分くたばりそうにはない。ならば、だ。儂の溢れ出る文才を以てして、再び文壇を席巻するまでよ!」
決意の拳を握り立ち上がった瞬間、ぐぅ、と獄門・・・いや、純の腹が鳴り、足元がフラついた。
「こやつ、いつから食っていないのだ?意識がない間身体を乗っ取れるのは便利だが、生理現象は如何ともし難いな。何か食えるものは・・・」
獄門は苦々しい顔で部屋の中を見渡した。
六畳一間のカビ臭い部屋には、執筆用の机と冷蔵庫がある以外は、着替えと寝袋が落ちているだけという質素ぶりである。壁に貼られた二次元美少女の笑顔だけが純の慰めなのだろうか。冷蔵庫を開けた獄門の顔が、さらに歪む。
「納豆ともずくしかない上に、消費期限がとっくに過ぎているではないか・・・。この薄っすら色がついた液体は、お茶・・・か?」
冷蔵庫に入っていたボトルから殆ど透明の液体をコップに注ぎ、恐る恐る口に含んでみる。
「ブフーーーーーーッ!なんだこれは!味が、味が殆どない!いや、旧い水道水の味だ!貧乏の味だ!」
獄門は冷蔵庫の納豆を掴み、丼椀にぶちまけて乱暴に混ぜ、一気に掻き込んだ。旧い納豆は既に硬くなって噛むたびにバリバリ音がするが、そんなことには気にも留めず、憤怒の表情で咀嚼し、胃に流し込む。
「今に見ていろ・・・必ず、必ず文壇に返り咲いて、大金を稼いでやる・・・印税で左うちわの生活を取り戻してやる・・・!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数時間後、鉛筆を置いた獄門が窓の外を見ると、薄っすら空が白んでいた。
「もう朝か・・・もう少し書きたかったが、不眠不休でこやつを働かせて死なれても困るからな。そろそろ眠るとするか。」
と、原稿を片付けかけたその時、「ピピピピピピピピピ」といきなり純の携帯がけたたましく鳴り出した。と同時に、獄門は意識が少し遠のくのを感じた。
「い、いかん!こやつが起きる!今起きられては困るのだ!」
焦って携帯のアラームを止めたい獄門であったが、ロックナンバーが分からずアラームが止められない。
「くっそおおおおおお!駄目だ、意識が・・・引き込まれて・・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いてててて・・・あ、あれ?」
純が目を覚ますと、自分の寝相の悪さに驚いた。入っていたはずの寝袋は部屋の反対側に丸まって落ちている。それだけではない。睡眠をとったとは思えない程の凄まじい疲労感だ。
「やっばぁ・・・仮眠失敗ぃ。今日原稿〆切なのに、これ以上遅れたら連載止められちゃうよぉ・・・どうにか明日まで待ってもらえないかなぁ・・・」
床を這いながら、何とか机まで辿り着き、携帯で編集部の番号を呼び出す。
「・・・あ、もしもし?薄桃色ですぅ。あ、はい、連載枠いただいている。実は今日の原稿のことでちょっとご相談がぁ・・・えっと、ええ、構想はできているので、あとはそれを形にするだけで・・・ん?」
電話しながら泳いでいた純の目線が一点に定まった。
「あ、いえ・・・ちょっと待って下さいね・・・これは!・・・・・・あ、草稿はもうできているんです!あと少し色気を出したいと言うかぁ・・・はい、明日の朝には!わかりました!ありがとうございます!」
電話を切った純は、目を輝かせて獄門の原稿を天に掲げた。
「遂に・・・遂にボクの小説家としての才能が開花したんだ!そっかぁ、アニメとかでよくある、気絶したりお酒に酔ったりしたら突然強くなるアレだぁ!そっかぁ、寝てる間に書けちゃうんだ!
んー、でもこれ・・・文面ガチガチで古臭いし、そもそも全然エロくないし・・・よーし、ボクの中の文豪さんに、薄桃色純の作風を見せてやろう!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その夜。寝袋でいびきをかいている純の目が突然カッと開き、怪しい光を宿した。獄門が帰ってきたのだ。
「ふぅ、やっと帰ってこれたわい。儂の原稿は無事・・・こ、これは!こやつ、儂の原稿に加筆したな!?なになに・・・
『それは、ひどく蒼いブーメランだった。
水着なんて・・・毎週体育の授業で見ているのに!そう思いながらも、モッキュンは目が離せない☆
単に、先輩の肉体が美しかったからじゃないんだ。確かに、あの蒼いブーメランの着こなし、そして日の光を浴びた無駄のない逆三角形の肉体は、同性として羨ましい(嫉妬メラメラ)
けど、それ以上に、モッキュンの中に眠っていたはずの劣情が、この上もなく刺激されてしまったのだ!
モッキュンは、1年前の失恋のショック以来役立たずになっていた自分の***が***して***が***してしまったのを感じた←
その刹那、先輩の視線がモッキュンの視線と絡み合い、
「モッキュンズッキュン!(はーと)」』
・・・な、なななななんだこれは!?」
獄門は目の前が真っ暗になったような衝撃を覚えた。
「儂の・・・儂の作品が・・・陳腐な官能小説に・・・いや、それ以前になんだこの文法は!?地の文と台詞が混じっていて主語が・・・読点が・・・星マーク?嫉妬メラメラ?ズッキュン?は?ああ、もう駄目だ・・・儂の、儂の作品・・・金が・・・印税が・・・消えていく・・・。」
フラフラと原稿から後ずさる獄門。その顔は真っ青である。そしてそのまま、バターン!と白目を剥いて気絶してしまった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌朝。目を覚ました純は、飛び起きて机の原稿を確認し、少し肩を落とした。
「今日は書いてくれてないのかぁ・・・。次はいつ書いてくれるかなぁ?
ふふっ、楽しみにしているよ、ボクの中の文豪ちゃん☆」
純は全くもってお気楽であった。
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