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 街は蜃気楼(しんきろう)のように(おぼろ)げなシルエットを現し、小高い山々の(ふもと)にうっすらと(きり)を帯びて、幽玄な空気に包まれている。  幻の街と呼ばれる「薄紅町(はくこうまち)」は、誰が呼んだかレムノシティなどと言う者もいる。  幸せを見失った魂が彷徨(さまよ)い、街角に(たたず)む人間を中へと引き込んでいく。  その中心部にはいくつか飲食店があった。  色あせた看板と、壊れたネオンサインがむき出しになった外観からは、商売っ気が感じられない。  ところどころ塗装が()げ落ち、(ほこり)っぽい窓から薄暗い店内が見えた。  入口に「ヴァニッシュ」と書かれた電飾があるカフェには、客が見当たらない。  陽が差し込まないためか、ライトグレイの壁が、湿っているように感じられた。  往来をゆっくりと歩いていた、若い女が店の前で足を止めた。  ブレザーをきちんと着こなしているが、全体的に薄くて地味なトーンの街に溶け込む、というよりも存在自体が透けているようだった。  薄い唇と、細く切りそろえた(まゆ)が、都会的な印象を与えている。  カフェの中を覗き込むようにしていたが、近づいてくる影に気づいて後ずさる。  大きな身体を滑るように進め、人を寄せ付けない威厳を備えた男は、女の前で立ち止まった。 「奈巳、今日は1人か」  女は小さく(うなず)いた。  一瞥(いちべつ)しただけで、目を伏せた男はカフェのドアをすり抜けて中へと消えていった。  しとしとと、小雨が地面にシミを作り始めた。  半透明の女の身体を素通りして、地面を打つ水はコンクリートの色を濃くしていく。  霧のようだった(しずく)がしだいに大きくなり、ポツポツと音を立てて地面を洗う。  さっと一陣の風が吹き、雨粒とともに女の姿をかき消す頃には、一面に湿った街を打つ音が高く響いていた。
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